今週の数値入力問題

プールで行うスポーツの一つに「ウォーター・ポロ(水球)」がありますが、1チームは何人でしょう。

 

正解…7人

 

解説

プールで行われる球技で、水泳競技の一種である水球は7名で構成された2つのチームがプールに作られたコート内で、ゴールにボールを入れあい点数を競う競技で、いわゆる「水中の格闘技」とも呼ばれている。

19世紀後半にイギリスで考案され、1900年の第2回パリ大会より夏季オリンピックの種目となっている。また、1974年から1994年にかけて日本体育大学水球部が376連勝したことが知られている(スポーツ無敗記録一覧を参照)。

19世紀半ばにイングランドで公衆浴場が各地に開設されると、そこを拠点とした水泳クラブがいくつも結成されました。1860年以降になると各クラブによる見世物として、水上イベントが盛んに行われましたが、その中でフットボールを水中で行っていた時期がありました。

しかし水中で足を使ってボールをコントロールすること自体困難だったため、対峙する2チームは決められたポイントまでボールをいかに運ぶかを競い合いました。そこでボールを運ぶにあたってあらゆる手段が用いられ、水中での激しいボールの奪い合いが繰り広げられたことから、「水中の格闘技」と言われるようになりました。

そこでイングランドのメトロポリタン水泳協会が1870年に、水中フットボールの名称でルールを制定し、1888年にはアマチュア水泳連盟によって現在とほぼ同様の水球競技規則が策定され、イングランドやスコットランドで水球が盛んに行われるようになりました。そして4年後の1892年にはイギリスで統一ルールが制定され、国際試合が行われるなどして競技化しました。

1チーム7人になった理由は様々ありますが、攻撃と守備のバランスを取りながら多彩な戦術を組み立てやすいことと、水球のプール自体一般的に広いためにプレー領域を広く使うことで選手は相手を避けてケガも同時に防ぎつつ、戦略的プレーを展開できる最適な数だったことからゴールキーパー1人+フィールドプレイヤー6人で決めたそうです。

 

「水球(Water Polo)」と呼ぶようになった経緯は、当時競技に用いられたインド製のゴムボールをヒンズー語でプル (Pulu) と呼んでいたため、それが訛ってWater Poloになったのではないかという説がありますが、定かではありません。

こうしてイングランドのクラブで水球経験者のジョン・ロビンソンが渡米して水球を紹介し、1894年にはロンドンで水球を学んだフリッツ・クニーゼが祖国ドイツで水球を広め、1895年にはイギリスの隣国ベルギーやフランスでも水球が紹介され、各地に広まっていきました。

組織化された形で発展するのは1898年になってからで、ハンガリーではイギリスの雑誌を見て水球に興味を持ったフュゼーレッシィ・アールパードが水球のルールブックとボールを導入して翌年初めてハンガリーで水球の試合が行われました。

ただイギリスで行われていた水球が導入されて、相似形として各国において発展していったのではなく、アメリカでは柔らかい球にしたりと各国の実情に合わせて様々に形を変えながら各国の土地柄に合わせて水球が根付いていったのが実情です。

 

ただアメリカでは水球が大変な人気だったのですが、ラフプレーが多くて怪我人や失神者が続出したため、全米体育協会は1908年以降水球競技を禁止スポーツに指定したため、1920年アントワープオリンピックまで不参加だったそうです。


1900年のパリ万国博覧会の開催に合わせて第2回パリオリンピックが開催されたのですが、団体種目、また球技として初採用されたのがこの水球でした。

試合は、

 

イギリス7-2ベルギー

 

で、イギリスが初代オリンピックチャンピオンの栄冠を手に入れました。

日本へいつ普したかは定かではありませんが、記録上最古の試合は1907年8月5日に第二回関東連合游泳大会において東京高等師範学校(現・筑波大学)と第一高等学校(現・東京大学)が館山(千葉県)で行ったものだったそうです。

1925年には、大日本水上競技連盟の主催で「全日本選手権水上競技会」が開催され、1932年のロサンゼルスオリンピックで日本が国際大会デビューを果たした。ただし5カ国出場して日本は3試合共、アメリカ合衆国戦 (0-10)、ハンガリー戦 (0-18)、ドイツ戦 (0-10) と大敗し、世界との差を見せつけられる形になったそうです。