正観さんによると…。
●感謝している人
ストレスがない人=夢や希望がない人=感謝している人です。
毎日、何事も起こらず無事に過ごしているという奇跡。奇跡に気づき、感謝が始まると、それまでとまったく違った生き方になるようです。
感謝している人はストレスがない人。
ストレスがない人は、体も心も健康。
(イラストはネット画像です)
📚私の読書📚
465冊目 「2022年 土星人の運命」 細木かおり KADOKAWA
その1 開運の芽が大きく伸びるとき
現状に甘えていると運命のエネルギーが停滞するそうです。
その2 恋愛でいちばん大切なのは「心」の結びつき
無条件で尊敬できる人。安心できる人と信頼関係を築くことが幸せの形💛
その3 自分の思い描く未来に向かって努力を続ける
有益な自己投資にはお金をケチケチせずに使い、心身ともに輝く人を目指しましょう!
466冊目 マンガ日本史「黒田官兵衛」 池上遼一 朝日新聞出版
戦国一の天才軍師!
その1 黒田官兵衛
播磨国(兵庫県)出身の戦国武将。羽柴秀吉に仕え、秀吉の知恵袋として数々の戦で活躍する軍師。通称・官兵衛。出家後は、如水とも。
その2 戦を動かしたのはおれだ!
戦国大名を支えた軍師たち
①天才軍師・諸葛孔明
中国・三国時代の主に3世紀に活躍した天才軍師。字は孔明。蜀を建国した劉備とその息子,劉禅のもとで軍政を仕切った。劉備・孫権連合軍と曹操軍が戦った「赤壁の戦い」で活躍したと伝わる。劉備が3度、諸葛亮のもとを訪ね、軍師として迎え入れることに成功した話(三顧の礼)が有名で、豊臣秀吉は竹中半兵衛を迎える際にこの手法を使ったとされる。
②元祖軍師・太公望
紀元前11世紀頃に活躍した軍師の元祖と伝わる人物。名は呂尚。周を建国した武王に仕え、軍事を管理する役を担当して中国統一に貢献した。生涯で85編の兵法に関する書を著したと伝わる。
武王の父・文王は、釣りをしている呂尚と出会った時、祖父(太公)が待ち望んでいた人物だといって取り立てた。このことから「太公望」と呼ばれるようになった。日本では、釣り人を表す言葉にもなっている。
③竹中半兵衛重治
美濃の国(岐阜県)出身の武将。中国の兵法を学び、豊臣秀吉に数々の戦功をもたらした名軍師。
黒田官兵衛とともに秀吉の「二兵衛」と呼ばれた。1570年から秀吉に仕え、姉川の戦いや長篠合戦に参加し、豊冨な知識を生かして戦術などの助言を行って戦を勝利へと導いた。77年に始まった毛利攻めの時、播磨国(兵庫県)の三木城攻めの最中の79年に36歳で病死した。
④山本勘助
甲斐の国(山梨県)で活躍した武将。甲斐の虎・武田信玄に、兵法の知識を買われて重用された。信玄の家臣・高坂昌信が著したとされる軍学書「甲陽軍鑑」によると、1546年に、信玄が上野国(群馬県)の上杉憲政を攻めた碓氷峠の戦いに参加して活躍。後に信玄が、宿敵・上杉謙信と戦った川中島の戦いで戦死したと伝わる。実在の人物かどうかは定かではないが、近年、信玄の家臣に山本管助という人物がいたという記録が発見されている。
⑤片倉小十郎景綱
出羽国米沢(山形県)出身の武将。〝独眼竜”伊達政宗の幼少時代からそばに仕えた重臣。政宗が行った数々の戦に同行して知略を授けて政宗を助けた。1590年、秀吉が小田原の北条氏を攻めた時、出陣を求められた政宗は同盟する北条氏を裏切って参戦するか迷った。この時、伊達家存続を重視した小十郎の助言で政宗は出陣を決め、間一髪のところで秀吉の処分を免れた。59歳で没した。
⑥直江兼続
越後国(新潟県)出身の武将。越後の龍・上杉謙信と、その後継者・景勝に仕えた知恵者。豊臣秀吉に「天下を取ってもおかしくない人物」と称賛された。謙信同様、〝義”を重んじた。秀吉の死後、その遺言を無視して政権をわがものとしていた徳川家康に景勝が謀反の疑いをかけられた時、上杉家
の正当性と武門の意地を訴え、家康を挑発する文面の書状(直江状)を出した。終生上杉家の安泰のために働き、60歳で没した。
その3 姫路城
官兵衛が豊臣秀吉に献上した城。もとは小さな城だったが、秀吉が大改修を行い、大規模な城になった。江戸時代初期に建てられた天守や櫓など、多くの建造物が現在も残る。日本独自の城郭構造が評価され、法隆寺とともに日本発の世界遺産として登録された。
💛私の好きな歌💛
958曲目 「チェンジザワールド」 (再) エリック・クランプトン
この音楽いいなー。センスよくて好きです。
ジョン・トラボルタジのスマイルもいいね。
なつかしい!!
今日も見ていただいて、ありがとうございます。
やれやれ仕事も家もいろいろありますが、
まあ、ゆっくりのんびりがんばっていきましょう!
なるようになるさね。
次回は、土曜日にお会いしましょう!
ごきげんよう!またね。










