正観さんの奥様(小林久恵さんー株式会社SKP代表)によると…。

 

●ふだん通りの生活

 

 病気が重くなってからも小林は、活動のリズムを大きく変えることをせず、やはり家にはほとんどいませんでした。病院に行ってほしいと思ったこともありました。でも、小林は「みんなが私を待っている」と言って、「痛い」とか「つらい」とか言うこともなく,ただ淡々と講演に出かけて行きました。私も小林の意志を尊重して、淡々と、ふだんどおりの生活を送りました。

 

(イラストはネット画像です)

 

 

👣街道をゆく~32 仙台・石巻 ~ 「奥州王」政宗の都(宮城県)

   司馬遼太郎 朝日ビジュアルシリーズ👣

 

 

その1 「この地の近世の原形は、伊達政宗がつくったとしかおもえない」

 

 旧仙台藩領、今はほぼ宮城県。

 この地の近世の原形は、伊達政宗がつくったとしか思えない。それほど政宗の存在が大きく、その死後、遺臣たちが祖業を完成した。

「あとは、遊んでいたのでしょうか」

 歩きながら編集部の藤谷宏樹氏が小声でいった。せいぜい政宗から4代目の綱村(1659~1719)まで活性がみられる。もしそのあと遊んでいたとすれば、表高62万石の昼寝というべきで、これほど最大の寝姿はない。

 

 

 

その2 「仙台藩はそれほど沃土だった」

 

 この米一筋の盛大が、仙台藩の経済観を単純にした。

「殖産興業」

という多様な商品生産の事業が、江戸後期、西国大名のあいだで流行のように活発になるのだが、そういう時代でも仙台藩は泰然として米売り一本槍であった。

 私は、近代以前においては、商品経済の有無で、人情から文化まで違ったものになってくる、と考えている。商品経済がさかんであれば人々の思考法も多様になり、発想が単一的でなくなるばかりか、斬新な思想や発明もうまれる。

 

 沃土ノ民ハ材ヒズ。

 

 前記の「仙台物産沿革」の解題の中に引用されている古語である。解題には筆者名がないが、どうやら山田揆一という人らしい。

 筆者は,歴世の仙台藩が沃土の上に安住して殖産興業をおこたった、といいたいのである。

 仙台藩はそれほど沃土だった。

 沃土をいっそう沃土たらしめたのは、政宗とその余熱を受けたひとびとである。

 

 

その3 「桃山風の建築に接したければ 仙台へとゆけといいたいほどである」

 

 私が竹駒神社を拝したかったのは、その社殿が桃山風の建築であるときいていたからである。

「桃山様式」

というのは綺羅があり華やいでいながら、下品ではない。桃山風は豊臣秀吉の好みによって興った。

 豊臣のあとをついだ徳川家康には当然好まれず、時流のひとびとも秀吉の好みを否定することによって家康の時代に迎合した。このためこの様式は日本史上わずか十数年でほろんでいる。絵画史では多少の余風がのこったが、建築ではのこらなかった。

 ところが、仙台とその周辺に多くのこっているのである。

 伊達政宗が、この地に移植したのである。空襲で焼失した仙台城大広間や、おなじく焼失した政宗の廟所の瑞鳳殿、それに現存するものとしては仙台市内の大崎八幡宮、塩釜(竈が公用されている)神社、松島の瑞巌寺などがあげられる。こんにち、桃山風の建築に接したければ仙台へとゆけといいたいほどである。

 

 

その4 「芭蕉もまた、中世の歌枕の地を踏むべく、白河の関を越えるのである」

 

 古来、日本の名勝は、歌によってつくられた。そこが詠まれつづけているうちに、土地そのものが歌枕になる。松島も塩釜も宮城野も、王朝のころ、すでに歌枕第一等の地で、いわば詩による霊気を帯びていた。

 その霊気を感じなければ、歌詠みとはいえない。はるかな後代に生まれた芭蕉もまた、中世の歌枕の地を踏むべく、聖地巡礼のようにして白河の関を越えるのである。越えるとき「風流の初やおく(註・陸奥)の田植うた」という句をつくって『おくのほそ道』に挿入したのは、美の聖地へゆく覚悟を示したものである。

 従って、芭蕉は、奥州という歌枕の地や、あるいは歌枕そのものに対して、一グラムの皮肉も持っていないのである。

 当然、松島に対してもそうであった。塩釜から舟を漕ぎだしたときは、古人を思い、古歌を思い、心のふるえるような気分だったにちがいない。そういう芭蕉が、

 

松島や ああ松島や 松島や

 

などとノンキなトウサンのような句をつくるだろうか。松島の観光にたずさわる人たちは、今少し芭蕉に対して粛然たる気持ちをもってやってほしいものである。

 

 

 

その5 魯迅…近代精神を培った藤野先生の講義(中国における「近代精神の父」とも呼ばれる文豪・魯迅 一医学による変革を志して仙台に学んだ魯迅の進路を変えたのが,藤野先生による解剖学の実証的講義だった)

 

 私は、正岡子規が好きなように、魯迅が好きである。魯迅が、清末、他にも留学先があるのに、特に日本をえらび、それが明治期の日本だったことも、よかった。かつ江戸期の篤実な人間の心がなお生きていた仙台であったことに、天の配剤だったような感じが私にはする。明治と、大藩の旧城下町という条件なら、当然、藤野厳九郎教授のような人が、かれの前にあらわれ得るのである。

 

 

 

 

♪私の好きな歌♪

 

1027曲目 「ダンシングクイーン」  (再) ABBA

 

アバの代表曲でもあり、なんかうっとりするほど名曲です。

何度聴いてもいいですねー。

最近またABBAがクローズアップされていましたもんね。

昔はディスコでよくかかっていたのかな?

田舎なので、ディスコってほとんど行ったことがありませんが…。

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

今日1日がんばったら三連休!!

実にうれしいです。

うれしいこともありましたが、なんか心身ともにちょっと疲れちゃったな。

次回は、土曜日にお会いしましょう!

ごきげんよう!またね…♪