ダン・クルティエは、今季310万ドルの契約を結んでいる選手に対して誰も気の毒に思っている人物はいないと考えている。しかしあなたは気の毒に思うかもしれない。
クルティエがバンクーバー・カナックスに所属していた5年間、彼に対する批判は多かった---このことは2003年のプレイオフ後に、この紙面でNHLが全てのチームのゴーリーの役割を大きくさせたと書いたときにも書いた---しかし、彼の性格や信念、逆境と戦う意欲を疑う者はいなかった。
タンパベイ・ライトニングからやってきて、カナックスをフランチャイズとして早くから再生させた2001年の冬からロサンゼルス・キングスにトレードされた2006年の夏まで、彼は必死に戦ってきた。
彼はそれ以外の方法を知らなかった。しかし今ではよく知っているだろう。
ホッケー煉獄と2度のキングス復帰を経て、ようやく彼はかつてのチーム、カナックスを迎え撃つ月曜日の試合に出場することになった。これは彼にとって今季7試合目である。
カリフォルニアの日を浴びながら彼は貴重な時間を楽しみ、クルティエは興奮していたが、この先発機会を成功として喜ぶと同時に残念にも思っていた---キングスにやってきてから失った全ての先発機会、そしてNHLで生き残る術を失ったことを思い返したのである。
「ここに来てから笑えるようなことはほとんどなかった」と、エルセガント郊外でのチームの練習後、晴れやかにクルティエは語った。
「バンクーバーでは素晴らしい時を過ごしたし、マネジメントもみんなも僕に対してよくしてくれたよ。けどここに来てからはちょっと違ったね。時々困難が続いたし、僕自身も大変だった。けど僕はホッケー選手だからこのことに対処してきたし、まだ試合に出てパックを止めないとね」
クルティエは、カナックスがロベルト・ルオンゴを獲得した後、デイブ・ノニスGMがキングスのディーン・ロンバルディGMとの間でクルティエと2ndピックのトレードをまとめるまでに、パックを十分に止めることができなかったと認めた。
しかしパックを止める以上に難しかったのは、クルティエが抱いていた---いる---感情である。彼はキングスが十分なサポートをしてくれなかったと考えている。
チームは彼にマスクとヘルメットのバードゲージワイヤーを減らすように要請し、保険のようなものであると言った。だが、クルティエは従来型のマスクに心地よさを感じたことは一度もなく、昨シーズンの数試合では身体的不快感を感じていたのである。
彼は臀部に痛みを抱えていたが、キングスのもう一人のゴーリー、マシュー・ガロンが指を骨折したため、出場し続けることを志願した。クルティエの痛みは酷くなっていったが、チームは初めて彼に対して間違った要望を出したのだった。
自身の身体をよく知っているクルティエは無理を押して出場し続けた。専門家が“このままでは彼のキャリアが危ない”と言って初めて、キングスは彼に手術をさせることを決定し、クルティエはシーズンを棒に振ることとなった。クルティエはミドルエコノミークラスのシートに座ってコロラドに向かい、キングスの用意したスーパー8モーテルで生活することになったが、そこは日常的に通うことになるクリニックから50kmも離れていた場所だった。
今でもクルティエは、今季キングスで仕事を勝ち取ることが出来ると信じている。何しろ彼はまだ31歳である。しかし、いい動きを見せていたトレーニングキャンプ後、彼はファームチームのあるニューハンプシャー州マンチェスターに降格された。
クルティエはこの降格について「彼らは“キミをそこで毎試合出場させるつもりだ。良かろうが悪かろうが、試合に復帰させて状況を見守る”と言ってきたんだ」と語っている。「実際のところ、これは良い事だろうと思ったよ。だけど、そこに行ったら何の前触れもなく出場機会がなくなったんだ」
「だから“わかった。僕に対するプランを聞かせてくれないか?”って言ったよ。そしたら彼らは親しげに“我々は今でもキミを信じている”と言うだけだった。こんな風に復帰したくなかったよ。3年間ほとんど出場できなかったから余計にね」
クルティエの妻ニッキは、夫がAHLに降格された後も彼に付き添い、共にホテルで暮らしていた。12月、彼らはそこで第一子を授かった。
クルティエは出産予定日が近いてきた時、アパートに引越しさせて欲しいとキングスに願い出た。だがキングスはこの申し出を許可せず、ホテル生活を続けるようにと伝えた。
「“それは出来ない。もうすぐ生まれるんだ。これがあなた達にとって大きなことかどうかは分からないけど、僕にとっては一番大事なことなんだ”って言ったよ」とクルティエは言う。「結局選手会に電話したんだけど、それから28日経って、彼らはアパートに移る権利があると言ってくれたんだ」
こうして彼らの子供カーリーは元気に生まれた。
「降格されてから満足にプレイも出来ない辛い時期だったから、これはすごく嬉しかった。子供が生まれてからは、この状況についてバランスの取れた見方をするようになったんだ。まるで全く別の事であるかのようにね」
しかしこの後、プロフェッショナルとして最大の屈辱を受けることとなる。1月、クルティエは12日間のロードトリップの間にマンチェスターのリンクに呼び出され、家に帰っていい、出場機会はないと伝えられた。モナークスは彼が臀部の痛みを訴えた後、8週間に渡って彼を起用しなかったのである。しかしこのときそのゴーリーは、1週間後にはプレイできるかもしれないと推測していたと語っていた。
「間違いなく彼らは僕に成算がないと思っているんだろうと思ってたよ」と彼は語る。「彼らは僕を降格させたままにして、僕をダメにした。ロードトリップに帯同することさえ出来なかった。“神よ、僕はこれからどうなるんですか?”って祈ってたよ。だけど突然、彼らがトリップから戻ってきて僕を1試合に出場させて、それからコールアップされたんだ。“何でコールアップしたんだい?全然プレイしていないのに”って聞いたら、僕がベストな選択なんだって言ってた」
キングスはクルティエにとってキャリア最悪の選択となった。とは言うものの、クルティエはチームにとっても最低の選択であった。
バンクーバー時代からクルティエの良き理解者であるマーク・クロフォードコーチは、ジェイソン・ラバーベラがグローインを痛めた時に先発する機会を与えた。
しかしクルティエは月曜日の試合を迎える前の4試合中2試合、フリーエージェントとして契約した25歳のスウェーデン人ルーキー、エリック・アースバーグにポジションを奪われた。だがクルティエは諦めないだろうし、キングスも彼をバイアウトしないだろう。
「今の状況はダンにとってもチームにとっても良くはなく、不幸なことに上手くいっていないんだ」とクロフォードは述べた。「誰であれチームから除外したいと思ったことはないよ。性格を良く知っていて、ダニーのように試合を大事にしてくれる選手ならなおさらね」
もしクルティエが試合を大事にしていなかったら話は早かっただろう。
「もちろん。僕は感情を持った人間だし、コンペティターさ」と、クルティエは自身のキャリアを救えるか?と尋ねられたときにこう答えた。「だけど厳しい状況は続いている。もしバイアウトされた場合、新しい行き先は2チーム程あるよ。でも同じようなことを経験したくない。自分自身を今と同じような状況に置きたくなんかないよ」
「勘違いして欲しくないんだけど、ずっと素晴らしいキャリアを積んできているよ。10年もプレイするチャンスを手に入れたし、友人もたくさん出来たし、いくつかの素晴らしい街でプレイしてきたし、お金もたくさん稼ぐことができた。でもこういう終わり方は誰も望んでいないんだ」
---from The Vancouver Sun ---