1949年4月、ドルの単一為替レートが実施されました。この時、1ドルは何円だったでしょう。 | KMプロデュースのブログ

KMプロデュースのブログ

アタック25や日記、そして自分が独自視点でTVゲームをプレイしたデータなどをメインで頑張って更新しています
なお、アメンバー承認に関しては開設者本人の素顔を知る身近な方のみしかしませんのでご了承願います

今週の数字入力問題

1949年4月、ドルの単一為替レートが実施されました。この時、1ドルは何円だったでしょう。


正解…360円

解説

これは円相場といい、円に対する外貨の相対的価値(為替レート)のことで通常、外貨1単位に相当する円貨額で表示しています。
国際市場において、日本の通貨である円の相対的価値が過去のレートや政治の目的などで、何らかの意味で基準とみなされる水準より高い状態が「円高」です。

 

例:1ドル120円→1ドル110円=1円の価値が1/120ドル→1円1/110ドル

 

これは早い話が日本円でいう1320円所持していたとして、11ドル→12ドルと1ドル多く交換できるということになりますので、円の価値が上がるため「円高」になるという訳です。メリットは輸入品が原材料を含めて安くなり、日本からの海外旅行が安くなります。

逆に12ドル→11ドルになると、円の価値が下がるため「円安」になります。

輸出品が外国で安くなってよく売れ、国内産業が好景気になり、日本の観光収入並びに円建ての海外資産所得が増加するといったメリットがあります。いわば金利の低下に繋がります。

裏を返すと、円高のデメリットが円安のメリットの逆、円安のデメリットが円高のメリットの逆になるということです。


円相場の歴史は江戸時代の1856年に遡ります。

・安政3年(1856年)9月9日、米国領事タウンゼント・ハリスと幕府の交渉で銀の含有量を基準に、1ドル=一分銀3枚=0.75両(1両 = 1.33ドル)

・明治維新後も新政府は幕府の通貨制度を受け継ぎ、紙幣の大量発行による信用の低下によって、1871年頃に1両=1ドル程度

・銀の下落や1877年の西南戦争の戦費を賄うため、不換紙幣を大量発行したことでインフレが始まったため、同時に円安が進行して1894年頃には1ドル=2円程度
・1920年の戦後不況による経済的混乱、1923年の関東大震災に際しての輸入超過から100円=40ドル前後へ下がる

・1931年にイギリスが金本位制を停止し、若槻内閣から政友会の犬養内閣へ政権交代すると日本も金本位制から離脱して銀行券の金への兌換も停止、これによって1932年11月には100円=20ドル前後(1ドル=5円)まで大幅な円安となって物価が上昇

・太平洋戦争敗戦直後の1945年9月時点で軍用交換相場は1ドル=15円

・急速なインフレで1947年3月に1ドル=50円

・1948年7月に1ドル=270円

・1949年に1ドル=360円

4月2日、日本の経済活動を監督していたジョゼフ・ドッジが池田勇人大蔵大臣に、

「昭和24年度予算では、輸出入の補給金を大幅に切ったが、その時自分は、1ドル=330円というレートを仮想して計算してみた」

と提案したのに対して池田は、

「仮想であることであっても現実のレートでは非常にきついと思う。また、時期としてもドッジ予算の効果が分かるまで、早くても今年の下半期までは待たねばなるまい。レートは自分としてせいぜい辛く考えたとして1ドル=350円でしょうか。」

とそれぞれ答え、結果はドッジ・池田の2人の会談によって調整されたとされています。

ちなみにこれは完全非公開でしたが、ドッジ側から情報が漏洩して4月23日の朝刊にUPIのワシントン電として新為替レートを4月25日から実施すると出た時は、すべての日本人および占領軍の人々にとって青天の霹靂だったのはいうまでもなかったそうです。

9月19日に英国ポンドが、

 

4ドル3セント→2ドル80セント

 

へ大幅に切り下げられ、日本側は池田のところへ稲垣平太郎通産大臣・青木孝義経済安定本部長官・一万田尚登日銀総裁など集まって相談したが、ドッジ・プラン実施から約5か月ほどで思った以上に安定効果が現れたため、レート固定になったそうです。

 

・1960年代になると、ベトナム戦争への膨大な出費などからインフレが進んでドル不安が起こり、1971年8月15日のニクソン・ショックで表面化してスミソニアン協定が締結、ドルの切り下げが決められて1ドル=308円

 

・1973年4月から日本は変動相場制へ移行(直後は1ドル=260円台)

・1973年秋のオイルショックで1ドル=300円

・1978年末頃には一時1ドル=180円を突破

・オイルショックやソ連のアフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル=250円付近まで円安が進む

・1985年秋のプラザ合意によるドル安誘導政策で急激に円高(円高不況)が進行し、合意発表直後は20円ほど急騰

・1986年末には一時160円を突破

・1989年末にピークを付けた東京市場の株価は1990年に入ってから暴落、バブル景気に陰りが見え始める

・1994年に1ドル=100円

・1995年4月19日の午前9時過ぎには1ドル=79円75銭
・1998年秋には一時1ドル=140円台まで下落、10月に日本長期信用銀行が破綻するまでに1ドル=120円台

・2000年初頭までに1ドル=103円台

・2001年のアメリカ同時多発テロ事件で金融市場は大混乱し、ドルと米株の暴落に連動して円相場も急落

・2002年初頭までには1ドル=130円台

・2002年下半期までには120円前後まで上昇

 

ここまででPS2のパネルクイズアタック25発売当初までの為替変動の解説になりますが、ブログアップ現在までは1ドル=150円前後を推移しています。