モニュメントバレーの記事から先に進んめてないんだけど、かなり昔の旅行記になるので、これはまた時間があるときに写真整理を含めて載せて行きたいと思う。




アメリカ生活を終えて約一年がたった。


コロナ禍で不安だらけで始まったアメリカ生活

日本のものが恋しくなったり、

車の運転ができなかったから不便だったり‥

と大変だったことも多かったけど、

振り返って結局どうだった?と言われると、

やはりアメリカ、楽しかったな!!になる。


日本の当たり前が普通じゃない

ことにカルチャーショックを受け、

そしてそれが自然で楽だと感じた。

アメリカ生活で変わった自分の考え方の総括。




【人との対等な接し方】

幸い私は、ヘイトクライムや

アジア人差別を受けた記憶がない。

(気づいてなかっただけかもしれないがそれでもいいよね)

だから言えることかもしれないが、

人との付き合いがとても楽だったと思う。

人というのは、

何も友人や知人だけの話ではなく、

スーパーのお店の人との関係や

バスで一緒になった人などであっても、

お互いストレスが少なかった。

お店に入って、いらっしゃいませ、

と頭を下げられることはないけど、

元気?と気軽に尋ねられることはよくあった。

わたしは客だ!と威張り散らしてるのなんて、

日本くらいじゃないかと思うくらい、

彼らは我々を「お客様扱い」しない。

レジ打ちしながら、別のレジ打ちしてる職員同士で大声で会話して、全部商品スキャンしたら、何もなかったように金額言われる、

みたいなことはしょっちゅう。

でも、ギスギス仕事してるところ見せられるより、それはよっぽど心地よいものだった。

これに慣れてから、マニュアルどおりの

日本のコンビニやスーパーに行くと、

とても異様な感じがした。


現地人のママ友さんと話すときも、

ネイティブの恐ろしいスピードで

ほぼ聞き取れない英語で喋ってくれるんだけど、

こちらが曖昧な相槌や拙い英語で話しても、

ちゃんと聞いてくれる。

かといって、話の途中で電話が入ってそのままなかなか帰ってこないとかはあるんだけど、別に放っておかれた!という気にもならないし、

変に気を遣われないのが気楽だった。





【やりたいことだけ、やる】

春は桜、夏は蝉の声、秋は紅葉で冬は雪。

日本の四季は間違いなく素晴らしい。

ただ、その愛で方が、最近の日本は

少し異常だと感じる。

スーパーやコンビニに、

「季節感」を超えてフェアが催され新商品が所狭しと並べられ、

消費者はそれを食べねば買わねばと躍起になる。

まさに商業に踊らされている感じ。

季節の行事もそう。

周りに飲まれて、やれ正月だ、恵方巻きだと、

そのイベントをしないと損したような気分にさせられる。

季節のフルーツや野菜ならまだしも、

お菓子やスイーツ、あまりに種類が多く廃棄もきっと多い。

話題のお店で食べて写真を撮って

いいねを押してもらって、というそういう

一連のスタンプラリーのような生活が、

日本人を忙しくしているのではないか?と思う。


アメリカは、良くも悪くも季節感がほとんどなかった。

なかったというか、

宗教の影響も少なからずあるけど、

やりたいイベントしかやらないのだ。

ポッとでたような生半可なイベントはなく、

宗教や移民の歴史たちに裏付けられた、

趣旨を失っていない「お祝い」

細かい季節の変化にはさほど注目せず、

自分の身近な家族や友人に

少しでも変わったことがあったり

お祝い事があったら、全力でパーティする。

これも趣旨を失っておらず、

知らない誰かに見てもらうためではなく、

顔を知っているあの人を喜ばせるためにやること。

サンクスギビングの時期に、

全然(日本人とっては)映えないし

特に(日本人とっては)美味とはいえないターキーが

飛ぶように売れていたのを見てそう思った。


日本では、どうしても"追い立てる商法"に目を奪われてしまうけど、

できるだけ追いかけないようにしたいと思う。

ものを買いに行く目的が、

人が美味しいと言っていたから、

これを食べたと人に言いたいから、ではなく、

これを誰かと食べたいから、

自分の体が欲しがっているから、

というものにしたい。

やらなければならないこと以外は、やりたいことだけやればいい。





大きく分けて、この二つの考え方になって、

生活が気楽になったと思う。


そう思っていたら、ドイツに住むことになった。

ドイツにきてからは、もうすぐ一年。

また、アメリカのときから変わった考え方もあるけど、

それはまた一年経ってから記すことにする。