動いた。
後藤は、陣の先頭まで来ていた。兵に、修羅の道を選ばせたのは、己なのだ。指揮官が、命を捨てるのを躊躇うわけにはいかない。
後藤は、後ろを張り返った。皆、精悍な顔をしている。
付いてきてくれるか。
問い掛けた。返事はない。しかし、眼で訴えてくる。後藤は、小さく笑った。
「ゆくぞ」
前を向き直り、槍を握り直した。頭上で、一回転させる。後藤は、雄叫びをあげた。敵の接近に比例して、後藤の武者震いは大きくなった。
鉄砲隊による、牽制は無い。大軍の厚みで圧し潰そうというのか。その驕りが、命取りなのだ。後藤は、鉄砲隊に点火を命じた。鉄砲は、楯の後ろで銃身を隠すように命じておいた。距離を測る。確実に命中し、かつ敵を貫ける距離になるまで、引き付けた。
「撃て」
下知と同時に、楯が下がり、鉄砲隊が姿を現した。その姿を認めて、退き返そうとしても、もう遅い。轟音と共に、敵兵が次々に倒れた。
「騎馬隊、出るぞ」
後藤は馬に跨り、鍛え上げた騎馬隊の先頭に立った。疾駆する。敵陣に、稲妻が走った。断ち割れていく。動揺しきった兵を付き伏せるなど、造作もないことだ。後藤は、鬼と化した。刹那の躊躇いもなく、雑草を刈るように、命を奪っていく。これが戦なのだ。残酷だ、と思う。しかし、刈る方も、刈られる方も残酷なのだ。麾下の兵たちも、眼が血走っている。五百の悪鬼は、草を刈り続けていた。
緒戦は、すぐに撃退した。そこで初めて、敵軍全体に闘気が漲った。
これからが戦だ。
後藤は、友の到着を待ち続けていた。
自分の位置を見失うほどの、濃霧は晴れた。
真田幸村は、すぐに自分の現在位置を確認させた。予定の、半分ほども進めていなかった。後藤の部隊は、見えない。後方の毛利勝永の部隊も、見えていなかった。
毛利を待つか、後藤を追うか。
幸村は思案した。後藤は、徳川と内通している。急いで追ったところで、罠ではないのか。こちらの兵力は三千強、相手は幾万の大軍であろう。
幸村の足取りは、ひどく重かった。
なぜ、援軍が来ない。
後藤は、焦燥していた。
山に拠っているため、地の利はこちらにあった。しかし、敵軍の兵力は無尽蔵と言って良い。こちらは、圧倒的に寡兵である。ちょっと小突く程度に攻め寄せてきたとしても、必ず死傷者はでるのだ。時間で、こちらの全滅は決まる。
また、攻め寄せて来る。何度目だろうか。後藤にも、家臣たちにも疲労の色が濃く滲んでいた。日輪は、ほとんど中天に差し掛かっている。
「出撃するぞ」
兵士たちには焦燥を悟らせまいと、声を張り上げた。
麾下の騎馬隊の数も、三百足らずに減っていた。鉄砲の弾丸も、すでに底が見え始めている。限界だった。味方が到着しなければ、すぐにでも全滅する。限界だった。
友よ、今、お前は何をしている。
「伝令、伝令」
幸村の軍勢を割りながら、一人の騎馬武者が、眼の前に倒れるように舞い込んできた。その背につけた旗印を見て、幸村は戦慄した。
後藤の旗印。
「お急ぎくだされ」
後藤の使者の言葉を、幸村は背筋の凍る思いで聞いた。二万の軍勢に、囲まれている。すでに、戦闘開始から、三刻が経過しているという。
後藤は、裏切り者でない。
裏切者ならば、どうして、徳川の大軍に戦いを挑むだろうか。どうして、徳川軍と結託して進路を逆走してこないのだろうか。
佐助の情報が、誤っていたのだ。己の、迷いゆえに、後藤は、友は、死のうとしている。忍びの情報を信じ、忠義の徒を信じなかった。
「駆け足始め。後方の毛利殿にも伝令を出せ」
幸村は、絶叫に近い声で下知した。
間に合ってくれ、間に合ってくれ。
軍勢など率いていなければ、単騎ででも疾駆していたというのに。
間もなく、戦闘開始から四刻になろうとしていた。
伊達政宗は、なおも小松山に拠って抵抗を続ける、あの軍勢を見つめていた。三千ほどいた軍勢は、もう二千にも満たなくなっているだろう。徳川の軍勢は、豊富な兵力を嵩に掛け、突撃を繰り返している。が、あの軍勢は崩れない。戦闘開始当初は、あの軍勢に闘気を感じなかった。しかし、今は、感じる。圧倒的な、猛虎と相対すような闘気が、軍全体から感じられるのだ。
また、徳川軍が突撃を始めた。小松山から、騎馬隊が出てくる。極めて、精強な部隊だった。それを直接指揮する、後藤又兵衛と言う武将に、政宗は内心惜しみない拍手を送っていた。実に見事な用兵をする。犠牲を最小限に抑えながら、かつ時間も稼いでいる。味方の到着を、今もなお信じて疑っていないようだった。
それにしても、と政宗は思う。いくらなんでも、遅すぎる。なぜ、敵の援軍が到着しないのか。真田幸村。お前はなにをしているのだと言うのだ。なぜ、この勇猛果敢の将を助けに来ないのだ。
しかし、徳川軍も焦り始めているように見えた。突撃を、前よりも頻繁に繰り返すようになっている。小松山から出てくる軍勢の中にも、銃弾を受けてもいないのに地に倒れ込む物がいる。疲労困憊なのだろう。限界は、とうの昔に越えているかのような表情だった。
「出撃しよう」
政宗は軍配を翳した。もう、あの軍勢を、楽にしてやりたかった。
「あの指揮官を、討つ。鉄砲隊、俺に続け」
政宗は、麾下の家臣たちを鉄砲隊に組み込み、自ら陣頭指揮を執った。
この戦では、政宗はほとんど手を抜いていた。闘う意志が無いと思われない程度の攻勢は見せたが、死傷者はほとんど出しておらず、兵も気力充分であった。
すぐに、前線に躍り出た。旗印を、高く掲げる。
あの、極めて精強な、後藤の騎馬隊が、こちらに進路を変えた。政宗は、小さく舌打ちをした。意表を突かれた。鉄砲隊の弾込めは、まだ十分ではない。
「前衛、ぶつかる直前に道を開けよ。麾下で、迎撃する」
距離を測らせた。後藤は、凄まじい速さで疾駆してくる。ぶつかる。手筈通り、道が開いた。麾下の千人は、騎馬隊だった。後藤は、道が開けたことに刹那戸惑いを見せたが、速度を緩めず、政宗の大将旗目掛けて突っ込んできた。
麾下を、動かした。壁のように立ちふさがるのではない。蒲団のように、包み込むようにして、後藤の突撃を防いだ。完全に、後藤の勢いは死んだ。
包み込む瞬間、後藤と馳せ違った。虎のような、眼をしていた。
「さらば、猛虎の将よ」
政宗は、振り返らずに呟いた。
轟音が、この戦いの終わりを告げた。