正観さんによると…。(旅じょうず入門…昭和57年)
●どんな旅でもすべて栄養になる
つまり2人は、時刻表とにらめっこしながら、途中の見どころに全て寄るプラン(実に能率的なものだった)を作成。その通りに旅を続けているのだった。宿には寄る10時に着き、翌朝6時に出発、などという日がある。
「楽しいですか」と私は聞いた。
「正直なところ、疲れましたね」と2人。
2人で喧嘩もしたらしいのだ。1人はここでもっと時間がほしいといい、1人はいやスケジュール通り動かないと目的地へ行けない、と主張し…。
このような旅を無意味とはいわない。先に述べたように、どんな旅であれ人間には全て栄養になる。この2人についていえば、次の旅からはもっとゆったりしたプランを組み立てるに違いないのだから…。
(イラストはネット画像です)
💛最近の私のありがとう💛
その1 12月のお茶会
お抹茶はお稽古のときの写真ですが、2か月ぶりにお茶会に参加させていただきました。
着物は薄桃色?かな。あごなしおばちゃんで、失礼します。
その2 枕流亭
この建物は、長州藩の藩主毛利氏が参勤交代時の際に山口の本陣として使用した山口の豪商・安部家の離れで、市内を流れる一の坂川の流れをのぞむ河のほとりにあったので「枕流亭」と呼ばれました。
幕末、七卿落ち、蛤御門の戦などで薩摩藩と長州藩の間に大きな溝ができていましたが、土佐の坂本龍馬らの仲介によって、両藩連合の話し合いが進められました。
慶応3年(1867年)9月、薩摩の藩士、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、大山格之介らが山口に来訪し、長州藩の木戸孝允、広沢真臣、伊藤博文、品川弥二郎らに迎えられました。薩長の藩士らは枕流亭の階上で薩長連合の密談をかさね、江戸幕府を倒すため連合討幕軍の結成を誓いました。
この枕流亭は、明治維新のあけぼのをつくった記念すべき建物です。枕流亭はその後2,3度の移築の後、昭和35年(1960年)に現在の場所に移されました。(ネット情報より)
※お茶会の場所のお隣にこの枕流亭があります。今回は、お茶を楽しんだ後、観光客さんにまぎれて、私も着物姿で行っちゃいました。
中には、歴史人物のボードが飾ってありました。
木戸孝允(桂小五郎さんですね)や伊藤博文は有名ですね。長州藩です。
この建物に、西郷さんや大久保さん、小松さんも来られたのね。
薩摩を代表する方々ですね。
枕流亭の2階から眺めた瑠璃光寺五重塔です。
この2階で薩長を代表する人々が話し合っていたとは…。
なんか感慨深いですね。
(ほうきとかが無造作に置いてあったのは、残念でしたが…。歴史のロマンが崩れていきそう…えへへ…)
その3 冬のいただきもの
お友だちのサクランボさんから美味しい東京ラスクをいただきました。
チョコや抹茶、いちごがコーティングされているラスクは特においしかったです。
あっという間に食べちゃいました。まったく食いしんぼうです。
サクランボさん、ありがとうございます。
また、バードくんのご両親からも静岡のみかんをたくさんいただきました。2人では食べきれないので、仕事場にも持って行ってお仲間に差し入れです。ビタミンたっぷりとって、風邪予防、コロナ予防にしちゃいましょう!!みかん大好き!!感謝です♪
♪私の好きな歌♪
「サライ」 谷村新司&加山雄三
昔から夏の風物詩24時間テレビのラストに聴く国民的な歌ですね。
谷村新司さんは、年相応に風貌がかわっていらっしゃいますが、加山雄三さんは私の子どものころから全然イメージが変わられない!
すごいなー。加山さん85歳谷村さん74歳これからもお元気でご活躍を願っています!
今日も見ていただいてありがとうございます。
またまた3年前に買ったドラム式洗濯機の調子が悪し!!
いやんなっちゃう!とりあえず修理のお願いをして、コインランドリーに朝から行かなくちゃです。日頃楽しているから、故障すると困っちゃうな―。
この土日は義弟が帰ってくるからなんか休日じゃないみたい!
残念だけどがんばろう!
(気をつかうのは苦手!でもまあ帰ってきてくれるだけでもありがたいことですね)
みなさんもよい休日を!
次回は、月曜日にお会いしましょう!
ごきげんよう!またね…♪