正観さんによると、
「頼んでくれる人」はありがたい存在である
そうです。

 以前にも書いたように、「よき仲間に囲まれて、喜ばれる存在になること」=「人生のすべて」だそうです。ですから、達成目標や努力目標は必要ありません。みんなからの「頼まれごと」をしていればいいそうです。そして、たくさんの人にこき使われながら、疲れ果てて死んでいく。ただ、それだけです。

 私たちが生きる目的は「人に喜ばれること」ですから、「自分に頼んでくれた人」は、感謝の対象になるでしょう。
 しかも、目の前にいる友人が「何かを頼んできた」としたら、自分から「喜ばれること」を探しにいかなくてもいい。

 そう考えると、「頼んでくれる人」はとてもありがたい存在です。「頼む側」からすれば、「その人に任せたい」と思って頼んでいるのであって、それは「感謝」を与えているおとであり、喜ばれることなのです。

 そして、「頼まれ事をしてあげれば相手も喜ぶ」という、お互いに「よき仲間に囲まれて、喜ばれる存在」になれるのだそうです。

 
 私のありがたい存在 その1 仕事仲間 
 いろいろあるけれど、やはりみんなで力を合わせて取り組めることがあり、その中の一員というのは、ありがたいなと思っていますよ。いつか出会った上司に「チームで対応することの大切さ」を教えてもらいました。私たちの仕事は、一人では無理です。一人だと一人相撲です。毛利元就の三本の矢ではありませんが、やはり一人よりチームで仕事に取り組むと、最強ですね。

ありがたい存在 その2 ブログ仲間
 まだ出会って1年ちょっとくらいですが、たくさんのブログ仲間さんと交流しております。人に喜ばれているのかどうかは分かりませんが、今一番の頼まれ事は、よーちゃんファミリーの集合。すぐには無理だけれど、晩秋か冬、または初春にはぜひ達成したいの。頼むよ。忙しいMAICHAN。場所を提供してくれるみむちゃん。よーちゃんの願いを叶えてね。私はそれにのっかるだけ。ふくは、頼まれる存在ではなく人に頼んでいますね。あれあれ、いいのかな?

ありがたい存在 その3 家族
 これは仲間ではないけれど、やはり家族の存在はうれしい。どこの家にも悲喜こもごもあるでしょうが、家族の存在があるからがんばれる。親や義父母を看て、自分の老後を考え、子どもにはもう一度新しい人生を経験させてもらっているようなそんな存在です。