正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)

 

●はずんだ声で…。

 

 キャンセルが出やすいのは前日だ。11月2日に泊まりたいときは、11月2日の朝9時に、例の予約係・鈴木さんに電話しよう。すると鈴木さん、待ってましたとばかり、

「良かったですね。キャンセルが出まして、電話をお待ちしておりました」

と弾んだ声で…。

 こちらの電話が遅いと鈴木さんが困る。他からも予約電話が入るからだ。「空いてはいるんですが、他に入れたい方がいまして」とはいえない。だから、待ってくれてもまず1時間だろう。

 

※うーーん、今はどうでしょうね。ネットですぐにわかる時代だからな…( ;∀;)でもそういうやりとりができたら、うれしいですね♪あきらめずにね♪

 

(イラストはネット画像です)

 

 

📺大河ドラマ「光る君へ」~その4📺

 

 「光る君へ」、毎週日曜日の夜、楽しみにしています。

しかしドラは全然興味なし!男性は、どんちゃかの戦国物が好きなのかしらん?女性目線の源氏物語は興味なしです。???です。まあいいですけどね。

平安貴族の雅なお話もいいと思うんですけどね。まあ理不尽なことはいっぱいありますが…。

 

 

その1 藤原道綱母/藤原寧子…財前直見さん

 

 「蜻蛉日記」とは、「藤原道綱母」が、平安時代中期の954~974年(天暦8年~天延2年)にかけて書いた、上・中・下巻からなる日記文学のことです。藤原道綱母は、当時の最上身分の男性、右大臣(うだいじん)「藤原兼家」と結婚。

 日記文学とは、自分だけが書いて楽しむ私的な記録ではなく、多くの人に読んでもらうことを前提に書いた、公的な日記形式の文書。また、記述描写が文学的に優れているもののことを言います。

 藤原道綱母は、この日記文学を書いた動機として、「高貴な男性に嫁いだ妻の生活が、いかなるものであるかを知る例にしてほしい」と記載。そこで、誰もがうらやむ憧れの結婚生活が書かれているのだなと思って読んだら、大間違いです。この日記には、高貴な方へと嫁いだがゆえの歎きや苦悩が記されています。上巻巻末には「あるかなきかの心地する、かげろふの日記といふべし」と、題名の由来についても記載。なお、蜻蛉とは、空気が揺らめいて見える「陽炎」(かげろう)から名付けられた、儚くもか弱く美しい昆虫のことを指しています。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※いやー「蜻蛉日記」は、学生時代に文庫本を読みました。マンガ「あさきゆめみし」(源氏物語)は、お恥ずかしながら途中で挫折してしまったのですが、蜻蛉日記は読んじゃいましたね。でも旦那様への恨みつらみが多くて、読むのもげっそりしました。平安時代の高貴な人たちは、一夫多妻制?みたいなものなので、少し同情しながら読んだ記憶があります。( ;∀;)まさかこの年になって、作者さんの旦那様が藤原兼家で、大河ドラマで見ることになろうとは…。いやはや感慨深いです。( ´艸`)

 

 

 

その2 藤原道綱…上地雄輔さん

 

 弓の名手で、おっとりしたおとなしい性格。

 15歳の970年(天禄元年)に、従五位下。19歳の974年(天延2年)に右馬助(うまのすけ)、22歳の977年(貞元2年)左衛門佐(さえもんざ)に任官します。36歳の991年(正暦2年)に参議、42歳の997年(長徳3年)に大納言、正二位に就任しました。

 しかし、異母兄・藤原道隆は、990年(正暦元年)に摂政・関白。また、異母弟・藤原道兼は991年(正暦2年)に内大臣、994年(正暦5年)に右大臣となりました。さらに、異母弟・藤原道長は、991年(正暦2年)に権大納言、995年(正暦6年)に右大臣、1016年(長和5年)には摂政に就任。このことから考えると、藤原道綱は大臣にもなれず、大成したとは言えません。

 政治的才能は兄弟達より劣り、また母のような文学的才能もなく、「一文不通の人」(何も知らない人)とも伝えられています。ただし、妻の父は、「童子切安綱」を所持していたことで有名な「源頼光」。藤原道綱は、女婿になったと言われています。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※やたらドラマでにこにこして藤原道長に親しげにほっぺたをぺたぺたしてくる人がいると思ったら、道綱さんでした。ニコニコ少しふくよかな殿方で誰かな?と思ったら、上地雄輔さん。笑顔がいいですねー。ヘキサゴンのおバカタレントさんとして活躍していたのもなつかしいな。でもお父様は現職の横須賀市長さん。そして高校時代、横浜高校で1歳下の松坂大輔さんのボールを受けるキャッチャーとしても少し活躍された方ですね。なかなか人生ドラマチックな方です♪道綱、ぴったりかも!!

 

 

その3 源雅信…益岡徹

 

 「源雅信」は、平安時代中期の貴族で、「宇多源氏」の始祖です。当時勢力を強めていた藤原氏と政治的に対立しながら、天皇の権威を守るために尽力。しかし、娘である「源倫子」は、政敵の息子である「藤原道長」に嫁ぎ、のちに最高権力を握る藤原道長の栄華を支えていくのです。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※倫子さまのお父様、演技がうまかった~!!倫子さまが必死に藤原道長と結婚したいとの思い(道長と一緒になれないのなら、結婚しないでネコと一緒に暮らすだったかな?)を伝える中で、本当は嫁がせたくない思いをもちながらも致し方なく「YES]と言わざるを得ない演技…とってもおもしろかった!名シーンです♪

 

 

その4 藤原穆子(ぼくし)…源雅信の本妻、倫子の母…石野真子

 

「藤原穆子」は、平安時代に左大臣などを務めた「源雅信」の正室です。

 藤原穆子は、中納言であり歌人でもあった「藤原朝忠」の娘として931年(承平元年)に誕生しました。母親が誰だったかを含め、幼少の頃の記録は残っていません。

 のちに右大臣を務める源雅信と結婚し、「源倫子」や「源時叙」(みなもとのときのぶ)などの子に恵まれます。なお、源倫子は「藤原道長」の正妻となる人物。源時叙は出家して天台宗の僧侶「寂源」(じゃくげん)となり、藤原道長をはじめ当時の権力者から崇敬を集めました。

 藤原穆子は、源倫子と藤原道長が結婚する運びとなるように力を尽くしました。当初、源雅信は源倫子を「一条天皇」へ嫁がせるつもりでいましたが、同じ頃に藤原道長からの縁談が届いたのです。藤原道長の将来性を見込んだ藤原穆子は、源雅信を説得し、源倫子と藤原道長との結婚を後押ししました。

 源雅信が亡くなると藤原穆子は出家し、「一条尼」と呼ばれるようになります。1016年(長和5年)、曾孫にあたる「後一条天皇」が即位した年に、藤原穆子は88歳で亡くなりました。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※石野真子さん、「狼なんかこわくない」とかでかわいかったなあ。倫子さまのお母様役。…でも明るい石野真子ちゃんのイメージ通り自分の意思をしっかり持っていらっしゃるお母様で、はつらつとした演技をされていて好感がもてます。私よりもお姉さまですが、いまもかわらずチャーミングなのはうれしい♪長渕剛さんの最初の奥様だったのね。大変だったことでしょう…( ;∀;)(あまり長渕さんタイプのアーティストは、好きではないふくです)

 

 

その5 再び源倫子さま…黒木華さん

 

 源倫子は、964年(応和4年/康保元年)に、左大臣「源雅信」と藤原穆子の間に誕生。天皇の血筋であったため、源雅信は源倫子を16歳年下の「一条天皇」の后にしたかったと言われています。

 しかし、母である藤原穆子の助言があり、藤原道長の妻となったのです。

源倫子は2男4女に恵まれ、長女である「藤原彰子」が、1000年(長保2年)に一条天皇の中宮(天皇の正式な妻)となりました。4人の女子は天皇に嫁ぎ、2人の男子はいずれも摂政・関白に任ぜられるなど、藤原氏は栄華を極めます。

 1000年(長保2年)、源倫子自身に「従二位」(じゅうにい)の位が与えられたのを皮切りに、1008年(寛弘5年)には夫の藤原道長より上の「従一位」へと叙せられ、さらに1016年(長和5年)に、夫とともに三后(太皇太后・皇太后・皇后の総称)に準じた権力を持ちます。

 源倫子は長命で、娘3人に先立たれたのち、1039年(長歴3年)に出家。亡くなったのは1053年(永承8年/天喜元年)で、90歳のときでした。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※二度目の登場です。まひろとけんか?別れ?のような感じの道長がその夜に行ったのが、源倫子宅でした。恋文もよこさずに行ったけれど、石野真子さん演じるお母さまが、侍女さんに道長が部屋に入るOKを出され、そのあとは道長が積極的に倫子さまにいくのかと思ったら、なんと倫子さまの方が肉食女子に変身!!道長の上に…という感じで、びっくり仰天でした(笑)

 

 

 

☆おまけ☆

 

藤原実資…ロバート秋山さん

 

 「藤原実資」(さねすけ)は、平安時代の公卿(上流貴族)で、藤原北家の嫡流である小野宮流を継いだ人物です。「藤原斉敏」(ただとし)の四男として生まれ、のちに祖父の「藤原実頼」(さねより)の養子となって小野宮流の莫大な家領を受け継ぎます。学識に優れ、権力にへつらわない態度から、当時の人々に一目置かれる存在でした。後世に残る大きな功績が、20歳の頃から約50年間にわたって書き続けた日記「小右記」(しょうゆうき)です。「藤原道長」政権の詳細な記録となっており、平安時代の歴史研究において非常に貴重な史料となりました。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※不適切のドラマでもそうですが、意外とロバート秋山さん、なかなか味わいある役者さんです。なんとも憎めない日頃のキャラクターのまんま…でも「赤痢にかかって、半分死んでおる…」と言われながらも、ふくよかなんですよね。枕絵を見ながらニヤッとする演技が最高でした♪

 

 

♪私の好きな歌♪

 

「ハートにファイアー」  ビリー・ジョエル

 

 いろいろ動画を聴いて楽しんでいたら、このなつかしい曲を発見!!

 なつかしいなあ。すっかり忘れていたけれど、リズミカルなこの曲いいですねー。

動画は、ビリーがサングラスをかけているけれど、なんとなく名優トム・ハンクスに見えてくるのが不思議!!この歌がヒットしたころは、ベルリンの壁が崩壊したりして時代の変革期だったのかな?今もいろいろありますけれどね。

 ずっとずっと平和であればいいのにな…💛

 

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

大谷さんの記者会見も注目でしたが、敬宮愛子さまが伊勢神宮や奈良に行かれたニュースも動画で楽しませていただきました。とてもさわやかで品格があって、すばらしいご訪問でしたね。しかしどうしてこれだけ大人気なのに、女性天皇の道がないなんて、ひどすぎるよ。日本!!この多様性の時代にね。天照大御神の神様、どうか敬宮愛子さまに光を!!お願いしたいです。たくさんの日本人はそう願っているのではないかしらん?

などと思いながらニュースを見ましたよ。

さあ今日もお休みをいただいて、お茶会に行ってきまーす。

桜も愛でたいですが、まだまだかな?つぼみかな?

次回は土曜日にお会いしましょう!

ごきげんよう。またね…♪