見えた。三間柄の槍を担いだ狸のしもべたちが、姿を現している。
 少しして、はっきりと敵の大隊列が視えた時、法螺貝が吹かれた。突撃の下知である。
 団右衛門は、雄叫びをあげた。走る。誰よりも速かった。敵も、突撃してくる。第一弾は、力の押し合いになりそうだった。宮本の方は、振り向かなかった。団右衛門に少しばかり遅れていようと、あいつは必ず後についてきているはずだ。
「豊臣方先鋒、塙団右衛門。先駆けの栄誉は頂戴した」
 団右衛門は、恍惚と共に叫んだ。そして、槍を振りかざし、闘いの火蓋を切った。
 敵は、塙団右衛門に恐れをなしていた。冬の戦役で、勇名を轟かせていたことが、今にも効果を発揮していたのだ。腰が引けて童のようになった人間を突き倒すのは、容易いことだった。
「塙団右衛門殿、背中は任された」
 宮本が、追いついていた。いつから、俺の背中を預かれるようになった。団右衛門は苦笑した。しかし、背中を気にせずに戦えるのは、有難いことであった。
 やがて、全軍がぶつかった。押し合いになる。団右衛門は、なるべく派手に敵兵を倒して行った。背中で、兵たちを鼓舞する。これが、俺の戦だ。指揮などできない。謀略奇略も使えない。俺の手に残っているのは、槍だけだ。
 眼の前の敵を突き刺し、頭上に掲げた。右手の膂力だけで、敵兵の海にそれを投げつける。鮮血が海上に雨を降らせた。まだだ。団右衛門は、豪華な鎧を纏っている指揮官らしき敵兵目掛けて槍を投げつけた。槍が、指揮官の首を貫いた。刀を抜き、真一文字に振り抜く。敵の首が二つ舞い上がった。刀を左右に遣いながら、指揮官に走り寄った。突き立った槍を、引き抜く。それを見せつけるように、頭上に翳した。野獣の如き、咆哮をあげた。明らかに、敵の顔が恐怖に満ちていた。
 団右衛門は、浅手を数えきれないほど受けてはいたが、背中の傷は一つもなかった。
「塙団右衛門。俺の名は、塙団右衛門だ。俺とここで槍を交えたこと、一家百年の誇りとせよ」
 背中を向けた敵兵に向かって叫んだ。
「腰抜けどもが」
 敵前逃亡とは、徳川の兵も落ちたものだ。しかし、普通の敗走とは、何かが違った。
「団右衛門殿、お戻りくだされ」
 宮本の声がした。その時初めて、団右衛門は事態を悟った。
 敵の最前列に、鉄砲が並んでいる。団右衛門は、急いで自陣に戻ろうとした。鉄砲には、敵わない。
 全力で駆けた。しかし、鉄砲の射程圏から脱出するよりも速く、火薬の音が轟いた。団右衛門は、死を覚悟した。惨めな死だとも思った。
 が、いつまでも痛みは感じなかった。それどころか、視界はいつまでも明瞭で、脚も動いている。団右衛門は、思わず後ろを振り向いた。それは、背後で何かが倒れるのと同時だった。
「団右衛門殿」
 かすれた声が聞こえる。
「背中は、お守りいたしましたぞ」
 宮本。団右衛門は叫んだ。
「団右衛門殿の背中には、団右衛門殿の名が、刻まれておりまする。それを、傷つけるわけにはいかぬのです」
宮本の体は、無数の穴が開いていた。助からないのは、誰の眼にも明らかだった。
「馬鹿野郎」
 団右衛門は、精一杯の言葉で、部下のことを罵倒した。
 そこまで、俺の名を。
 語りかけると、宮本は微笑み、少しずつその眼を閉じていった。
 敵の鉄砲隊が、第二発の構えを見せた。今からでも、射程外に出ることは不可能だろう。

 団右衛門は、宮本の体をそっと横たえると、ゆっくりと立ち上がった。槍を、頭上で一回転させた。敵に向かい、仁王立ちする。天に向かって、吠えた。
 泣いているのか。この俺が。
 俺のために、俺の名のために、闘ってくれた、友のために。

 二つ目の銃声が聞こえるのと、その咆哮が消えるのが、同時だった。

 塙団右衛門は、意気軒昂と槍を担いでいた。
 馬には、乗っていない。団右衛門は、歩兵であることが好きだった。兵たちと同じ視点でなければ、視えないものもある。朝鮮に遠征したときも、団右衛門は歩兵隊長だった。騎馬であれば一番先に敵陣に届くかもしれないが、それでは鉄砲に狙い撃ちにされる可能性が高い。
「団右衛門殿、いよいよで御座いますね」
 近くにいた、宮本が言った。その顔は、妙に引きしまった武者面をしていた。
「宮本よお」
 宮本を見ずに、団右衛門は応じた。
「俺について来るってことは、一番最初に死ぬ覚悟があるってことだぜ」
 心なしか、低く言った。団右衛門の声は、元来が低く、それをさらに低くすると、妙な凄味が増した。脅してるようでさえある。
 それでも、宮本は凛として答えた。
「承知しています」
 短いが、団右衛門はそれで全てを了承した。
「俺より先に、敵陣に駆けてみろ」
 自分でも、意外なことを言ったものだ。宮本も驚いているのが、見なくともわかった。
「争う相手がいないと、つまらねえんだよ」
 ぶっきらぼうに言うと、宮本は理解したように言葉を返した。
「ならば、拙者も見事、一番槍の栄誉を獲得してご覧にいれましょう」
 団右衛門は、高らかに笑った。
行軍中にである。それでも、周りの兵は怪訝には思っていないようだった。むしろ、全員が、同じ気持ちになったに違いない。

 気勢を纏った軍勢が、大股で歩いて行く。
 気勢の中心には、団右衛門がいた。



「伝令」
 斥候部隊として派遣されていたうちの一人が、息を切らせて駆けて来た。
「半里先に、敵影見ゆ。浅野長晟の軍勢と思われる」
 団右衛門は、それを聞いて雄叫びをあげた。
 俺が、火蓋を切る。
 敵影見ゆ、の報せは、瞬く間に軍兵を縫い、全軍に伝わったようだ。燃え盛る闘志が、眼に見えるようであった。
 半里先、ということは、もう少しで団右衛門には認識できるはずだった。団右衛門は、遠眼が利く。四半里強の距離ならば、相手の表情まではっきりと見ることが出来る。
 前へと進む一歩一歩に、力がこもった。この大きな戦の、火蓋。今、それが団右衛門の大きな眼と鼻の先にあるのだ。
「宮本」
 傍らの好敵手に、団右衛門は声をかけた。
「走るぞ」
 宮本は、無言で頷いた。
 伝令を、走らせた。
紀州街道攻略のための兵である。この部隊の大将は、浅野長晟に任せてあった。
 おそらく、この部隊が、この戦の火蓋を切るだろう。最後の、戦である。家康にとって、またこの国にとって最後の戦になるだろう。
 にわかに、胸騒ぎがした。負ける戦ではない。自身の体調は、日ごろの管理からか、万全であった。戦の途中に倒れるということもないだろう。しかし、このざわつきは何なのだ。まるで、井戸水を頭からひっかけられたような寒気もする。それは背筋を走り、四肢を振るわせた。これは、いったい何なのだ。
 徳川家康。己の名を以て、天下に号令する時が、間近に迫っているのだ。
「さて」
 家康は、立ち上がり、軍配を執った。震えは、おさまらない。しかし、部下に悟らせるわけにもいかないのだ。
 脚を開き、息を深く吸い込んだ。
「行くぞ」

 戦が、始まった。



 豊臣秀頼は、裸城となった大阪城の天守から、出撃していく部隊を見送っていた。
 武芸は、苦手だった。人一倍大きな体躯で、膂力こそあるが、動きは鈍重だった。訓練は積んできたが、自分の限界を、知った。師匠となってくれた武将に、申し訳が立たないと思った。しかし、君主として、出来ることはしようと思った。古今や名暴の別なく、君主と呼ばれた者が著した書物を、読み漁った。君主とはどうあるべきか、何をするべきかを学ぶためである。書物の中の名君は、誰も強かった。強く生きていた。自分の弱さを、知った。
 守られることしか、知らない。父に、母に、家臣に、守られ続けて来た。それが、自分の弱さだとも思っていた。今すぐ、飛び出したかった。槍を持てば、人を殺せば、強くなれるのだろうか。戦場に行けば、強くいられるのだろうか。
 飛び出したい。あの隊列に、加わりたい。強く、なりたかった。
「秀頼、お前は、ここにいるだけで良いのです」
 いつのまにか側に立っていた母が、秀頼の顔を見て言った。
 やはり、母には隠せなかった。
「私も、闘えます」
 秀頼は、外の方を見ながら言った。
「分かっています」
 母が、静かな口調で言う。暗室から出てきてから、母はかなり落ちついていた。昔は、時折、突然気が触れたように狂ってしまう時があった。心が、毀れているのだ。秀頼は、そんな母に気を遣っていた。これ以上心が毀れてしまえば、もう死んでしまうに違いない。
「ただ、淀を、母を一人にしないでおくれ」
 秀頼は、きつく唇を噛み締めた。
 母が、小刻みに肩を震わせている。

 また、戦が始まるのだ。母の体を、心を、毒のように蝕む、あの時間が。




 佐助が、長らく帰ってきていなかった。最後にその姿を認めたのは、家康出陣す、の報せを持って来た時だった。あれ以来、佐助の姿はばったりと視えなくなってしまった。大金を積まれ、誰かに雇われたのか。忍びであるなら仕方のないことだが、幸村は少し不安になっていた。佐助の力なしでは、ここまでたどり着くこともできなかっただろう。妻も、少し気になっているようだった。食事の席で、佐助の名を出すことが度々あったのだ。
 しかし、幸村にはするべきことが山積みとなっていた。軍兵の準備こそ万端だが、戦の際の戦術、また戦地となるであろう場所の地形図も頭に入れておかねばならない。戦術に関しては、他の武将と協議を重ねている。特に、同じ場所を守ることとなっている、後藤隊との連携は、濃密にしておかねばならなかった。後藤は猛将で、実に見事な用兵をする。大阪で一、二を争う精強な部隊と言っても良いだろう。仲間として、友として、後藤は信頼の置ける人物だった。
 幸村、後藤は、奈良街道を担当していた。奈良街道は、京都から続く大街道で、秀忠の着陣した伏見城にも通じている。京都から出ている街道は、河内と奈良の二本があり、大阪への最短は河内であるが、奈良街道からの侵攻も充分に考えられた。
「幸村殿」
 家臣の一人が駆けて来た。
「塙団右衛門殿を先鋒とする大野治房殿の部隊が、紀州街道南下を開始」
 いよいよか。
 幸村は、自らの頬をたたき、気を引き締めた。
「わかった。武運を祈るを伝えておいてくれ」
 家臣は駆けて行った。
 時代が、終わろうとしている。豊臣が押し潰されるか、家康が時間と言う死神に連れ去られるか。いずれにせよ、この戦役で、時代は終わる。乱世は、ついに統一されるのだ。それを心のどこかで願っていないのは、武将の気概から来るものなのであろう。家族と人民の安心を思うなら、一刻も早く、安寧が訪れてほしい。
 時代か。
 呟いた。今まで空を照らしていた日輪が、地の果てに沈むようなものなのだろう。また新たな日輪が、輝き始めるのだ。大阪に来る前、己の存在など、ただの一影に過ぎなかった。光を受けたものの後ろで、ひっそりと息をひそめているだけの影に過ぎなかった。自らを輝かせる術など持たずに、時代と共に消えていくはずだったのだろう。しかし、豊臣は、そんな自分に、光を灯してくれた。冬と、夏。時代の中の、一刹那にも満たない時間かもしれない。それでも、輝けるのだ。時代の陽光の中で、照り返すだけではない光を、放つことが出来るのだ。
 恩に報いるには、戦場に立つしかない。立って、戦うしかない。
 幸村は、一つ息を吐いた。柄にもない、武人らしからぬことを考えていたと思った。
「旦那」
 いきなり名を呼ばれ、寿命が縮まる思いがした。
「やっと気付いてくれましたか。何回、呼んだことか」
「佐助、今までどこにおったのだ?」
 その姿を認めるまでもなく、佐助と気付く。
「ちょっと野暮用で」
 そう言って佐助は口笛を奏でた。相変わらず、悟らせてはもらえない。人に関心を持たせておいて、肝心なところは掴ませてもらえないのだ。
「で、どんな情報だ?」
 幸村が、溜息混じりに言った。
「さすが旦那、話が速い」
 佐助が、二本の指を立てた。
「良い情報と、悪い情報、どちらにしますか?」
「悪い情報を」
「良い情報ですね、わかりました。お話しましょう」
 何故聞いた、と幸村は言いたくなったが、ここは笑って誤魔化すことにした。
「徳川家康は、河内街道を進軍するそうです。奈良街道は、他の武将が務めるのでしょうねえ」
 奈良街道には、徳川の本隊は来ないということだ。
「なるほど、それは確かに朗報かもしれん。それで」
「悪い情報は、奈良街道は」
 幸村の言葉を遮るようにして言った佐助は、そこで言葉を切った。
「伊達政宗が参戦してきます」
 伊達政宗。十八歳の若さで伊達家当主となり、瞬く間に仙道一帯の覇者となった。隻眼にして、遅れて来た天下人とも称され、徳川最大最強の部隊と言っても過言ではない。
「旦那と同い年ですからね。何か、燃えるものもあるでしょう」
 当たり前だ。幸村は眼で訴えた。わかりましたよ、と佐助が首を振る。
 伊達政宗の勇名は、、どんなところにいても聞こえてきた。嫉妬すらも感じていた。同い年であるのに、この差は何だというのだ。一方は一介の武将の下に生まれ、他方は大名の下に生まれた。運が無かっただけなのか。しかし、戦場では絶対に負けない、という自負があった。
「まあ、俺はいつだって旦那の武運を祈っておりますよ、と」
 佐助は踵を返した。
「また、どこかに行くのか?」
 背中に、幸村は問いかけた。
「ええ、俺は忍びですからね」
 佐助が笑ったのが分かった。
「ああ、それから最後にもう一つ」
 幸村は、その背中にただならぬ気配を感じ、息をとめた。

「後藤又兵衛は、徳川に通じています」

 佐助は、いつの間にか消えていた。



 俺が、火蓋を切る。
 塙団右衛門は、高揚とともに戦支度を進めていた。
 大野治長の弟、治房が率いる別働隊の先鋒に、団右衛門は選出された。冬の戦役での部功を買われてのことである。治房隊は、最も早く、敵軍に接触する任を命じられた。大阪城の南、紀州街道を下っていくという任である。
 別働隊の役目は、ほとんど大阪城のみに狭められた豊臣の版図を拡大し、防御線を厚くするということだった。
 大阪城へ通ずる街道は、大きく二本ある。一本は、紀州街道である。もう一本は、大阪城の東、奈良から延びる奈良街道である。奈良街道は、途中京都から延びる河内街道と合流し、大阪、京都、奈良を結ぶ大街道となっていた。
 大軍を動かすには、広い道が必要になる。紀州街道と、奈良街道の二本を抑えることが、勝利を得る足がかりとなるのだ。さらに、街道を押えれば、逆に京都に侵攻することも容易い。
 愛用の黒漆の槍と、『塙団右衛門』と書かれた羽織。そして軽装の鎧。団右衛門に必要なのは、これだけだった。鎧は、鉄砲が主流になったこんにちの戦では、あまり役に立たない。火薬によって弾き出された鉄の球の威力は、厚い鎧でも簡単に貫通する。軽装と変わらないのだ。だから、動きやすく、槍を振るう邪魔にもならないよう、団右衛門はあえて鎧を薄くしている。軽い分、速く走れることもできる。一番乗りの手柄は、武士にとって何よりの誉であるのだ。
塙団右衛門の名を、天下に轟かせる。ついに、果たせる時が来た。
「団右衛門殿」
「おお、宮本じゃねえか」
 冬の戦役以来、団右衛門を慕い、側近のようになった男である。他にも、十名ほどが、団右衛門の家臣のようになっていた。
「我らの準備は整いましたぞ」
「俺もだ。しかし、上の連中の戦支度がほとほと遅い。待ちくたびれたぜ」
 団右衛門は、ただ一介の足軽のつもりでいた。指揮官になど、なりたくはない。武将が後列で兵を動かすというのは、団右衛門にとって甚だ疑問であった。なぜ、一番強い人間が、後方にいなければならないのだ。前線に出て、敵を打ち倒す。団右衛門自身がその役を買えば、自軍の士気は上がるだろうし、敵軍は恐れをなすだろう。味方の手本となればよいのだ。団右衛門の指揮とは、そのようなものだった。
「早く戦いてえなあ」
 団右衛門は呟いた。戦は、自分の名を上げる場は、すぐ近くにあるのだ。徳川。別段、恨みなどない。ただ名を上げるために好敵手だっただけだ。敵が、強者であればあるほど、団右衛門の体は紅に染まるだろう。

 いよいよだな。
 思ったと同時に、出陣下知を伝える使者が舞い込んできた。