正観さんによると…。

 

●矢印が逆

 

 ところが、体に変調をきたしている人は、この矢印が逆。老いていく体に引っ張られて、魂も老いる。体が病むと、「私は病気なんだ」と、魂も病む。体が疲れると、「私は生きていることに疲れている」と、魂も疲れる。体が死にかけていると、「ああ、私は死ぬんだ」と、魂も死にかけるのです。

 

(イラストはネット画像です)

 

 

👣街道をゆく~25 播州揖保川・室津みち

   司馬遼太郎 朝日ビジュアルシリーズ👣

 

 

 

その1 「過去の歴史に ゆゆしい華やぎがある」

 

 もののあはれというものの定義には私はうといが、たとえば景観の場合、過去の歴史に ゆゆしい華やぎがあって、しかもその痕跡が、見る側の心象の次第ではわずかながらでも感じられるということでの何かを指すのかもしれない。室津は、そのことにいかにもふさわしい。

 

 

その2 「幼いころの記憶の景色には 神の憑り代といった匂いがある」

 

 「堀なんです。堀が埋め立てられて無くなっているんです。私の子どものころは、水のある景色でした」

 その堀に湛えられた水が、景色の中心をなし、安田氏の記憶のなかにおいても主調をなしていたかに思われる。いまは堀も水も取り上げられて埋め立てられ、しろじろとしたグラウンドの一部に化してしまっている。だれでもそうだが、幼いころの記憶の景色には 原始シャーマニズムのように神の憑り代といった匂いがある。数百年の老樹であったり、山であったり、また池や堀の青みどろの水であったりする。山崎に人口が増え、児童の数もふえ、学校が手狭になり、かっての山崎陣屋の樹木を伐ったり堀をうずめたりして敷地をひろげた。子どもの心を育てた憑り代がことごとくいまはなくなっているのである。

 

 

その3 「室津のさびれは、急変することがない。」

 

 店の前の道路が、雨のために斑に濡れている。それを眺めていると、竹久夢二が大正6年にここにきてそのさびれように驚きつつも驚きをそのまま感傷という質に変えてみせた頃と、五十余年後のいまの室津とのあいだに、ほとんど変化がないことに、あらためて驚かざるをえない。室津のさびれは、急変することがない。淀みの水がわずかに動く程度のゆるやかさでもって、この町は時間というおそろしいものに対し、懸命に踏みこたえているようにも思える。

 雨雲が去ったので、岬の加茂神社にむかった。

 

その4 「どの都市にも、原形的なイメージがある」

 

 どの都市にも、原形的なイメージがある。

 神戸とはどういうものかということを知りたくて、外国人墓地に行ってみた。

 墓地が観光資源でないことはいうまでもない。神戸の場合、市がいっさいを管理しているために、許可なく柵内に入ることはできないのである。

 このため、あらかじめ市役所に文書を出しておいた。目的は、墓参ということにした。

 墓地は巨大な公園といってよく、樹木も芝生もみごとに手入れされている。

 墓域をめぐってさまざまな碑の前に立った。関西学院の創始者の墓、日本で最初に靴をつくった人の墓、米国の初代長崎領事だった人の墓、日本の洋菓子の基礎を築いたモロゾフさんやフロインドリーブさんの墓、明治元年のいわゆる堺事件で死んだフランス兵11人の墓。今でもフランス軍艦が神戸に入港するとかならずこの墓に詣でるという。

 

 

その5 旧居留地

 

 大丸神戸店より南、フラワーロードと鯉川筋に囲まれたエリアは、かって、神戸開港にともなって開かれた総計4万坪に及ぶ「外国人居留地」の跡。居留地廃止後も外国銀行や海運会社がビルを構え、現在もレトロな近代建築が残る。各ビル内には建物の雰囲気や空間を活かしたショップやカフェなども多く、エキゾチックな気分での散策が楽しめる。

 

  

 

 

💛私の好きな歌💛

 

984曲目 「Tonight Is What It Means to Be Young」 (再) 

 

 作曲家のジム・スタインマンさんは、今年亡くなられたみたいです。

いい曲ですねー。なんかパワーをいただけます。

 

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

さあ、昨日は日本シリーズいい試合でしたね。

ヤクルトもオリックスも延長戦までもつれこんで名試合でした。

やっぱり野球っていいねー!!

次回は、火曜日にお会いしましょう!

ごきげんよう!またね…。