今週の問題

「エミールと探偵たち」「二人のロッテ」などの作品を残したドイツの作家は誰でしょう。

 

選択肢

・カフカ

・アドルノ

・ヴィトゲンシュタイン

・ヘッセ

・ケストナー

 

正解…ケストナー

 

解説

鞄職人の父エミールと理容師の母イーダとの間に誕生したと言われていますが、実の父がユダヤ人の主治医エミール・ツィンマーマン博士が母と不倫関係にあり、その間で誕生したといわれるケストナーはドイツの作家です。

教師になろうとしてましたが、第一次世界大戦が勃発して兵士として召集されることに嫌気が差して大学進学を決めます。学業の傍らで新聞の編集委員を務めつつ、詩や舞台批評を発表しました。大学卒業後はベルリンに出て、詩人として活動を始めます。


ひねくれた性格の関係上、辛辣なパロディなど数多く作品を発表してますが、恋愛をモチーフとした作品も発表していて、特に1928年、子供のための小説『エミールと探偵たち』が大評判になりました。これがきっかけで児童文学作家へ転身し、世界各国で何度も映画化され、世界で有名な作家として名を馳せる事になりました。この挿絵を担当したのが画家・イラストレーターのヴァルター・トリアー で、トリアー自身生涯の仕事になったそうです。
 

また、ベルリンの荒廃を描いた『ファビアン あるモラリストの物語』(1931年)も好評で、大人向けの小説家としての顔を所々で見せています。

ケストナーは自由主義者であることから、ファシズム主義のナチスが政権を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられます。父方を通じてユダヤ人の血を引いているため、本来強制収容所へ行かれる所ではあったのですが、「自分はドイツ人である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続け、スイスの出版社から出版したエピソードがあります。

そんなナチス政権もケストナーを苦々しく思っていたが、拘束などの強硬な手段を取ろうにもケストナー自身に人気があり過ぎて民衆の反発を買う恐れがあったため、ケストナーの著書を焚書にした際、子供たちに配慮して児童文学だけは見逃したり、変名でケストナーが脚本を書いた映画『ほら男爵の冒険』を制作したりしていたそうです。

戦後は初代西ドイツペンクラブ会長に就任し、1960年には『わたしが子どもだったころ』で優れた子供の本に贈られる第3回国際アンデルセン賞を受賞しました。

ケストナー自身が長年ルイーゼロッテ・エンダーレという女性と内縁で暮らしていたため、配偶者がいたわけではありませんが、『ふたりのロッテ』の主人公の双子姉妹(ルイーゼとロッテ)は内縁の妻の名を分けて名付けたエピソードは有名です。


ケストナーは1974年7月29日に死去し、ルイーゼロッテとともにボーゲンハウゼン墓地にそれぞれ埋葬されています。

 

 

チェコの小説家であるカフカの主な代表作は『変身』、『審判』、『城』などで、ドイツの作曲家や哲学者、社会学者であるアドルノは『文化産業』、『啓蒙の弁証法』といったアドルノ思想が有名です。

オーストリアの哲学者であるヴィトゲンシュタインはヴィトゲンシュタイン信仰主義やヴィトゲンシュタイン数理哲学が有名で、スイス出身の作家であるヘッセは『車輪の下』、『デミアン』、『荒野のおおかみ』、『少年の日の思い出』、

『ガラス玉演戯』といった作品の有名です。