正観さんによると…。
●実践の人
良寛さんの目に映った仙桂和尚とは、「実践の人」であったということにほかなりません。ただただ実践の日々であった。
穏やかな人柄で、自分が人の上に立って何か立派なことを言うのではなく、へりくだって、行として野菜をつくり続けている人でした。否、「行として」ということさえも自覚はしていなかったかもしれません。
自分の生きざまは、ただひたすら野菜をつくり続けることであり、それを村人たちに喜んで食べてもらうことである、というように思い定めていたとしか思えないのです。
(イラストはネット画像です)
📚私の読書📚
391冊目 「涙がとまらない犬たちからのメッセージ」 ゆりあ(優李阿) (…にゃんこ先生)
KKロングセラーズ
その1 チョンキーは弔う犬だった。
チョンキーはとくに、犬のなかでもサイキック能力が高く、想念伝達の感知能力が優れていたのだと思います。近所のワンちゃんが亡くなったとき、鎖を切るほどの大騒ぎをして、器用に首輪をスルッと抜けて、一心不乱に亡くなった犬を弔ったのです。
亡くなったワンちゃんが、テレパシーによる想念伝達でチョンキーに最後のお別れを言いに来たのだと思います。チョンキ―は、亡くなった犬を弔う犬だったのです。
この世からあの世に旅立つための、最後のお別れの挨拶をして弔う、〝おくりびと”ならぬ〝おくりいぬ”だったのかもしれません。
※こういうことがあるのですね。にゃんこ先生のおかげで犬の世界の事もしばしわかりましたよ。
その2 プーちゃんも弔う犬だった。
プーちゃんはチョンキーの生まれ変わりだと確信した出来事が起こるのです。父が亡くなったときもそうではないかと思ったのですが、確信したのは、なんと猫のチャコちゃんが亡くなったときでした。
…大好きな、いつも一緒にいた仲良しのチャコちゃんを急に失ったプーちゃんは、チャコちゃんの亡骸の横にずっと付き添っていました。
その姿が、一瞬ですが、チョンキーに見えたのです。チョンキーはプーちゃんに生まれ変わって、約束通り私のところに帰ってきた。そう確信した一瞬でした。
私は、チョンキーが最後にテレパシーで伝えてきたメッセージを思い出しました。
「お前が一番大変なときに生まれ変わって必ずまたやって来るから、待ってろよ。
オレはいつもお前の味方だ。今度は長生きをしてずっと見守ってやるからな」
やっぱり、プーちゃんはチョンキーに違いない。それから、プーちゃんのことを間違えて、チョンキーと呼んでしまうこともありました。
チョンキー、いやプーちゃんは、私が交通事故で意識不明の重体になったときも、脳梗塞で入院したときも、どんなときも待っていてくれました。父の死のときも、チャコやほかの子たちが亡くなってからも、約束通りいつもそばで見守ってくれました。
※こういう感じわかるな~♪私もニャンちゅうや小太郎、外猫のごろにゃんやチャトラン、ちびくろちゃんの世話をしているようでいて、本当は私の方が元気をもらっている感じがする。見守ってくれているというか…。もしかしたらごろにゃんは、ぶーにゃんの生まれ変わり?ちょっとふてぶてしさと愛くるしさが似ているな♪
その3 にゃんこ先生のあとがき
…古代ギリシャの医学の父、ヒポクラテスの有名な言葉があります。
…(英語は割愛します。…英語苦手…byふく)…
(其れ其れの形は違っていても、生き物にはすべて全く同じ「魂」が宿っている。すべての生きとし生けるものの魂はまったく同じである。それぞれの身体は異なっていても。)
動物も人間も、命の重さはまったく同じなのです。
不幸になるために生まれてくる命などありません。みんな幸せになりたくて、この世に生まれてくるのですから。
犬や猫たちのことをよく知って、きちんと最後まで愛情をもって飼ってくれる飼い主が増えてきて、一匹でも多くの犬や猫たちが救われますように。
この本が不幸な犬や猫たちを少しでも減らすきっかけになってくれることを心より祈ります。
※本当はもっと切実なお話も紹介されています。でも私まだ紹介する勇気がありません。
ごめんなさい。しかしそれでもゆっくりだけど、にゃんこ先生にいろいろ教えてもらって、せめて私の身近な猫ちゃんたちだけでも幸せに楽しく暮らしてくれるようがんばります。
392冊目 「太平記」 さいとうたかを 中公文庫
その1 義貞の死、先帝崩御(後醍醐天皇)の事
鎌倉幕府を滅亡させたのは、新田義貞。
湊川の戦いで、楠木正成を死に追いやったのかな?
そして足利尊氏に負け、愛妾匂当内侍との別れを惜しみ、
最後は越前(今の福井県)の藤島の戦いであっけない最期を迎えます。
結局新田義貞も無念だったのかな?37歳…まだ若いね。
翌年、後醍醐帝は
「玉骨はたとい
南山の苔に埋もるとも
魂魄は常に北闕の天を
望まんと思う」
…の遺言を残して死去した。
52歳であったー。
我が骨は吉野山の苔に埋まることになっても、我が魂は常に京の空を仰ぎ見続けるだろう。
後醍醐天皇の陵墓は、奈良県の吉野山にある如意輪寺内にある。
敵対しながらも後醍醐天皇を敬慕していた足利尊氏は、京都に天龍寺を造営して天皇を弔ったという。
※また吉野に行くことがあれば、ぜひ後醍醐天皇にゆかりのある場所を訪ねてみたいな。
おまけに吉野の桜も見れたら最高だけど、人が多いでしょうね。桜の季節は…。
その2 高師直と吉田兼好
高師直は、非常に優秀な人物で特に武勇に関してはおそらく足利尊氏の最も信頼する人物の一人でした。
でも女性関係は悪評が高く、塩谷半官の妻を自分のものにしようとたくらみ、徒然草で有名な吉田兼好に恋文を代筆してもらったりするのですが、結局塩谷半官夫婦もろとも高師直の讒言のおかげで命を失ってしまう。
また、足利尊氏の弟の直義とも対立していきます。
※ここでも若き柄本明さんが演じていますね。
なかなか高師直も曲者ですが、柄本さんが演じるとまた憎々しいのでしょうね。
太平記は南朝寄りの視点が多いのですが、貴族たちは自分たちの存在を否定するバサラ(高師直たちこの頃の武人の流行り?)が大嫌いで、こういう悪評も多いのでしょうかね?
ただ偉くなると、傍若無人な振る舞いが多かったのでしょうね。
その3 足利尊氏と直義
兄弟の対立。
『太平記』の言うように、尊氏が師直一族の鎮魂のために直義を殺したのは明らかだろう。
直義の敗因は、尊氏の降伏条件を反故にしたにもかかわらず、良好な関係を取り戻せると思った点にある。この点だけ見ても、直義の人間洞察力は甘い。敵対勢力は徹底的に叩いておかないと、足をすくわれることになるのは歴史の必然である。それができなかったことだけ取ってみても、直義は天下人の器ではなかったのだ。(ネット情報より)
また、尊氏は戦場では死を恐れぬ勇敢さがあり、敵にも寛容に接し、無欲であるということです。
特に、下の人間から見れば実に魅力的な人物といえます。
ですから何度か尊氏は戦いに敗れていますが、それでも人が集まり、尊氏が陣頭に立てば皆(恩賞欲しさに)命がけで戦ったのです。
もっともこの尊氏の寛容さ、気前の良さは逆に室町幕府にとっては足かせとなった部分もあります。
具体的にいえば、尊氏は領地も気前よく与えたがために、室町幕府自体の直属軍をほとんど持つことができず、多くの領土を持つ守護大名の統制に苦心しました。
尊氏という人物には、他の幕府創設者である源頼朝や徳川家康のような冷酷さ、非情さといったものがほとんど見られません。その分、室町幕府という組織は不安定であったことは否めません。(ネット情報より)
※幼い頃は仲が良かった兄弟もいろいろな環境から仲が悪くなっていくのね。
本当は根っこは仲が良かったかもしれないけれどね。
足利尊氏という人物は、まだまだ未知の部分もあるので、興味深いです。
しかし、太平記…なかなか戦いに明け暮れるお話ですが、さすがゴルゴ13のさいとうたかを先生。
よくぞ劇画化してくださいました。なかなか顔と人物がやはりわかりづらかったですけどね。
でも劇的な表現力でしたよ。すこーし太平記わかってきました。おかげさまです。
ありがとうございました。
♪私の好きな歌♪
792曲目 「メイクユーハッピー」 Niziu
今年ブレイクしましたね。
歌もなわとびみたいなダンスもかわいい♪
日本と韓国の共同プロジェクトで誕生したガールズグループね。
今日も見ていただいてありがとうございます。
街路樹の紅葉が素晴らしくて、
昨日は車を運転しながら紅葉した葉っぱの雨みたいな風景に遭遇しましたよ。
あったかいけれど、もう秋から冬に向かっているのでしょうね。
次回は水曜日にお会いしましょう。
ごきげんよう。またね…♪








