(2020年1月12日放送分)
問題1
2020年の5月15日と16日、新しくなった国立競技場で初めて単独アーティストとしてコンサートを行う人気グループの名前は何でしょう?
1…ゆず
2…DREAMS COME TRUE
3…嵐
正解…3
解説
これは2019年11月3日に、嵐がデビュー20周年を記念してSNSアカウントの開設、11月9~11日にジャカルタ・シンガポール・バンコク・台北の4都市記者会見、2019年12月25日に行われた「ARASHI Anniversary Tour 5×20」のライブビューイング(この日が最終日でした。)や北京コンサート開催以外に発表されたものです。2008年から改修工事に入るまでの6年間に旧国立競技場において毎年コンサートを開催した特別な縁があり、新たに生まれ変わった国立競技場でもぜひコンサートを開催したいというメンバーの強い思いに多くの人が賛同しました。
そしてこの公演が実現へと向かう過程で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会より東京オリンピック・パラリンピック開閉会式会場としてのさまざまなオペレーションの確認を兼ねるという前提条件を提示された事で今回実現する事になりました。よって開催時期が5月になったのもそのためです。
DREAMS COME TRUEも嵐と、2019年12月21日に新しい「国立競技場」を祝うオープニングイベント「国立競技場オープニングイベント~HELLO, OUR STADIUM~」に出演したグループです。
このイベントは「文化パート」、「音楽パート」、「スポーツパート」、「エンディングパート」に分かれて実施されたのですが、エンディングパートでフィナーレサプライズゲストとしてゆずが「栄光の架橋」を披露しました。
問題2
イギリスの小説家キプリングの物語集『ジャングル・ブック』に登場する狼に育てられた主人公の名前は何でしょう?
1…モーグリ
2…ピーター
3…ターザン
正解…1
解説
1989年10月から約1年強の間テレビ東京系でアニメとして放送された事があるジャングルブックは、英国の作家・詩人ラドヤード・キップリングが1894年に出版した短編小説集で、翌年に続編『続ジャングルブック』が出版されました。
インドのジャングルで虎のシア・カーンにより追われた人間の赤ん坊(きこりの子供)が、クマのバルーと黒豹のバギーラの提案で狼の一家により、「モーグリ」と名付けられて育てられます。およそ10年後にシア・カーンはモーグリを狼の群から追い出せと迫ります。モウグリを受け入れたリーダー狼のアケーラは既に老いていて衰弱していたため、狼の群はシア・カーンに同意せざるを得なくなりました。そこでモーグリは火を見せつけて自分の賢さを動物たちに示してジャングルから人間の村に向かうことになります。
前作で人間の世界に戻る前の物語で、モーグリは猿の群「バンダー・ログ」にさらわれ、ジャングルの中の廃墟となった人間の元宮殿に送られます。「バンダー・ログ」はモーグリの賢さを利用して自分たちのリーダーにしようと企んでいましたが、バルーとバギーラはトンビのチリ、巨大なニシキヘビのカーの助けをうけて、モウグリを助けました。
③虎よ、虎よ!
モーグリは人間の村に戻り、彼を長年失われた息子であると信じたメスアと、その裕福な夫との家族となります。しかしモーグリは村の生活に馴染めないうちに虎のシア・カーンから狙われますが、モーグリは水牛の放牧の仕事中に狼の仲間たちの力を借りて水牛の群を暴走させてシア・カーンを返り討ちにしてその毛皮を剥ぎました。村の猟師は狼と会話するモーグリを見て、魔術師と信じてしまい、人間の村から追放されてしまいました。しかし、ジャングルの狼の群もモーグリを受け入れることを拒否したために若い狼たちと群を作ってジャングルで暮らすことになりました。
ベーリング海の白い毛皮のアザラシであるコチックは一族のために、人間が狩りをしていない住処を探します。
⑤リッキ・ティッキ・タヴィ
インドにすむイギリス人駐在武官の家に飼われているマングースのリッキー・ティッキは、2匹の夫婦コブラから家を守ります。
⑥象使いトゥーマイ
象使い見習いの10歳の少年トゥーマイは、幻の「象の踊り」を目撃しました。
⑦女王陛下の旗の下に
軍用パレードの前夜に、英国軍の兵士がキャンプ場で動物たちの会話を盗み聞きします。
問題3
紀元前3世紀頃、インドの大部分を統一。仏教の保護活動を行ったことでも知られるマウリヤ王朝第3代の王は誰でしょう?
1…チャンドラグプタ王
2…アショーカ王
3…ビンドゥサーラ
正解…2
解説
ビンドゥサーラが病に倒れ、長男スシーマを後継者とするよう遺言したと言われていましたが、急遽パータリプトラを目指して進軍し、スシーマと争って殺害し、他の異母兄弟の多くも殺して王座を奪い取ったと言われています。
考古学的にアショーカ王の治世初期のことは殆どわかっていませんが、即位後タクシラで反乱が発生したために王子クナーラを派遣してタクシラの反乱を鎮圧させました。碑文などから彼の治世第8年頃(紀元前260年頃)に仏教に改宗したと推測されますが、それほど熱心ではありませんでしたが、治世9年目に行われたカリンガ戦争でアショーカの宗教観に大きな影響を及ぼすことになります。当時カリンガ国はインド亜大陸の東岸で勢力を振るった大国で、この時代にもマウリヤ朝の支配に服していませんでした。そこで激戦の末にカリンガ国を征服したのですが、15万人の捕虜を得るも3分の2にあたる10万人が殺され、戦禍で数倍の人々が死に、多くの素晴らしきバラモン、シャモンが殺され、多くの人が住処を失いました。この戦争で深く後悔したアショーカ王はこの地方の住民に対し特別の温情を持って統治に当たるよう勅令を発した。以後対外遠征には消極的になり「法の政治」の実現を目指すようになったと言われています。
但し統治上の理由から辺境の諸住民に対しては「ダルマ」の仏教色を前面に押し出さないように配慮がなされ、ダルマが全ての宗教の教義と矛盾せずに1つの宗教の教義でもないことを勅令として表明しており、バラモン教やジャイナ教、アージーヴィカ教は仏教と対等の位置づけを得ています。こうした法の政治がどの程度成果を収めていたかははっきりしませんが、アショーカ王は晩年、地位を追われ幽閉されたという伝説がありました。それからはチベットに伝わる伝説では紀元前232年頃にタクシラで没したといわれています。アショーカの死後はマウリヤ朝が分裂して、その王統や歴史の復元は現在も困難になっていますが、プラーナ系の多くの記録では王子クナーラが次の王となったとされています(仏典などでは異なる名前)。マウリヤ朝がシュンガ朝によって簒奪され滅亡するのは紀元前180年ごろであったと言われています。
チャンドラグプタ王はマウリヤ王朝初代の王で、アショーカ王の祖父でありビンドゥサーラの父になります。