正観さんによると…。
●130万回ありがとう!
家族には電話を取り次ぐことも許さず、訪れる人がいても会わず、「ありがとう」を言い続けたのだそうです。
半年の間に、その数はなんと130万回に及びました。
130万回言い終わって、再び医者に目を診てもらったところ、傷が進行しておらず、視力も衰えていないことが判明しました。現在は、「とりあえず手術をしないで様子を見ましょう」ということになっているのだそうです。
(イラストはネット画像です)
👣街道をゆく~22 竹内街道 葛城みち~日本最古の官道
司馬遼太郎 朝日ビジュアルシリーズ👣
その1 「古代のシルクロードともいうべき道」
葛城山脈の鞍部に峠があり、峠の名を
「竹内峠」
という。そのため、竹内街道と江戸期によばれていたような記憶があるが、典拠はおもいだせない。が、いまでは国道何号線などというのだろう。ただし、国道何号線は大和高田までゆき、そこから北へ折れて穴虫越えをして河内柏原市へ出るのだが、古道である竹内街道は大和高田で北へ折れず、そのまま西走を続けてまっすぐ竹内峠にいたる。その大和高田・竹内峠間の道路はいまは枝道になり、道ざまは鄙びてしまっている。われわれはそれをとる。これが古代ミワ王朝や崇神王朝、さらにはくだって奈良期の文化をうるおした古代のシルクロードともいうべき道だからである。
その2 「はるかな昔から神霊のふる森として畏れられていたのであろう」
ところで、この森は、崇神王朝という大和勢力の隆盛期に、王家が直接にまつる社にされたというが、むろんそれ以前の、はるかな昔から神霊のふる森として畏れられていたのであろう。
その3 「竹内峠の山麓はいわば故郷のようなものである」
大和国北葛城郡竹内というのが、竹内峠の大和側の山麓にある。車はそこをめざしているのだが、私事を言うと、私は幼年期や少年期には、竹内村の河村家という家で印象的にはずっと暮らしていたような気がする。そこが母親の実家だったからだが、母親が脚気であったためその隣り村の今市という村の仲川という家で乳をのませてもらっていたから、竹内峠の山麓はいわば故郷のようなものである。
その4 「いかにも古代鴨族の本貫の地たるにふさわしい」
途中、野良しごとをしている老人に、
「高鴨さんはどこでしょう」
ときいて、なんとか右折する坂道をみつけ、山麓へちかづいた。このあたりまでくると葛城・金剛のすそ野は大きく、段丘水田の景観は雄大で、いかにも古代鴨族の本貫の地たるにふさわしい。
その5 「菜の花の沖」 司馬遼太郎 文春文庫
何度も読み返したくなる〝教科書”…喜早 哲(ダーク・ダックス バリトン担当)
その中でも、特に興味をもったのが『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛。商人の嘉兵衛は、北の海を切り拓いてロシアへ向かい、軍艦「ディアナ号」に拿捕された結果、艦長リコルドに出会う。このリコルドとの間に友情が生まれ、二人とも最後まで信頼しあう仲になるが、この辺りに、人種ではなく、人と人で分かり合える過程が実に見事に描かれている。私たちは仕事の関係で、何度もロシア(ソビエト連邦)へ行きコンサートを開いたが、共に行動したロシア人とのつきあいで、この作品に共感を覚えることが多々あった。ロシア人には素晴らしい人、親切な人も多かったが、ただしそれは「私」の場合で、その人が「公」に入った時、「マサカ!」と苦い思いを経験させられた。「公」と「私」の狭間で苦しむ紳士リコルド艦長のことなど、この作品の中にも理解できる場面が各所にあった。
💛私の好きな歌💛
971曲目 「テイク・オン・ミー」 ア~ハ (再)
あはは、大好きな曲です。
元気が出て、80年代を思い出すなつかしい歌!!
今聴いても全然古くない名曲ですね。
動画は、なんかのんびりした風景ですが…。
やっぱりいいねー!!
今日も見ていただいてありがとうございます。
昨日は文化の日でしたね。
ブックオフに初めて?いやずいぶん久しぶりに本を売ったら、
なんと3000円以上いただけました!!
うれしい!!ありがたい!!
また利用させていただきます。
次回は、土曜日にお会いしましょう!
ごきげんよう!またね。






