今週の三択問題

大正末期1925年3月20日、当時の東京市で女性68名がある仕事に採用されました。その仕事とは、警察官、市電の車掌、消防士のうちどれだったでしょう。

 

選択肢

・車掌

・消防士

・警察官

 

正解…車掌

 

解説

まずは東京都電になった経緯について簡単に説明します。

前身は1882年に開業した東京馬車鉄道で、東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社が相次いで路面電車が建設され、やがて1909年に合併して東京鉄道、そして1911年に東京市電になりました。1943年に東京市から東京都へと都政施行によって都電となり、1972年以降は荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみ現在荒川線として現在も運行されています。
 

 

出題上では1925年3月20日での話になっていますが、この当時は東京市電であったのですが、それまでの過程についてここから説明します。

日本初の女性車掌が誕生したのはもっと古く、1918年に美濃電気軌道が初採用したのですが、この当時は第一次世界大戦の影響で好景気になり、乗務員が不足したため、やむなく女性を使おうという経緯で採用されたそうです。

 

そして乗合自動車(バス)でも東京市街自動車が女性の車掌を採用しました。当時、梁瀬自動車に勤務していた田中常三郎は、

「青バスの堀内良平さんから、これまで少年車掌が乗務にあたらせていますが、乗客から徴収した運賃の隠匿がとても多くて問題になっていました。だからいっそのこと、女の車掌を採用したいと思うが、服装をどうしたらよいかなどの相談をうけました」

と回顧していたそうです。実際1919年12月の新聞広告では、

「乗合自動車婦人車掌募集」

という掲載がされていました。

 

反対する役員も中にはいましたが、実行した所評判がよく、こうした経済の急成長によって大量の労働力が必要となって、女性が電話交換手・バスガールなどに広く進出することになりました。そして翌年1925年3月20日に東京市電も女性車掌を68名採用しました。そして翌日に配属、四月から乗務に就いたそうです。

採用された理由は三つあります。

①当時の乗客は言葉が乱暴でののしり合いながら乗っていたそうで、車掌が社内混雑に対して、

「中ほどまでお詰め下さい」

と言っただけで、

「なんだい詰めろ詰めろなんて言いやがって、俺たちをなんだと思っていやがるんだ」

と食ってかかっては車掌が注意するとその都度喧嘩になっていました。こうした事態を防ぐために乗客の感情を和らげようという目的がありました。
②従業員同士に潤いを与えるためで、男性の多い職場に女性が入れば和やかになると考えたのでしょうが、市電自治会(労組)は女性採用に反対の立場だったようです。
③当時の市電に補助車掌として賃金が安い女性車掌に担当させて、人件費の節約をはかることで財政節約を目的としていました。

ただ、低賃金の「少年車掌」を採用したほうが良かったため、女性車掌制度はわずか2年3カ月しか続きませんでした。しかし1934年3月から女性車掌が復活し、同時に少年車掌が6月に廃止となったのです。

この時も財政難が背景にあって、男性車掌(月給95円)→女性車掌(35円60銭)に替えることで年間100万円が節約できたからでした。この時は母性保護の観点から女性車掌採用反対の声もあり、意見が分かれていたそうです。



日本初の婦人警官(現在は女性警察官です)警察官は戦後間もない1946年4月27日に62名が採用され、勤務に就いた記録が残っています。

また、日本初の女性消防士は1969年に川崎市消防局で誕生しています。