これはリブログしますが、あれから9年の歳月が流れました。
昨年秋に台風が直撃して、津波とは別の水害が再び発生し、家屋や農産物などが多大な被害を受けました。
さらにこの度世界的流行を見せているコロナウイルスの影響があって政府主催の追悼記念式典が中止になりました。
 
 
実は本日の日本経済新聞朝刊に、福島県三春町出身の僧侶・芥川賞作家である玄侑宗久氏がこんなことを語っています。
 
痛感するのは、この土地で事故がこの土地で事故が起こったのはそれだけの縁があってのこと。
放射性物質による汚染等などを保管する中間貯蔵施設の設置をめぐる議論には強い違和感を持つ政府は30年以内に、福島県外の最終処分場に運び出すと約束するが、やはりここでどうにかしないと。そうでないと、今後も地域の将来を決める重要なことを当事者でない誰かに勝手に決められてしまう気がする。
3月26日には東京オリンピックの聖火リレーがサッカー施設 jヴィレッジで始まる予定なのだが、「復興五輪」という言葉は浮ついたように聞こえる。目の前に本格的な問題を忘れさせる効果がある「祭り」(五輪)と「博打」を今の政権がうまく使っているので、真剣に考えるべき問題が先送りされてしまった。震災7年目に刊行した小説「竹林精舎」では福島県に移住する若者を主人公に、自主避難する者と故郷に留まるものとの不幸な分断を世に問うた被爆を恐れて県外に避難した人は判断が間違ってなかったと確認するため、新たな理由を探し求める。自分の生きてきた道は肯定したいという現実に寄り添いつつ、どちらの意見にもくみしないしなやかな生き方を模索する。
 
とあります。これは率直その通りで五輪で受かれている場合ではないんです。
それだけ風化する事が恐ろしい訳で、完全に忘れ去られた時、同じような被害を受けて歴史は繰り返されます。人間らしいと言われれば人間らしいでしょうが、自分の身を守れるのは自分しかいません。命を落としてからでは手遅れです。
 
あまり言いたくありませんけど、
 

がんばろう東北!!そしてがんばろう自分!!