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「ちゃんと起きてますか?その声はまだ寝てたでしょ!遅れないようにしてくださいよ!」

 私は彼女のそんな元気で明るい声で目を覚ました。

 京都で再会する当日。彼女が東京に来るときと同じように、彼女が出発する頃に連絡を入れてもらうことになっていた。それが私へのモーニングコールだった。
 しかし、彼女のモーニングコールで目が覚めたということは・・・
 起きる予定の時間からだいぶ遅れていたことをそれは示していた。本来、すでに出発の準備が整ってから彼女の声を聞く予定だったのだ。あくまでも彼女のモーニングコールは滑り止めの予定だった。
 私はベッドから起き上がって急いで服を着替えて洗顔と歯磨きを済ませて部屋を出た。前日に荷物を準備していたのは幸いだった。充分間に合う時間だった。

 関東の空は相変わらず梅雨空だった。京都の天気はというと、土曜日が曇りで日曜日が雨という予報。なんとか雨さえ降らなければ、と淡い期待を抱きながら私は東京駅へ向かった。

 関東を出てから2時間ほどで京都駅に到着。事前に待ち合わせの場所は決めていなかったので、ホームに降りるとすぐに彼女に電話をかけてどこで落ち合うのか話し合う。私自身、数年前に訪れたことがあるのでだいたいの場所はわかる。結局京都駅北口付近で合流することになった。

 私は北口付近に辿り着いたが、なかなか彼女を発見することができなかった。お互い電話をかけあいながら何か目印がないかと必死で探し回る。もう、早く会いたくて仕方ないのに・・・。焦りがどんどん広がってくる。
 
 結局、二人が会えたのは、京都駅に隣接する伊勢丹のブティックの前だった。一時はどうなるかと思ったが、無事に会えてとにかく安堵した。相変わらず、お洒落で可愛い姿の彼女だった。また、胸がキュンと鳴ったような気がした。すぐにでも抱きしめたい衝動にかられたが、ひとまずそれは我慢して、私は彼女の手をとった。お互いに当たり前のように手を硬く握り合った。もう、余計な駆け引きなど必要ないのだ。

 例によってお互いの荷物をコインロッカーに預け、駅地下の喫茶で軽い昼食をとった。相変わらず食が細い彼女に、私のハムカツサンドを半分に分けて食べさせた。
 そこでしばらくガイドブックで本日の作戦を簡単に練った。最初は金閣寺、次は清水寺。時間に余裕があれば銀閣寺にでも行こうということになった。
 
 地上へ出ると、京都の空は予報に反して快晴だった。梅雨時期独特のジメジメと汗ばむ気候だった。手を繋ぐ片方の手には傘があった。邪魔でしょうがないものだが折りたたみ傘でもないので、さすがにコインロッカーに入れるわけにも行かず持ち歩くことにした。

 金閣寺までは市営バス(?)を利用した。伝統と現代が入り混じる、奥ゆかしい光景。二人はバスの一番後ろを陣取ってそんな京都の町並みを眺めながら笑顔で囁き合った。彼女は京都についてはかなり詳しく、私にいろいろと無邪気に説明してくれた。私は彼女の腰に腕を回してそれを聞いた。その、無邪気な様子が、可愛くてしょうがなかった。

 そして、彼女がふと私の方を向いた瞬間だった。
 私は彼女にキスをした。彼女は一瞬驚いた様子だったが、その後は私に体を委ねるようになった。私はその彼女を頭を抱きながら、何度も何度もキスをした。ちょうど、一ヶ月振りのキス。会えなかった辛さが爆発しそうになったが、ソフトに、愛を込めて唇を交わした。彼女の目は、うっとりしているように見えた。

「グロスが付いちゃいましたよ?」

そう言って彼女は私の唇をそっと指で撫でてくれた。

 金閣寺はバス停からしばらく歩いた場所に入り口がある。中に入った後も、しばらく距離を歩く必要があった。初めて見る金閣寺に私は相当関心を示したが、照りつける太陽が、私の体の水分を容赦なく奪っていった。服はすぐにびしょびしょになるほど大汗をかいた。彼女も私の汗かき性に驚いた様子だったで、ハンカチを貸してくれようとしたが、それでは収まりきらない量なので途中のみやげ物屋でハンドタオルを購入した。「新撰組」と書いた青いハンドタオル。私はそれですぐに汗を拭った。

 そのハンドタオル。語りつくせぬ程の楽しく幸せな時に購入したハンドタオル。体から出てくる幸せという名の水分を拭き取ってくれるハンドタオル。そんなハンドタオルが、後に思わぬ形で使用されることになろうとは、その時は想像もつかなかったけれども。

 金閣寺を見終わると、再びバスで京都駅へ戻った。そこから再び乗り換えて清水寺へ向かった。その後はひたすら歩いて祇園の街を抜けて、かわらまち方面へ歩を進めた。

 街には人があふれていた。こんな情緒深い地に、こんな街があったんだ・・・。初めて歩く京都の繁華街。周りには仲睦まじく歩くカップルがそこかしこにいる。手を繋ぐ者、肩を抱き合う者、腕を組む者、一定の距離をとる者。様々な形のカップル達。二人はそんな暖かい光景によく馴染んでいたであろう。私はどこか遠い過去に置き去りにしてきた純粋な恋の暖かさをじっくり堪能していた。そして、私にぴったりと寄り添って歩く彼女の手や肌の温もり、そして優しさ。こんな幸せを感じたことはかつてあっただろうか。二人の恋は複雑なものであるが、とにかく今を大事にしよう・・・面倒なことは考えまい・・・。

 そんなことを考えながら大丸デパートのパスタ屋に入って早めの夕食をとることにした。
 気付けばこの暑さの中、よく歩き回ったものだと自分たちで関心するほどだった。歩いている間は、楽しくてしょうがなかった。歴史に触れるのもよかったが、何より二人でいることが楽しくてしょうがなかったのだ。だからこそ、疲れを忘れて歩き回れたのだ。
 
 会計を済ませて外へ出ると、すっかり日が暮れていた。さすがにもう歩き回るだけの体力は残っていなかったので二人はホテルへ向かうためにバスに乗り込む。そして再び後ろに陣取って、また熱いキスを交わした。何度も何度も・・・

 その日は、東京の夜とは違って酒を飲まなかった。特に飲みたいと思わなかったということもあるが、理由はもう一つ。今夜は酔って彼女を見るのではなく、平常な気持ちと目で彼女を見たかったから。
 今度はどんな夜になるのか・・・。東京のデートとは質の全く異なるドキドキを感じながら、予め予約しておいたホテルに向かった。

 ホテルに着いてチェックインしてから二人はそれぞれの部屋に入った。東京の時とは違って、部屋は廊下を挟んで向かい同士だ。どんな夜になるかは予想もつかなかったが、少しでも彼女を近くに感じられる場所の方がいい。先月のような出来事が再発しても、彼女に対する心配は少しでも和らぐだろう。
 私は部屋に入ってすぐにその汗まみれの体を熱いシャワーで流した。

 そして、電話で彼女に伝える。

「落ち着いたら、こっちにおいでよ。」
「はい、じゃあもう少ししたら行きますね?」

 時間はちょうど8時をまわった頃だった。
 東京の夜よりも、永い夜が訪れようとしていた。
 
 私はベッドに寝転んで天井を眺めながら物思いにふける。

 再び夜がやってきた。二人きりの夜。お互いの気持ちは確認済み。京都の街を歩きながら感じていた、彼女を抱きしめたいという欲求。やっとその時間が訪れた。もう、何もかも忘れて、彼女のことだけを考えよう。今、彼女は私と一緒に過ごしたいがために同じホテルに泊まっているんだ。もう、何も彼女の気持ちを探る必要などないじゃないか。

 酒も飲んでいないにも関わらず、体からは大量の汗が吹き出ていた。部屋が暑いのもある。風呂上りだというのもある。そして、体中の血液が、ドキドキで湧き上がっているようだったから・・・。
 
 備え付けのバスタオルは、汗か水かわからないほど、びしょびしょだった。

 早く、早くドアをノックして欲しい。早く、早く私の前に現れて欲しい。早く、早く君を感じたい・・・

 彼女が現れるまでの時間が、私には数時間もかかったように感じられた。
 
「私の今の気持ちはこの曲に詰まってます!」

いつものメールのやりとりで、彼女は一つの曲を私に紹介してくれた。今や大人気、倖田來未の「恋のつぼみ」だった。私は最近の曲に疎かったが、ドラマで使われていたので聴いたことはあった。すぐさま携帯にダウンロードしてみた。

”めちゃく~ちゃ~好~きやっちゅうね~ん~ 月曜日も火曜日も~
 誰に~も~負~けへ~んの~に~ 心のさ~けび い~つ~伝えれば ~ いいの ね~? 会うだけで~ ドキドキに勝て~な~い”

こんな詩だったんだ・・・。私は基本的に音楽を聴くとしても、あまりその詩の内容について興味をもったことがない。メールの着ウタに設定している「いきものがかり」の「さくら」も、はっきり言って歌詞などほとんど頭に入っていない。しかも、「さくら」は季節はずれだ。彼女の紹介してくれた曲をじっくり聴いてみてやっとその内容を理解した。彼女の私に対する想いって・・・。その言葉を直接彼女の口から聞けるのもいいだろうけど、こうやって歌で表現されて聴いてみるのも悪くなかった。あまりにも積極的な愛情表現に驚いたが嬉しくてたまらなかった。すぐに彼女の電話の着信メロディとして登録した。

 部屋の机に置いてある卓上カレンダーには、その一日が終わる度に×をつけていた。 この時点で、この長かった3ヶ月の出張も残り一週間を切るようになっていた。×で埋め尽くされるカレンダーを眺めると、思ってみれば短かったと感じるようになっていた。それほど今の生活に馴染んできたということだ。そして、馴染めたのも、他でもない、彼女のお陰であった。
 
 そのカレンダーには、彼女と再会する6月最後の土日には、しっかり赤で○をしていた。それまでに簡単にお互い計画を練った。あまりきちんとしたものではないけども、私のリクエストとして、金閣寺と清水寺を一応挙げておいた。定番中の定番。正直言って、デートの場所なんて二の次だといっても過言でなかったのだ。彼女と一緒に居られることが、一番の目的なんだから。あとは自由きままに思いつく所に行けばいいと思った。これ、東京のときと一緒。
 
 私は今回も宿泊先を手配することにした。これを探すだけでも何だかうきうきしたものだ。そこで今回も彼女に聞いてみた。

「ダブル部屋でいい?」
と。答えはやはり、
「シングルのほうが・・・」
だった。
今回はちょっぴり期待を込めたつもりだったが相変わらずの答えだった。値段もそこそこ、場所もそこそこのホテルを確保した。
 あとはその日を待つばかり。仕事にも力が入った。彼女に再会できる時には仕事も落ち着いていて、帰り支度をするくらいの日程なので、充分デートに専念できるはずだ。

 いつもの会話の中で、彼女はこんなことを言っていた。

「ムキムキになってみてください!」

そんな腕に、デートのときに組んでみたいそうだ。私は学生時代まではバリバリの体育会系だったが、仕事をし始めてからというもの、腕は太くてもめっきりヤワヤワになってしまっていた。そのため、ここ数日の間、毎晩ランニングや腕立て伏せを欠かさなかった。少しはマシになったようだ。彼女の期待に沿えるかどうかは別だけど。

 あとは数日待つばかり。体には悪いが、寝る前のビールがとてもおいしく感じられた。

 酒に酔ってドキドキなのか、彼女にドキドキなのか、よくわからないままベッドで横になった。夢の中に彼女が出てくることを祈って。


 
 お互い自分の気持ちに正直になろう、と言うことになって以来、私の出張先での生活は一変した。それまで忌々しく感じていた一人暮らしが非常に楽しく思えてきたのだ。そこでの仕事は辛かったけれども、気持ちが全てにおいて前向きになってきたために、難しいものでも順調にこなせるようになった。胃の痛みも解消して食事がおいしくなった。見るもの聞くもの全てが楽しいと思うようになった。何でも彼女と繋ぎ合わせることで、視野が開けたような気がした。じめじめした鬱陶しい梅雨でさえも幸せに思えた。そこでの生活=彼女のようなものだ。
 また、二人の会話の中で、彼女は芸能人の誰に似ているか、という話題になったことがある。彼女曰く、「最近エビちゃんとか、小西真奈美に似てるって言われました」とのこと。言われてみれば確かにその二人を足して二で割ったようにも見える。そう言われる前に私自身、テレビでその二人を見ると必ず見入ってしまっていたことを思い出した。自分では気付かなかったのだろうが、深層心理で彼女と照らし合わせて見ていたのかもしれない。その会話以来、その二人のファンになってしまった。

 もう、心の中全てが彼女で染まっていた。


 ただ、まだ私の心の中につっかえているものもあった。彼女の彼氏のこと。私の場合、この頃妻や子どもとの接触といえば電話で話をすることくらいだ。例え会おうとしても物理的に不可能だった。彼女は、といえば、お付き合いをしている彼とは声をきくだけでなく、当然顔も合わすことになる。私以上に複雑な心境を抱いているのは確かだ。私は会わずに済む分、まだその罪悪感や複雑な心境を生で味わうことなく済んだ。そんな彼女を想うと胸が痛んだ。
 しかしながら、以外にも、いつもやりとりするメールや電話の中でも、彼女がそんな心境を私に打ち明けることはあまりなかった。毎日ではないけども、普通に映画に行ったり買い物に行ったりしているようだった。そのため私が兼ねてから心配していた、彼らが別れてしまうような事態が起こる様子は感じられなかった。やはり、私の存在が彼女達の仲を引き裂いてしまうことだけは嫌だった。
 また、この頃から二人は以前にも増してメールや電話のやりとりが頻繁になった。それまでお互い勤務終了後にやり取りしていたが、朝や昼、夕食後、深夜、ほぼ一日中するようになった。もうすでに携帯電話が手放せない状況だ。そして、必ず一日に一回はお互いの気持ちを確認するようにもなった。メールでも、電話でも、必ず「好き」の一言。私はもともとそういう発言が恥ずかしくてしょうがない男でもあったので、なんとか口癖の「やべぇっすよ」で誤魔化そうとしたが、彼女はそれを許してはくれず、必ず「好き」と言わされてしまっていた。あまり乱発すると「好き」という言葉の重みが薄れてしまうよ?と忠告しても、許されなかった。そんな彼女の無邪気な言動が私は可愛くてしょうがなかった・・・。
 そのためか、彼女が彼氏の話題を話しても私はそれに対して嫉妬するようなことはなかった。彼女に会う前までは嫉妬したことがあったのに、だ。彼女の気持ち私にあり!で心に余裕ができていたのだと思う。

 そんな彼女中心の生活の中、彼女と電話で話をしている時、二人はある計画を練ることになった。
 
「東京で会ってから、まだあんまり時間経ってないけど、会えないから寂しいよ。まだそっちに帰るまでに一ヶ月もあるよ。」
「そうですねえ。私も会いたいですよ。一ヶ月も待てませんよ。」
「でも、しょうがないよなあ。遠いんだもん。」
「う~ん・・・。あ、そしたら、会えばいいじゃないですか!」
「え?」
「会おうと思えば、会えるじゃないですか!」

確かにそうだ。会おうと思えば会えないことはない。ここでは自由に時間を持てている。不可能ではないのだ。

「じゃ、会いますか!」
「そうです!会いましょう!」

話はとんとん拍子に進む。どこで会うかが問題だ。私の財布はいまだに若干の余裕がある。会うとなるとまたその費用を工面してあげる必要がある。再び東京に来てもらうには些か厳しかったので、思い付きで提案する。

「場所は・・・京都なんてどう??」
「はい!私も京都を考えてました!」

 そうと決まれば話が早かった。予定日は6月下旬。その頃は出張期間も終わり間近になっているが、地元に帰るまで会えないことを考えると一刻でも早く会いたかった。費用については、交通費についてはそれぞれが負担して、残りは私が持つことになった。
 
 ただ一つ気になったこと。それは、一ヶ月前、彼女が彼氏と訪れた京都であること。彼女の心境が気になった。

「でも、あの京都だよ??大丈夫?」
「う~ん・・・少し気になりますけど、構いませんよ?地理的にも多少詳しいですし、今度は私が案内しますから!どこに行きたいかリクエストくださいね!」

 こうして再会することが決定した。

 今度は東京で会った時とは明らかに状況が異なる。今、二人はすでにお互いの気持ちを確認し合っている仲だ。そんな二人が再び二人きりで会うということは・・・
 

 再び私の胸は大きく、激しく高鳴った。