大晦日ですね。今年も実家のある島根の出雲で過ごしています。
俺の家の正月は、まるで日本昔話の世界です。徹底的に掃除をして1年の汚れを清め、各家がしめ縄を飾り、餅を供え、除夜の鐘を撞きに行くという。え、普通?
帰省するとすぐに、母親から大掃除を言いつけられました。うちは実家から1kmほど離れたところに家業を営んでいる店舗施設もあるので、そちらも掃除しなくてはなりません。風が強く、窓に水をかけて洗おうと思ったらその水が全て風に押し戻されて俺にかかって寒空の下ずぶ濡れになりました。帰省してから数時間で「よし東京で戻ろう!」と思いました。
さらに実家から2kmほど離れたところに家業用倉庫があり、またさらに20kmほど離れたところにはバブル時代に親が買った別邸があります。そちらも掃除をしたり、しめ縄を飾ったり、餅を供えたりしなければなりません。
島根の冬は東京よりも少し冷たく、天気も良くありません。そんな中で普段人気のない倉庫や別邸の掃除をするのは、最早荒行修行以外の何物でもありません。凍える指先と垂れる鼻水をすすりながら極限の状態の中で正月に体当たりしてゆくのが神話の国出雲の正月です。ゆったり感など無い厳かな世界です。山裾には反物を加えて飛び立つ鶴の姿とか見えたりします。
別邸は実家からほど遠い山中にあるので、行くだけでも一苦労です。別邸と言えば聞こえは良いですが俺が上京して以来ほとんど人の出入りのない、最早ただの廃屋です。昔は5000万円くらいしたらしいですが今は1000万円の価値も無いただの税金泥棒みたいな家です。床は軟らぎ、壁は煤け、誰も訪れないこの家をなぜ年末に掃除しないといけないのかさっぱりわかりません。やはり修行かな、修行なのかなと思っています。神話的な。
もうこんな別邸、1円ででも売れるうちに売ってしまえよーと思うんですが、バブルの亡霊的な感覚の強い親父は頑なに売ろうとしません。またいつか住むとかわけのわからんことを言っています。あんなところで暮らせるものかと俺は思ってますが、まあでも俺のものでもないし、あの別邸があることが親父の支えにでもなっているのなら、取り上げてガックリされてもアレなんで。
そして今夜は大晦日の一大イベント除夜の鐘つきです。雪深い山奥にある寺まで親父を連れて行って鐘を撞かねばなりません。俺は地元愛の薄い人間なのでそういう地域に根付いた風習などに全然関わりたくないんですが親の頼みくらいは聞かざるを得ません。
あーコタツで蜜柑を食いながらぬくぬくしたり渋谷のハチ公前で大騒ぎしている軽薄な若者を眺めてたりしたいわー。正月はハワイでー♪みたいな軽いノリのほうが好きだわー。なのに何で夜中の雪山に鐘を撞きに行かねばならないのか。暗く寒い寺で・・・。
でも、朽ち果てた別邸の書斎の片隅で「子供の名前の付け方」とか「上手な子供の叱り方」という表題の古びた本を見つけたりすると、まあ多少は付き合ってあげないと仕方ないかなとも思うのでした。