有料の頼まれ事がきたときには、「お金を受けとらない」のは傲慢なのだそうです。

お金は自分のものではなく、ただ通り過ぎていくだけです。
頼まれ事に対して、金額を提示されたときには、「ありがとうございます」と言って頭を下げ、「どのようにお金を使うか」を考えて生きていく。そうすれば、そのお金は生きたお金になると正観さんは、言っておられます。

「どうしたら売り上げが上がるのか」「どうしたらお客様が増えるのか」「どうしたら利益を確保できるのか」を考えるのではなく、「どうしたら喜ばれる存在になれるか」だけを考えるようにしたら、お金の入り方が変わってきたそうです。

どうも神様は、「喜ばれる存在になろう」と決めた人を、放ってはおかないみたいです。

さて話は変わりますが、私はいろいろな方のブログにコメントをするのが大好きです。時間があればコメントしています。コメント魔です。しかし受取手には、迷惑だと思われる方もおられて、コメントの難しさも痛感しております。

私が昨年次女の心の病気の時から、毎日絶えずコメントしてくださったのは、ふたご座ちゃんです。最近体調を崩されていて、しばらく途絶えていたけれど、今は少し元気になられて、またあたたかいコメントをしてくれています。ふたご座ちゃんのおかげで、私も常に前向きに生活ができました。次女も今では学校と両立しながら介護施設でアルバイトに励んでいます。ふたご座ちゃんが私にしてくれたように、私も少しでも皆さんに元気をあげることができたらと思って、コメント魔になりました。

まあいらぬお節介もあるとは思いますが、皆様これからもよろしくお願いします。

正観さんの言葉を引用するのは、あまりよくないことかも知れないけれど、それでもこの言葉で救われる人も多いのではないかなと思っています。ブログ友達のよーちゃんから、ふくちゃんが感動したことをそのまま書いていくと良いよと言ってもらい、私もそうかなと思っています。1回しか会ったことのない正観さんだけど、ニコニコして天国で見ていてくださっているのではないでしょうか。勝手な解釈ですけれど。