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 職場復帰して数日後、思いもよらない幸運が訪れた。
 出張が終われば、人事異動で高知に転勤した同僚のところへ職場の若い人連中で遊びにいくことになっていた。出張前に決めていたことだが、私の提案。当然その中に彼女も入っている。それが結局、私と彼女を除いて皆都合により行けなくなってしまったのだ。願ってもないチャンスだった。また二人で旅行ができるのだ。私達はお互いひそかに喜んだ。約束していることだし、キャンセルするのも申し訳ないので二人で言ってくるよ、と同僚に話しても全く私達の仲を疑う様子もなかった。
決行日は7月中旬。もうこの頃には永く続いた梅雨も終わる頃だろう。

 そのことが確定した日の昼休み。私は彼女を昼食に誘った。彼女はこの暑い季節で体力が必要であるにも関わらず相変わらずろくに食事をとろうとしなかった。アイスクリームや飲み物で昼食をすますことも私が出張中にあったらしい。私はそんな彼女を心配し、ちゃんと食べるのを見届けるために誘ったのだ。彼女は嬉しそうに着いて来る。行き先は職場近くのパスタ屋。あまり堂々と一緒に居られるものでもないが、昼食を一緒に食べるくらいなら大したこともないだろうし、ここなら以外に職場の人間もまばらだったのでここを選んだ。
 メニューは日替わりランチを注文する。監視されている彼女は頑張って食べるのだが、結局半分食べたところでギブアップ。その残りを私が食べる。食後のコーヒーには、彼女が砂糖とミルクを入れてくれて混ぜ混ぜしてくれた。束の間だが、デートのような雰囲気と会話が楽しめた。
 
 その帰り道のこと。

「あ~あ。日のあたる時にこうやって地元で二人で歩けるのは、こんな時しかないんですかね~。」
「う~ん。そうだなあ。なかなか難しいよね。さすがに。夜ですら難しいかもしれないけどね。」
「もう!こうやって歩いてると手を繋ぎたくなっちゃいます!」
そうやって彼女はそっと私の腕に自分の手を組むそぶりをする。
「おいおい!やばいよ!駄目だよ~。」
「じゃあ、後ろから抱き着いちゃいますよ??」
「だから駄目だって!」

こんなやりとりは地元ならではのことだろうけれど、それが無償に嬉しかったりした。しかし、平日の昼間に手を繋いで歩くのは危険極まりない行動。我慢するしかなかった。

 彼女は職場のアイドル的存在だった。私の職場は男性ばかりで女性は彼女一人。素直で明るく、よく気の利く彼女。職場のおっさん達にセクハラまがいの事を言われるのは日常茶飯事だった。彼女はそれを笑顔でうまく受け止める。そんな彼女に対し、皆好感触を持っていた。私はそんな光景を横目で見ながらいつもニヒルな笑みを浮かべる。出張前は特にそんな光景を見てもほとんど何も感じることはなかったが、職場に復帰してからというもの、可愛がられる彼女を見るのが楽しかったのだ。また、私はそんな光景を見ながら心の中で、彼女は私と特別な関係なんだぞ?みたいな得意気な気持ちにもなっていた。まあ、結局彼女はどんな男性職員とでも気軽に話をしていたので、私と話をしたとしても別に誰も何も疑うことはなかっただろう。ただ私個人としては、彼女が私の横の机の椅子に腰掛けて私と話をしている時は、誰かに特別な目で見られているような気がしてならなかったのだが・・・。なので私はなかなか職場で自分から彼女に話しかけにくかった。だから昼食に誘う時はすれ違い様に小声と手まねで合図することが多かった。

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 私が出張から帰ってから時を同じくして、私の娘は保育園に通い始めていた。8月に入ると妻は育児休暇が明けて職場復帰するので、娘は8月からの本登園に向けての馴らし保育に通い始めたのだ。
 出張から帰ってきてからというもの、そんな娘のことで時間を割かれることが多かった。娘はまだ乳離れができておらず、夜寝る前は必ず授乳しながらでないと眠らない状態だった。保育園に通うにはそれを克服せねばならなかったため夜はいつも格闘だった。乳から離された娘は夜中中泣き喚いた。それをなだめてなんとか寝かすのは私の役目だった。妻が寝かすとついついかわいそうだと言って乳離れが進まないからだ。なんとか寝てくれた、と思って娘から離れようとすると起きてしまうというような状態が深夜まで続いた。なので私は夜はヘトヘトだった。
 
 彼女には、私が家に帰ってからでもメールはどんどんしてきてくれて構わないよ、と前もって伝えていた。しかしながら当初はなんとか夜中にメールの交換ができてはいたものの、娘を寝かす訓練が始まってからなかなかそれが難しくなっていた。娘が寝ると自分も一緒に寝てしまうパターンが多くなった。彼女もそれを気遣ってか、あまり帰宅後はメールのやり取りの回数が少なくなった。恐らく相当寂しい想いをしていたに違いない。
 その寂しさのせいであろう、勤務終了後、時間的に余裕のある日は彼女を家まで車で送り届けることがあったが、そんな時は決まって寂しく辛そうな顔をして私の腕の中で涙を堪えていたことが多かった。私はそれを見る度に胃がチクチクと痛んだ。苦しくなった。時にたまらなくなり、彼女と過ごすために人気のない駐車場で慰めあった。最後までいくわけではないけども、キスを何度も何度もしあいながら、私が彼女を何度も何度も愛撫した。そういう時はいつも悶々としながら彼女を送り届けねばならなかったが・・・。ただ、車を降りるときの彼女の仕草(腕をチョンと触ること)と、ありがとうございました、と言う彼女の笑顔を見れば、そんな気持ちもなんとか治まったものだった。
 
 そんなこともあって、私はなんとか彼女と一緒の時間を確保したかった。昼食は彼女がちゃんと食べるのを監視するのだ、とは言え、ただ一緒に居たかったのだ。そしてこの時決まった高知旅行の件。願ってもない一緒に居ることのできる機会だった。高知では同僚と会うけれども、その道中や、夜は必ず二人で過ごせる時間。いかにその時間を長くつくるか二人で考えた。

 よし!こうしよう!高知で昼から彼と一緒に3人で遊んで、夜は9時まで飲んでお開き!あとは自分達の時間。翌日早くかえる用事があるから、と言って飲みは早めに切り上げる!翌日は二人で高知散策だ!せっかく接待してくれる彼には申し訳ないが、一緒に過ごすことには換えられない!

 そうやって二人でちょっとした意地悪な計画を昼食の際に練った。


 帰宅後、私はさっそく例によって束の間の時間を利用してパソコンで宿を検索する。そして今回もわざと彼女にメールで聞いてみた。

「ダブルでいい?」
「シングルで!!」

相変わらずの予想通りの答えだった。

 私は灼熱地獄のような蒸し風呂状態の2階の部屋で、そのメールを見て一人で笑いながらホテルを確保した。
 

 体中から汗が噴出していた。


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 出張後、初の出勤の朝。外は朝から晴れてはいるものの、梅雨の空独特の暑い雲がところどころに見える。昼には蒸し暑さが待ち構えてくることだろう。我社は環境問題に積極的に取り組んでいることもあってエアコンの温度を毎年高めに設定している。私が出張中も、職場は南向きであることも加わって耐え難い空気の中で皆仕事をこなしていると彼女は言っていた。当然、7月になった今日も状況は変わっていないだろう。
 私は気合を入れて家を出た。

 通勤中、これから職場に顔を出して彼女と向かいあった時どういう態度をとろうかと考えた。まさか抱き合うわけにもいくまい。彼女もどんな態度をとるのか楽しみであった。仕事中もどうなるだろうか。いろんな光景が浮かんできて何かうきうきしたような気分になった。

 職場に辿り着くまでに様々な知り合いに出くわす。久しぶりだな、と声を掛けてくれる人、しばらく見ないから仕事辞めたんじゃないかと言う人。どこか注目されているみたいで照れてみたりする。
 私は例によって建物の裏玄関から入って、職場のある2階まで階段を使う。そこまで来て左に曲がれば私の職場だ。そして所属している部屋に入ると懐かしい光景が視界に入った。

 そして、一番にすれ違った人。

 彼女だった。

 
 あまりにもいきなりだったので私は心の準備ができていなかった。私が一番に発した言葉。

 「おはよう。」

私はもともと強面なので、平静を装っているつもりだったが、彼女にはその顔がどう写っただろうか。彼女の顔はと言うと、明らかに驚いた顔をしていた。
 
 「お、おはようございます。」

 たったそれだけの挨拶だけ交わしてすれ違った。一瞬笑いを吹き出しそうになったがなんとか堪えた。彼女もおそらくそうだったに違いない。
 ただ、あっけない職場での再会であったことには間違いはない。

 始業時間になると私は軽く職場の皆に軽く挨拶を述べ、さっそく仕事に取り掛かる。机の上には待ってましたとばかりの書類の山。出張の報告書もつくらないといけないのでその日はほとんど息つく間もないほど忙しかった。また、2ヵ月後に迫った大事な会議の資料作成など、復帰早々、上司は無理難題を押し付けてきた。ロッカーを挟んで後ろに座っている彼女のことを気にする間もない程だった。
 しかしそうは言っても、息抜きも必要だった。私は向かいに座っている後輩とコーヒーを飲みながら出張先での話をしていた。そうすると私の机の近くを彼女が通りかかった。彼女と目が会うと、その会話に彼女も加わってきた。一応、職場の同僚たちは私と彼女がメールで情報をやりとりをしていることは知っているようだった。そんなことは若い物同士ならよくあることだろうと皆思っているはずだ。当然我々が深い関係にあることなど知っているはずもないだろうけれども。だから職場で軽い会話を交わすくらいならなんでもない。後輩も別に怪しがることもなく、3人で会話した。
 その中で私は今がチャンスとばかりにお土産をリュックから取り出した。出張先で買った妙なお菓子だ。彼女に対抗したいと思っていたからだ。その名も「納豆チップス」。さっそくその場で二人に無理やり食べさせた。二人ともそれを食べて微妙な顔をした。してやったりといった感じだ。それと同時に、自分は彼女と出張中に皆が知らないうちに会って妙なお菓子を食べあっていたんだぞ、とういうような得意気な気分にもなった。どこか、彼女ととんでもない秘密を共有していることを皆に打ち明けてみたい気分にもなった。しかしそれだけは絶対に口には出せないけれども・・・。
 そんな気持ちになりながら、私たちは妙なお菓子を食べながら、ちらりと彼女と目を合わせてお互い一瞬だけれどもクスッと笑いあった。
 ただ、その後は彼女と職場で口を交わすことはほとんどなかった。お互い仕事をしているので当たり前のことではあるけれども、用事で席を立って彼女の姿が見えたときでも、彼女はどこか寂しそうな顔をしていることが多かった。やはり、まだ彼女は私が出張先から帰るときに彼女自身がいったことが気にかかっているのだろうかと思った。職場では会えるけれども私には帰る家があるということ。
 その寂しそうな顔を見ると、私は再びその不安を取り除いてあげたいと思った。

 その日の勤務が終わった頃、彼女はそそくさと帰り支度を始めて足早に職場を離れて行った。特にこれからの約束などしていないので無理もないが、話がしたいと思っていたので帰ってもらっては困ると思った。そしてすぐさま彼女にメールを入れた。

「もう帰るの?よかったら送って帰るよ?」
すぐさま彼女から返信が来た。
「ホントですか??えっと・・・どうすればいいですか??」

 私は職場から少し離れたところで待っているように彼女に伝えた。職場近くで彼女と一緒にいるところを誰かに見られたくないと思ったからだ。車に一緒に乗っているところなど見られれば必ず怪しまれるに違いなかった。

 私は急いで職場を出て駐車場に向かった。そして彼女の待つところまで車を走らせた。彼女を見つけると急いで彼女を助手席に乗せ再び車を走らせた。

「ありがとうございます。今日はいいんですか?早く家に帰らなくても。」
「うん。大丈夫だよ。職場復帰初日だから、残業があるって言っとけばなんとかなるよ。ところで君も今日は大丈夫なの?彼と会う約束とかないの?」
「私は大丈夫ですよ。それよりあなたの方が大丈夫なのか心配ですよ。」
「だから大丈夫だって!今日はもう会えないって思ったから早く帰ろうとしたの?」
「はい・・・。でも思いもよらないことで嬉しいです!」

この時改めて確信した。彼女が考えていることを。やはり私の家のことを心配していたのだ。そして彼女は決して私に無理を言わない子だと思った。たとえ一緒に居たくても、事情がわかっている分、自分の気持ちを押し殺しているのだと思った。そんな思いをさせていることがすごく可哀想で辛かった。また、胃がチクリと痛んだ。そして苦しくなった。反面、そんな彼女がいじらしくて抱きしめてたりたいと思った。

「このまま送ってかえるだけじゃあなんかつまんないから、どっかで話でもする?」
「はい!おまかせします。」

どこかの喫茶店でも入って話ができればいいのかもしれないが、やはり周りの目が気になるところ。結局なんのムードもない近くのスーパーの屋上に車を停めて、自販機のジュースを飲みながら話をすることになった。
 時刻は夕方6時をまわり、外は薄暗くなりかけていた。周りには買い物に来た人たちの車が駐車場を埋めていた。そんな中、我々は車の中で手を取り合いながらいつしか神妙な話をすることになる。

「今日会えたのは正直嬉しいです。でも・・・やっぱり出張中と比べたら違います。あなたの家のことも心配です。これからのこと考えると、辛いですよ・・・」
彼女は涙ぐんでいた。
「やっぱりそうか。なんだか、そんな君見てたら俺も苦しいよ・・・。そんな辛い目にあわすきっかけを作ったのは俺のほうだし・・・。俺も辛い・・・」
「ごめんなさい、あなたを苦しめるつもりはないんです・・・ただ、どうしていいかわからなくて・・・。ずっと前から考えてました。こっちに帰ってきたら辛くなるって・・・。でも、好きなんです。」
「前にも俺、言ったと思うけど、俺と一緒にいることで君を苦しめることになるんだよな。俺とこのまま一緒に居ても、君の将来の足かせになるだけのような気もする。いったいどうしたらいいんだろう・・・。苦しそうな君を考えるだけで苦しいよ・・・」
「私はただ一緒にいたいだけなんです・・・」
「俺もだよ。俺も好きなんだよ。」

そんな話をしながらいつしか二人は狭い車の中で肩を寄せ合っていた。

「今は・・・ただ自分の気持ちに正直になりたい。」
「私もです・・・」

私は心底辛くなった。大好きな彼女を今苦しめていることに。彼女自身も私が苦しむことが辛いのだ。今は・・・ただ今だけは、自分の気持ちに正直になりたかった。深く考えても絶対に解決しない悩み。いつまで続くかわからないこの恋を、お互い大切にすることで少しでもその辛さを忘れたかった。その気持ちだけはお互い同じだった。

 そして、あたりがすっかり闇に包まれた頃、お互い狭い車の中でキスを求め合うようになっていた。何度交わしても一向に物足りないような気がした。シートを倒して抱き合いながら、いつしか私は彼女の首筋から胸元にかけてキスをするようになった。彼女の口から溜息が漏れ出す。そして私は彼女の服をたくし上げ、彼女の乳首を口で愛撫した。

「駄目・・・だよ・・・服が伸びちゃうよ・・・」

私はそんな彼女の言葉に脇目も振らず続ける。彼女の声が車の中でコダマしているようにも聞こえた。そして、彼女のベルトを緩めてズボンの中に手を滑り込ませた。彼女の下半身を下着の上から愛撫すると更に彼女の声は大きくなっていった。下着の中に手を入れると、すっかり彼女は濡れていた。

「すごい・・・濡れてるよ・・・」

「あなたが・・・そんなこと・・・するから・・・」

彼女のズボンを膝まで降ろすと、私は彼女の中に指を入れて彼女への想いを爆発させるかのように何度も何度も動かした。汗だくになっているのもお構いなしに・・・。

 しかし、その日はそれまでだった。その時の二人の気持ちを確認し合うには、それだけで充分だった。気付けば周りの車はほとんどいなくなって、時計は午後9時になろうかとしていた。いったいどれだけの時間二人はそんなことを続けていたのだろうか・・・。時間が経つのも忘れて無我夢中になっていたのだ。私は汗だくになっていることにやっと気付いた。

 我に返った二人は少し照れくさそうにしながら、閉店間際のスーパー屋上から脱出した。そして、彼女の家近くまで車を進めた。

 彼女の家の近くまでつくと、昨日と同じように、彼女は別れを惜しむかのように私の腕にそっと手を触れた。

「ありがとうございました。」
「いえいえ、どういたしまして。また明日ね!」
「はい!また明日です!」

そう言って彼女は車を降りていった。今度は彼女が私の車を見えなくなるまで見送ってくれた。

 帰りの車の中で考えたこと。彼女は、こんなことで本当に不安がなくなるのだろうか・・・。少しでも一緒にいることで和らぐものでもあるだろうが、会えば会うほど、逆に余計に不安や寂しさが募っていくのではないかと思った。私とて同じことだけれども。ただ、彼女に辛い思いだけはさせたくないと思った。彼女の辛い顔だけは見たくない。その顔を見るだけで私の胃がチクリと痛むのだ。いつまで続くかわからないけれども、私にはその責任があるのだと自分に思い込ませた。

 時刻は9時30分を過ぎていた。家に帰ったときの妻の渋い顔が頭に浮かんだ。まだまだ、難問は重積だな、と思いながら私は家路を急いだ。

 車の中には、彼女のにおいが微かに残っていた。そのにおいが消えてしまうのがもったいないと思うくらい、彼女が愛おしかった。
 約2ヶ月ぶりの我が家だった。GWに帰省して以来だ。久々家族揃っての生活が再開することになった。煩わしい独り暮らしとはおさらば。
 しかし、我が家は私が出張している間に賃貸マンションから一戸建て住宅に引越しが完了しており、家に帰ってもどうも落ち着かなかった。4月から出張、7月から新居。どうも新しい生活続きで気持ちがついていかないのだ。ただ、2階には私専用の部屋が確保されていた。ここならタバコを吸いながらゆっくりできそうな空間だ。彼女との連絡のやりとりならなんとかできるかもしれないと思った。さすがに電話は難しいだろうけど。
 しかしながら、帰宅早々、私は2階に上がって彼女にメールではなく、電話を入れた。少しでも彼女を安心させたかったから。話す言葉は小声で、一言だけ「無事帰ったよ!好きだよ!」と伝えた。彼女はまさか私が家に帰ってから電話をしてくるとは思ってもみなかったようで、さすがにびっくりしていたけれども、電話の声からして嬉しそうな様子は感じ取れた。
 電話の後、この先私が家の中に居る間は電話は難しくなるだろうなと思った。多少の小声ならば下の階にいる妻には聞こえないだろうけれども、長時間の話をしていれば、怪しまれる可能性もあるだろう。事実、小声で彼女と話していても、聞かれていないだろうかとひやひやしたのだ。彼女が心配するのも無理はない。私は家に帰って家族と一緒になってやっとその現実に気付いたような気がした。だから今後は家族が寝ている間くらいならメールのやりとりくらいはできるだろうとは思った。

 
 私が帰郷した翌日。彼女は私の職場以外にももう一つアルバイトをしていた。スーパーの売り子さん。私は予告なしに彼女の働きっぷりを見に行って驚かせてやりたいと思っていた。また、いつでも会えると言う言葉を信じてもらいたかったというのもある。朝からその機会をずっと伺っていた。しかし現実はそうもいかなかった。家にいれば家事もある。子どもの面倒もある。私が一人で外へ出ようものなら妻の険しい顔が頭に浮かんできた。ましてや帰郷早々一人でどこかに行こうものなら私たちもどこかに連れて行けと言わんばかりの空気も漂っている。なかなかその機会を見つけるのは並大抵ではなかった。昨夜と同じく、現実を思い知った。
 しかし、幸い夕方になってそのチャンスは訪れた。いい言い訳が見つかったのだ。出張中、私は車に乗ることがなかったので運転の感を戻しにドライブに出たいと妻に伝えたところ、OKが出たのだ。一応、それまでの間、家事やら子どもの世話を必死でこなしたので、私の勝手も認めない理由は見つからなかったのだろう。

 私は急いで家を出て彼女のバイト先まで車を走らせた。時間からして場合によってはもう勤務は終わっているかもしれない。せめて家まで送ってあげられればという期待を持ちながら車のスピードを速めた。
 途中、信号待ちしている間に彼女の携帯にメールを入れた。

「もうバイト終わっちゃったかな?」

すると彼女からすぐに返信が入る。

「もう終わりました!今バス停でバスを待ってます。」

 間一髪だった。私はすぐさまハンズフリーで彼女に電話をかけた。

「実は今スーパーの近くまで来てたんだけど・・・もう間に合わないかな?送って帰りたいんだけど・・・」
「え!?そうなんですか?じゃあ、戻ります!」

彼女は相当驚いていた。予想通りだった。

 5分程してスーパーに到着して彼女を探す。すると、向こうからスーツ姿の彼女がこっちに向かって歩いてきた。東京・京都以来始めて地元での再会だった。私はすぐさま彼女を助手席に乗せて車を出した。

「お疲れ様!」
「もうびっくりしましたよ!まさか会えるなんて思ってなかったですよ!家の方は大丈夫なんですか??」
「大丈夫だよ。ほら!ちゃんと会えてるでしょ?」

そう言って私はハンドルを握る手とは別の左手で彼女の手を握った。

 彼女は心底喜んでいた。本当に会えるとは思っていなかったのだろう。反面、地元でこうやって会っていることに何か戸惑っているようにも見えた。私自身も見慣れた地元の景色の中で彼女と一緒に居ることに言いようのない違和感も感じた。おそらく周りの目というものを気にする必要が出てくることが原因だと自分自身で解釈した。この先、そういったことにも注意を払いながら過ごしていく必要があるのだ。

 この日はいくら再会したとは言え、長時間共に過ごすのはさすがに難しい状態だった。妻には数時間で帰宅すると伝えていたのだ。それでもすぐにそれでさよならはあまりにも辛かった。彼女の家の近くまで辿り着いてもしばらく遠回りして車を走らせることにした。

「遂に明日は職場復帰ですね!」
「そうだね。明日職場で最初に会った時、お互いどういう対応したらいいんだろうね。」
「そうですね。出張前までは職場でほとんど話もしたことなかったのに、明日になって急に二人が仲良かったら、職場の皆が怪しむかもしれないですね。」
「それもまた何かおもしろいかもな。」

 そういった会話をしながら、途中信号待ちの間に一週間ぶりにお互い唇を重ねあった。幸い後ろに車がいなかったので時間が許す限り重ねあった。

 同じルートを何周か走った後、車を彼女の家の近くの靴屋で泊めた。まだまだ一緒に居たかったが、なにぶん時間がない。彼女もそれをこころよく受け入れてくれて彼女を車から降ろすことになった。そして車から降りる前、彼女はこういった。

「じゃあ・・・。また、明日ですね。」
「うん。また明日だ。これからは毎日会えるよ?」
「はい。やっと空だった机の主人が戻ってきますね。なんだかドキドキします。」

そう言って彼女は別れを惜しむように、私の腕をそっと握った。まるで、今のうちにたくさん触れておこうといわんばかりに。そして彼女は車を降りて家に向かって歩いていった。私は彼女が見えなくなるまで車から彼女を見送った。途中、彼女は一度振り向いて手を振った。私もそれに応えて手を振ってクラクションを一度鳴らして帰路についた。

 遂に翌日から職場復帰だ。3ヶ月ぶりの職場。職場は見慣れた光景であろうが、3ヶ月前とは明らかに違う。私の机のロッカーを隔てて後ろには彼女が座っているのだ。ちゃんと平常心で仕事ができるのか心配だった。職場で彼女と顔を合わせた時、いったいどうやって接すればいいのだろうかと思った。深い関係になった彼女が居る職場。私の職場のほかの同僚からも可愛がられる彼女。実際職場に行ってみないとわからないなと思った。ただ、この関係はほかの誰にも知られてはいけない。なにか、そんな彼女と秘密を共有することが不思議に嬉しく感じられた。

 そんなふうにぼんやり彼女のことを考えながら帰宅した後、私は再び現実と向かい合うことになる。自分の子どものことだ。この世に生を受けてから一年と約半年。私が出張している3ヶ月の間に娘は思った以上に成長していた。体も心もだ。娘はその間に自己主張することを覚えていた。ようするにわがままを言うようになっていたのだ。それに対して私は娘を叱ってしまう。そんな私を妻が非難した。あなたは何もわかってない、と。そういわれて大喧嘩をしながらも私はふと我に返った。その間の娘の成長過程を私は知らないのだ。そのことが非常に悔しかった。その時間的なブランクも早く取り戻す必要もあった。いくら妻以外にも女性がいたとしても子育てには積極的に向かい合いたかったから。これからしばらく忙しくなるぞと思った。彼女のことも、家庭も両立するんだ、と。


 そして、この時も思った。なんとかなるさ・・・。きっと。