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☆★とんだり(・e・)はねたり★☆

フクロウ科の中で、ミミズクだけを総称する英語の
表現は基本的にはありません。総じてowlです。
でもその個性的な特徴を捉えてa honed owl(角のあるowl)
と呼ばれたり、或いはan eared owl(耳のあるowl)
と呼ばれたりします。

ブログのテーマは瞬想ですが、俺の生活のテーマは近頃は禁酒です。酒なんか全然飲みたいと思わなかった時の感覚に戻りたい。今は仕事が終わるとあー酒が飲みたいと思って、自制心を取り除いたら365日飲むと思います。そこを自制しているので毎日は飲みませんが、週のうち平均3,4日というところでしょうか。



あとはその日の酒量ってのも大切なんですよね。例えばほとんど毎日飲むにしても量が適量ならばさほど問題はありません。でも俺は飲みだすと酒量に対してとても寛容になってしまうので、飲まない日を多く設けて対応しています。対応出来てるんだか出来てないんだかよくわかりませんが。そもそも何への対応だよっていう話ですよ。



何への対応。第一は健康です。健康と言っても長い人生を考えた上でのものではなく、翌日の体調への配慮です。やはり酒を飲んだ翌日というのはどこか体がだるいし頭も冴えない。そして飲む日が続くと如実に昼間の体調に差が出てくる。酒を飲んでる時以外の時間がどんどん無駄で辛いものになってきます。



お前もう既にアル中なんちゃうかと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、そこまでじゃねえよと自分では思っていますが、でも自分で大丈夫だと思ってる奴ほど危なそうなので、敢えてそうかもしれませんと答えておきます。アル中かもしれないので一層気を引き締めて酒を断たねばああああああ!



第二は金です。酒自体も毎日飲むと結構な額になりますが、加えて肴なんかも必要ですし、外で呑んだりすると更に負担は跳ね上がります。一人で外食をした時に、食事だけで2000円を超えるとかなりの贅沢感を得られますが、呑み屋で2000円くらいだとすごく安いと思ってしまう感覚は何なんでしょうね。いや完全に俺を基準とした金銭感覚ですけれど。何かすごく酒に騙されている気がする。もっと言うと酒を介して日本国そのものに騙されている気がする。俺から少しでも搾取しようと。日本が。



大学生の頃は酒は飲めば楽しくて美味しく、飲まないなら飲まないで全然平気だったのに、いつから飲まないことに我慢が必要になったんだろう。実は俺は知っています。今でも覚えているあの瞬間。それまで飲まなくても全然平気だったのに、ある日不意に家で酒が飲みたくて仕方なくなってコンビニに走っていってビールを買ったんです。あの日から俺はずっと酒と闘っている。闘酒家とでも言いましょうか。うんつまらない。言ってみたけどつまらない。



なんか肩の裏にボコっとコブが出来てて触ると痛いんですけど。昨日までなかったと思うのに。なんだろこれ。触わると痛いのに触らないと痒いという。超最悪なもんが出来た。せめてこいつが喋り出さないことを祈ろう。


今時のブログって画像載っけてそれにコメント付けるって感じが主流ですよね。画像載っけなくても文章と文章の幅を大きくとってサラッと仕上げてあるスタイルとか。情報提供が主体というか。文章自体が味わい深く書き込まれてるブログって減った気がする。


ブログって言ってるけど、要は昔でいうテキストサイト。


俺の好みだと今の流行りのスタイルよりも、もう少し文章自体に書き手の思想だとかユーモアが詰まっているテキストサイト的スタイルが好きなんだけれど、そういうのってもう時代遅れなんでしょうかね。時代に遅れてるからって俺も画像サラサラタイプに変更しようかなんて気は全くないけれど、そうかあもう私も旧石器時代の人間なんだなぁと、時の流れを感じなくもありません。でもまあ書きたいように書きますけれども。



でもサラサラタイプのブログが主流になったというのは、やっぱりそのスタイルが楽しかったり書きやすかったりするということもあると思うから、それ自体は良いことだと思いますよ。楽しめてる人は多い方が良い。



そうか、いま日本の若者は草食化してるとか恋愛離れが進んでいるというニュースがよく情報紙面を賑わせているけれど、そういったリビドーの減衰がブログのスタイルにも反映されてきているという訳だな。って超思い付きじゃん。唐突に何なの。



ここでお詫びを申しあげますが、昨日のブログに一部誤りがございました。このたびブログを始めたのは新年度になったということもあり何か始めてみようと思ったのがきっかけ云々とのくだりがございましたが、正しくは文章を書きたくなったからブログを始めてみたらたまたま新年度だっただけのことでありました。脚色のない文章はノーメイクの女性のように、時として魅力に欠けるので必要悪だと思うけれど、昨日のは別になくてもよかったな。後で自分で見直した時にそうだったんだぁとか思いそう。

4月は始まりの季節です。社会的には新年度。街には着慣れないスーツの初々しい新社会人さん達が揚々と、洋々たる未来へ向けて道々歩を進めておられます。見渡せば、その装いは黒、黒、黒。ほんと葬式かっつうんだよな。そんなんじゃ御先真っ暗やぞ。没個性的な服は脱ぎ捨てろ。明るい未来に向かうため、真っ赤なスーツを身に纏い会社に向かえ。心にFIREを灯しつつ。そして会社もFIRE(解雇)。



話が逸れましたが、新年度を迎えたということもあり私も何か始めてみようと思い、そうだブログを書こうと思い、昨日から書き始めたわけです。テーマはそうですね。瞬記のようなものを書きたいと思っています。



私は日記という言葉が苦手です。どうも作業的な匂いが強くて。小学生の頃、おばばの先生に強制的に書かされていたせいでしょうか。気分がのろうがのるまいが、ノルマとして書かなければならないものというイメージが強いのです。書かされるもの。縛られているもの。そういった理由と意味で、私は日記は書きたくない。これまでもそしてこれからもforever。心が文章を求めた時にだけ書きます。書きたいものがある時は一日に何本書いてもいいし、そうでなければ数千年書かなくたっていい。そういう指針で書くものですので、瞬記という表現にしてみたわけです。書きたいと思った一瞬を捉えるの。



ああ、でもやっぱ瞬記だと記という字が日記と一緒で、まだどこか日記くさいな。日記の匂いがする。拭い切れていない。そうだなあ。瞬想だな。これならピタっとハートにフィットする。でも何書いているんですかって誰かに聞いた時に、瞬想ですって答えてくる奴いたらそこから突っ込んであげるのめっちゃ面倒くさい。流したい。しゅーんそうですかって。

合格
フクロウ科の中で、ミミズクだけを総称する英語の表現は基本的にはありません。総じてowlです。でもその個性的な特徴を捉えてa honed owl(角のあるowl)と呼ばれたり、或いはan eared owl(耳のあるowl)と呼ばれたりします。


個人的にはan eared owlという表現のほうが好きです。あのぴょこんと飛び出た羽角は、角よりも耳として捉えたほうが可愛らしい気がします。


でももっと突っ込んで言うと、あの羽角は凛々しい眉毛に見えるので、an eyebrow owlと呼ぶのが一番しっくりくると思っています。響きも悪くない。しかしそんな呼び方は残念ながらされていません。もちろん思想と表現は自由ですから、ミミズクを私個人でan eyebrow owlと呼び続けるのもそれはそれで全然ありですしクールな感じがしてモテそうです。しかし私は eared owl という表現を筆名に選びました。その理由は以下になります。


まず私は、和の要素も好きなのです。ご飯も好き。昼寝も好き。そして和名ミミズクの語源は、「耳付く」から来ています。更に、ミミズクの漢字表記は代表的なものとして「木菟」であり、これは木の上のウサギという意味を持っています。


ウサギといえば、そのトレードマークはやはり耳。こうなると、もうミミズクと耳を切り離してしまうことはある種の動物虐待に当たるのではないかという、本来ならば場末の酒場で真っ赤な顔した酔っぱらいが吐いていそうなこの暴論が、一筋の正当性を持って人の心に響いてきます。そうなんじゃないか、あながち間違ってないんじゃないか、と。


さらにダメ押しとして、ウサギを一耳二耳と数える地域さえもあるのです。


以上のようなことはさておき、結論としましては

「eared owlって綴りは、兎と鳥が戯れている感じがして何か和むよね」

というとてもふわふわとした理由で半分夢を見ながら筆名を決定致しました。いつものコトです。