正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)

 

●旅のプラン

 

 基本的に、旅のプランは①夜(夕食前)到着 ②翌日午前中から昼過ぎまで見学 ③午後は次の目的地へ移動、というパターンを重ねて行くとよい。これが逆になり、午前中移動、午後見学、翌朝すぐに別の目的地へ移動、というパターンになると、どこの町でもどこの観光地でも、話し相手に全く会わないことになってしまう。旅の楽しさのひとつは「人との出会いや事件」なのである。その楽しさを期待していい。

 もっとも、疲れた心をひきずっての旅、人と口をききたくない旅なら、「見てから泊まる」旅の方が、その目的にかなっている。

 

(イラストはネット画像です)

 

 

 

📚マンガ世界の偉人「マザー・テレサ」~風屋カズヤ   朝日新聞出版📚

 

~最も貧しい人のために尽くした聖女~(インド)

 

 

その1 マザー・テレサ~貧しい人に愛をささげたスラム街の聖女

 

 世の中には、路上で生まれ、路上で暮らし、路上で死んでいく……。そんなひどい生活をしている人たちがいます。インドのコルカタ(カルカッタ)で、そういう貧しい人たちが集まるスラム街を歩き回り、彼らのために力を尽くした人、それがマザー・テレサです。

 

 

その2 日本のみんなへお願い

 

 マザー・テレサは日本にも何度か来ています。そして話しました。

「この豊かな日本のありあまるものを分けてほしいとは思いません」

 では、どんなことをしてほしいと言ったでしょうか?

 

①最初はほほ笑むだけでいい。

 

 「身近な人を愛してください。ちょっとほほ笑むだけでもいいのです。そこから愛がはじまります」

 

②まずは家族を思いやる。

 

 「愛は家庭からはじまります。お父さん、お母さんに感謝しましょう。きょうだい、友だちにやさしくしましょう」

 

③そして困っている人を助けましょう。

 

 「目の不自由な人がいたら、新聞を読んであげるとか、近くにいる人を助けてあげましょう。ひとりで暮らしているお年寄りにほほ笑みかけるだけでもいいのです」

 

 

その3 世界の平和のために~ノーベル平和賞歴代受賞者

 

マザー・テレサは、1979年にノーベル平和賞を受賞。

 

🌟ノーベル(1833~1896)

 

 スウェーデン生まれの化学者。ダイナマイトの発明や、そのほか事業の成功によって、たいへんなお金持ちになった。ノーベル賞は、この多額の遺産をもとに、ノーベルの遺言によって始まった。

 

 

1901 ジャン・アンリ・デュナン(1828~1910)スイス…第1回の受賞者

 

赤十字をつくった…現在の赤十字は兵士を助けるだけでなく、紛争地域や、地震などの自然災害で傷ついた人たちを治療するなど、人々の命を救うための活動を幅広く行っています。

 

 

1904 国際法学会 (1873~)…初の団体受賞

 

国を超えたルールづくり…国際法とは、国が違っても、ともに守らなければならない法律。とくに、戦争などの国と国の間の問題を解決するために役立ちます。この団体は国際法を作ったことで平和賞を受賞しました。

 

 

1905 ベルタ・フォン・ズットナー (1843~1914)オーストリア初の女性受賞者

 

平和運動のために力を尽くした

 

 平和運動のリーダーとなり、戦争反対や、人種による迫害の反対を訴え続けました。1889年には小説「武器を捨てよ」を発行。戦争の悲惨さを描き出すことで平和の大切さを伝えました。

 1875年から1年足らず、ノーベルの秘書をしたこともあり、その後も20年間、手紙のやりとりなどで交流が続きました。ズットナーとの交流がなければ、ノーベルは平和賞を思いつかなかったかもしれないといわれています。

 

 

1922 フリチョフ・ナンセン(1861~1930)ノルウェー

 

 ~45万人の捕虜を助けた~

 

 探検家であり政治家であったフリチョフ・ナンセンは、第一次世界大戦でロシアなどの捕虜となった45万人が自分の国に帰れるようにさまざまな手配をしました。また、戦争によって生まれた難民のために「ナンセン・パスポート」という特別な身分証明書をつくり、アメリカなどで暮らせるようにするなど、弱い立場の人たちを救済するための仕事を続けました。

 

1952 アルベルト・シュバイツァー (1875~1965) フランス

 

~アフリカで医師として働いた~

 

 ヨーロッパの国々に支配され、苦しい生活をしていた人々。シュバイツァーはそんなアフリカの人々の力になりたいと考え、30歳の時に医者になる勉強を始めました。そして、38歳でアフリカへ。鳥小屋を改造した粗末な場所で病院をはじめます。

 しかし、アフリカで病院を続けるのはお金のやりくりが大変だったため、ときどきヨーロッパに戻って募金活動もしました。シュバイツアーは、「すべての生命を尊敬し、大切にする」という考えをもち、「人間は、白人も黒人もみんなきょうだいだ」と言って、死ぬまでアフリカでの活動を続けました。

 

1964 マーチン・ルーサー・キング (1929~1968) アメリカ

 

~黒人差別をなくすために~

 

 黒人差別が当たり前のように行われていたアメリカで、差別をなくすために力を尽くしました。その活動は「決して暴力を使わない」というルールの下で行われました。

 

 

1974 佐藤栄作 (1901~1975) 日本

 

~唯一の日本人受賞者~

 

 1964~1972年まで内閣総理大臣を務めた政治家。「核兵器をつくらない、使わない、持ち込ませない」という非核三原則を強く推し進めたことが認められて受賞しました。

 

 

1993 ネルソン・マンデラ (1918~1999) 南アフリカ

 

~国による人種差別をやめさせた~

 

 南アフリカは、長い間、白人の支配が続き、黒人を差別するのが当たり前の国でした。これを「アパルトヘイト(人種隔離政策)」といいます。マンデラは、アパルトヘイトに反対し、ときには逮捕され,牢に入れられましたが、訴え続け、ついに国にアパルトヘイトをやめさせました。

 

 

1999 国境なき医師団 (1971~) 

 

~国を超えて人命救助に尽くす~

 

 戦争によって傷を負った人、貧しさのために病院へ行けない人などのために各地で診察や治療を行う団体です。彼らの行き先や活動内容は、国や人種、宗教に関係なく、政治によって決められることもありません。人の命が危険な状態にある所へ行き、人の命を助けるために活動しています。

 

2009 バラク・オバマ (1961~) アメリカ

 

~アメリカ大統領も受賞~

 

 アメリカは核兵器を持つ国。しかし、核兵器に頼らず、将来は「核のない世界」を目指さなくてはいけない、という考えを打ち出し、これを世界のリーダーとして推し進めることが認められて受賞しました。

 

 

 

 

♪私の好きな歌♪

 

〇映画「ゴッドファーザー」より愛のテーマ

 

映画も名作で有名ですが、実は見ていません。

でもこの音楽は昔からよく知っていました。

ロミオとジュリエットのニーノ・ロータの作曲ですね。

世界で慕われている名曲です。

映画がゴッドファーザーなら、マザー・テレサは、ゴッドマザーかな?

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

昨日は、久しぶりにふく農園の野菜を朝市にもっていきました。

朝市のスタッフのおじさんやおばさん、お客さんもみなさんもいつ行っても優しい!!

大好きな空間です。

お惣菜を出されている名物おばあちゃんも今は畑の野菜の手入れで忙しいとお元気そうでした。思わずちらし寿司とかおからサラダとかたくさんお惣菜を買ってしまいましたが、美味しい!!やっぱり朝市いいなー♪

次回は、火火曜日にお会いしましょう。

ごきげんよう!またね…♪