夏に会ったひと(6) | 重ねの夢 重ねの世界 ~いつか、どこかのあなたと~

重ねの夢 重ねの世界 ~いつか、どこかのあなたと~

あなたの夢とわたしの夢が重なる時…もうひとつの「重ねの世界」の扉が開く

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(「夏に会ったひと」(5)からのつづき)



同じ劇場に向かい、同じ時間をこれから共有すると思えば親しみを感じる。初対面の私達は話をしながら歩いた。
「今年は本当に暑いですね」
「着くまでに、汗だくになりそうですね」

この女性は、彩の国が初めてなのだから、少なくとも「演劇通」ではないと思った。
そういう私も通とは言えないが、蜷川さんの舞台ならば幾つか観ている。
彩の国の劇場は、蜷川さんが度々使うことで有名だ。
彼女が蜷川幸雄ファンでないのなら、たぶん「誰か」を見るために来たのだろう。
もしかしたら、そのお目当ての人は、私が見たい人と同じかもしれない。
初日の浮かれ気分も手伝って、
「誰を応援しているんですか?」と訊いてみた。
「あぁ……う~ん、たぶん名前を言ってもわからないと思います」

いかにも言いにくそうに、照れくさそうに答えるその気持ちは良くわかる。
世間一般の人達は、テレビや映画に出ない役者達のことをほとんど知らない。
大きな劇場で主役を演じる俳優の名でさえも、知らないのが普通だ。

私はますます好奇心がわいてきた。
たとえ知らない役者さんであろうとも、これから始まる舞台でその人が観られるはずだ。
女性はお返しのように、私が誰を応援しているのかと聞いてきた。
私が観に来た人は、舞台「エレンディラ」の主役を務める人だ。
その名前を言うのは誇らしくもあり、照れ臭さもある。「好き」という気持ちに動かされ、こんな処まで(さいたま市は私の家から遠い)来てしまう自分が少し恥ずかしくもあったのだ。
けれども彼女は感心するように言った。
「ああ、すごいですよねぇ、いつも大きな舞台に出ているんでしょう? 私はこんな大きい劇場に来るのは初めてなんです。チケット代なんかも高くって、もう吃驚しちゃって……。私の応援してる人は大道芸人なんです。だからいつもは広場とか、ショッピングモールとかで見てるので、こういった劇場に来たことって無いんです」
なるほど、「エレンディラ」は祝祭劇と言うに相応しく、大道芸人達も出演する賑やかな舞台になるのだ。
彼女は大道芸人が大きな舞台に出演する晴れがましさに、ぜひにと駆けつけたそうだ。
いつもと違いチケット代がかかるので何度も観る事はできないが、「初日に席が取れて良かった」と嬉しそうに言った。

それにしても、誰にでも、何処にでもファンというものはいるものだ。
などと言ったら、失礼になるだろうか。
世間の認知度の違いはあれど、プロとして活躍している人達には、必ず誰かしらファンがいて、彼らをを支えているのだ。
彼女の好きな大道芸人は、普段はジャグリングを得意にしてあちらこちらの広場で芸を披露しているという。
その姿の、何が彼女を虜にしたのだろうか。

ふと、その二人の姿が目に浮かんだ。
どこかの広場で、道行く人々の足を止める大道芸人。
見物人の輪の中で、いつも見に来る一人の女性と、その眼差し……
彼を追いかけ、ひたすら熱心に見つめるその瞳の色は、恋する女性のそれに似てはしないだろうか。

この女性は、普段はどういう生活をしているのだろう。
こうして一人で出掛けるのは、小さな子どものいない主婦か、独身で働いているかだろう。
大道芸人を追うために見知らぬ町を訪れるのは、だぶん休日や祝祭日だ。
平凡そうな彼女の毎日の暮らしと、その合間の祝祭の日々を想い、私は何故だか少し切なく思った。
名前も素性も知ることのないそのひとは、たぶん、私と似ているのだ。

彩の国に到着すると、出演前の楽隊が音楽を鳴らして賑やかにロビーを練り歩いているところだった。
観客達は楽隊の後ろにぞろぞろと着いて歩く。私達も着いて行った。
その小さなパレードは建物内の広場へ続き、そこで短い間に音楽を聴かせるというイベントだ。
賑やかな楽隊の音に煽られて客達は盛り上がり、いよいよ新しい舞台の幕が開く期待と興奮とに胸をはずませた。
そうして、祝祭の夏は始まったのだ。



(7へつづく)