正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)
●旅行会社の方ですか?
手もとの宿泊予約表を広げて、北向き、トイレ隣りの部屋に、「小林様、1名」と書き込んだはずなのだ。それを、1等級か2等級にしろ、というのだから、どうしてそんなことまで事情が判るのか、と不安になるらしい。
「あのう、旅行会社の人ですか?」
と聞き返してくれる人が3人に1人。「この人は相当に旅慣れた人だぞ」と思わせれば、例え部屋は1等級にならずとも、せめて3等級くらいにはしてくれる(オフシーズン、部屋があいていればの話である)。もちろん「旅行会社の者です」などと嘘をついてはいけない。
(イラストはネット画像です)
📚私の読書📚
574冊目 『102歳、一人暮らし』 石井哲代 中国新聞社
よく寝てよく食べよくしゃべる。
こんなかわいいおばあちゃんになりたい!
「中国新聞」に“人生100年時代のモデル”として密着記事が連載され、RCCテレビ「イマナマ!」にも出演し、広島で大人気!
102歳の哲代おばあちゃん、初めての本。
自分らしくご機嫌に老いるためのヒントが満載。
尾道市の山あいの町で畑仕事をしながら一人暮らしを続ける哲代おばあちゃんの日常を追いながら、「長生きできる八つの習慣」「生き方上手になる五つの心得」「私らしくいるための五カ条」などを紹介。
哲代おばあちゃんの名言やチャーミングな写真がてんこ盛りで、読めば「うまいこと老いる」極意がわかり、元気がもらえます。
哲代おばあちゃんの「おいしい長生きレシピ」もカラーで掲載!
「老いるとできないことは増えるし、心がふさぐ日もあります。でもね、嘆いてもしょうがない。私は自分を励ます名人になって、心をご機嫌にしておくんです。人を変えることはできませんが、自分のことは操作できますけえな。そんなおばあさんのひとり言を集めたような本でございます。あの世で夫も大笑いして読んでくれとることでしょう」(はじめに より)
石井哲代(いしい・てつよ)
1920年、広島県の府中市上下町生まれ。20歳で小学校 教員になり、56歳で退職してからは畑仕事に勤しむ。近所の人からは、いまも「先生」と呼ばれている。26歳で同じく教員の良英さんと結婚。子どもはおらず、2003年に夫が亡くなってからは親戚や近所の人に支えられながら一人暮らしをしている。100歳を超えても元気な姿が「中国新聞」やテレビなどで紹介されて話題に。(アマゾンレヴューより)
🌟健康で長生きするための八つの習慣🌟
1,朝起きたら布団のあげおろし
わざわざジムに行かんでもええでしょ。運動じゃと思うてやっとります。
2,いりこの味噌汁を飲む
26歳で嫁いでから毎朝、必ず味噌汁を作ります。
※いりこの味噌汁…おいしいよね。私も大好きだけど、ついおっくう……。( ;∀;)
3,何でもおいしくいただく
子どもの頃から好き嫌いはありません。
※私も一緒!!…でも魚の皮は嫌い。残しちゃいます。
4,お天気の日にはせっせと草取り
天気のいい日はたいてい家の周りや畑の草を抜いています。雑草で荒れると家や畑がかわいそうな気がします。
※私もだんだんそういう境地がわかるようになってきました。でもなかなか動きませんが…。
5,生ごみは土に還す。
ミカンの皮や野菜くずを肥料袋にためて堆肥を作ります。土に還るもんはすべて還す。
…これで、ごみの量はえっと(ずいぶん)減ります。
※この考え方いいですねー。私も見習いたいです♪
6,こつこつ脳トレに励む。
ずいぶん前から、新聞に折り込まれている脳トレちらしで時々漢字の書き取りをやっとります。何度も挑戦したいから答えは別の紙に書くんです。今のところだいたい100点です。
※哲代おばあちゃんすごい!!私負けています。大体新聞はもうかれこれ10年くらい、ごみになっちゃうので、とっておらず…。仕事をやめたら、とろうかしらん?でもなあ、今の時代ペーパーレスだしな…。でも脳トレは大事ですね♪(私は、アメブロを続けることが脳トレ…( ´艸`))
7、良英さんと会話する。
20年前に見送った夫の良英さんの写真を枕元に置いています。目線が合うよう、ベッド脇のたんすの引き出しをちょっと引いて、そこに立て掛けているんです。なんとなく、眼差しを感じます。「よう頑張りんさるなあ」と、良英さんも褒めてくれとってでしょうな。
※私は、父の写真を枕元に置いています。父がいつも見守ってくれているような安心感がありますね。
8、柔軟体操をする。
思いついたときに柔軟体操をします。この脚も人よりようけ使うとりますが、よう動いてくれてじゃ、ありがとうと言いたいです。
※私は、とりあえずヨガを続けましょう!!月に2,3回ですが…ヨガをした日にはよい睡眠がとれますよ♪
哲代おばあちゃんの言葉…「今日も好日」「ありがとうの人生」
おばあちゃんみたいに年をとりたいですね♪
ありがとう!!かわいい哲代おばあちゃん。
575冊目 「大塩平八郎」~マンガ日本史 岩田やすてる 朝日新聞出版
~腐った役人に炎の制裁を!!~あげよ、救民ののろし
その1 大塩平八郎
大坂東町奉行所の与力。自分にも他人にも厳しく、公平で潔癖な人物。不正を憎む,熱い志を胸に秘めている。
その2 江戸の三大改革と幕府のゆらぎ
①享保の改革ーーー徳川吉宗
〇幕府の財政を立ち直らせた。
18世紀の初めの頃、幕府の財政は厳しくなり、旗本・御家人に給料として支給する米すら不足するようになった。
そこで、8代将軍となった徳川吉宗は改革を断行。財政再建を図ったほか、産業発展のための政策や法律整備を実施し、有能な人材を積極的に採用した。江戸の町の都市政策にも力を入れた。こうした改革により、幕府の収入は増加し、財政が立ち直って、江戸の町にも活気が増した。
②寛政の改革ーーー松平定信
〇厳しくしすぎて反感をかう
18世紀半ばに再び幕府の財政が悪化。老中・田沼意次が経済活動を盛んにし立て直しを図った。しかし、わいろ横行への批判が高まる中、天明の飢饉をきっかけに失脚。新老中・松平定信が改革に着手する。
飢饉対策のため農村復興に力を入れ、身分を問わず厳しい倹約を求め、政治批判を禁じて幕府の権威を高めた。その結果、幕府は立ち直ったが、あまりの厳しさに反感も高まり、定信は将軍・徳川家斉と対立して老中を解任された。
③天保の改革ーーー水野忠邦
〇猛反対されて失敗
19世紀になると幕府の力が衰え、天保の飢饉による百姓一揆や打ちこわし、元役人大塩平八郎の乱などが起こった。そこで、老中・水野忠邦が幕府の力を強めるため改革を始めた。
庶民の娯楽を厳しく制限し、商人の力を抑え、都市の近くに幕府の土地を増やそうとしたが、あらゆる階層の人々の反対にあい、わずか2年で失敗。これにより幕府の弱体化はさらに進み、やがて新しい時代の幕開けを迎えることとなる。
その3 大坂歴史博物館
大塩が生きた大坂の町の史料がいっぱいの博物館。江戸時代の町のにぎわいを再現した20分の1のミニチュア模型もあり、活気あふれる大坂の町人たちの暮らしを体感できる。再現した発掘現場での考古学体験などもおススメ。
💛私の好きな歌💛
「RPG」 SEKAI NO OWARI
なつかしい歌♪
今聴いても元気がでる歌です。
4月はなかなか仕事が忙しくて、
毎日遅いけれど、この歌を聴いてがんばりましょう。
いろいろあるけれどね♪
今日も見ていただいてありがとうございます。
今週は土曜日まで仕事があります。
うへっ―ですが…。ファイトです!
いろいろな変化に弱い私ですが…まあ楽しいこともいっぱい!!
笑ってすごしましょう!
次回は土曜日にお会いしましょう!
ごきげんよう!またね…♪