昨日、昼食を食べに行こうと考えていた店が
「お食事出せるのに1時間かかります」
ほどの込み具合だったので、
よく行くカレー屋さんに向かった。
観光客が大勢通るアーケードを通り抜ける途中、
僕は立ち止まってしまった。

土産品を売る店の中のスピーカーから
お昼のNHKのニュースが流れていた。
アナウンサーが読み上げた言葉の切れ端を
僕が逃さなかったのは、知っている単語同士の
ありえない(正確には、あってほしくない)組み合わせだったからだろうか。

「ジョブス氏が死去しました」

聞き間違えかと思ったが、一瞬にしてそうじゃないと認識を改める。
アップルのCEOを辞した彼が、それ以外の事態で、
昼のNHKニュースに登場することはもうないからだ。
その後、彼のこれまでの功績が読み上げられていった。

呆然としたまま、カレー屋に入り、いつものメニューを頼む。
登録しているニュースサイトのRSSリーダーには、
続々と彼の死を悼む著名人のコメントが上がってくる。

ビル・ゲイツのコメントは格別な思いを込めて読んだ。
パーソナル・コンピューターを家庭に普及させたのは
まさしく、あなた方2人だと思う。
涙が出そうになったので、スマートフォンの画面をオフにする。

これから先、彼がいたであろう未来を想像するのは野暮だ。
「彼がいたら、こんな製品ができていただろうな」と夢想するのは。

彼は、いつだって、僕らの期待を裏切る、夢想さえしえない製品を見せてくれた。
「人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ」ということだ。

死ぬまでに、何を残せるか。
彼は、かくも多くを残した。
ユーザーがアップル社製品を手にとったときの、きらめくような体験を。

お疲れ様でした。

R.I.P.
Steve Jobs