第4回有田川町絵本コンクール授賞式に行ってきました! | 重ねの夢 重ねの世界 ~いつか、どこかのあなたと~

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お久しぶりです。煌月です。
ペンネーム・松田弓(まつだゆみ)で応募した作品「やくそくの花」が「有田川町絵本コンクール」の二次審査に残りましたので、その最終発表を兼ねての授賞式に出席するため、和歌山県の有田川町へ行ってきました!

普段、書くものを住み分けていて、それぞれに名前も違うものを名乗っておりますが、創作関連ということで、授賞式の後に行われた講評会の話のみをこちらで書かせていただきます。

* * * *

~「第4回有田川町絵本コンクール」講評会に思う~

今年は良いことも、その反対のことも、例年になく物凄く激しくて、振り幅の激しいジェットコースターの日々だ。
最近は仕事がらみで辛い日々を送っているので、この絵本コンクールの受賞は殊更に嬉しかった。
でもまあ、佳作だったのは、やはり残念。

それでも有田川町絵本コンクールの授賞式はイベントとして盛りだくさんだったし、その翌日の市内観光やらミカン狩りも楽しかった。
有田川町の人々は暖かく、旅としても思い出になる良い旅になったと思う。
その話は他の場所で書けたら書くけど、この一週間は憂鬱な仕事で心身ともに疲労困憊しているので、書けるかどうか…

で、大変貴重な経験だった「講評」だけは、本当に滅多に得られない体験だったのでここに書いておこうと思う。


版画家の亀本みのりさんと私が共作した絵本「やくそくの花」は、この前どこかで「去年書いた」とつぶやいてしまったけど、よく思い出したら二年前が本当。
みのりさんはmixiで知り合った方で、最初はどちらかが書いた観劇記にコメントし合ってマイミクさんになった。
その頃、みのりさんは創作活動を休止していたものだから、彼女が版画絵を創る人だと知ったのは後になってからだ。
その後、彼女の作品を目にするようになった頃に、ちょうど私も創作文を書き始めたので、図々しくも版画絵に勝手な詩をつけさせてもらったりしていたのだった。

その縁で今回のコンクール応募に至ったわけだが、その共作の話に誘われた時に私は言った。
「書くのは良いけど、私が書くものはきっと一般受けしないよ?」
そうしたら、みのりさんはそれでも良いと言ってくれたのだ。
それは本当に嬉しかった。

なので、この入賞の話を聞いて、何が一番嬉しかったかというと、誘ってくれた亀本みのりさんの気持に応えられて、自分でも「少しは役に立てたかもしれない」と思えたことだ。

…という長い前置きはさておいて

審査員は、

宮西達也(絵本作家)
真珠まりこ(絵本作家)
中村宏平(ほるぷ出版編集長)
大河平将朗(金の星社副編集長)
渡辺由香(講談社編集員)
(敬称は略させていただきました)

最優秀賞の選考は、授賞式が始まった時間もまだ、随分ともめていたらしい。
「力作ばかりで、どれが取ってもおかしくない」とのことだったが、さすがに佳作の私達は最優秀賞候補ではなかったと思う。
講評では優秀賞や最優秀の作品にこそ、褒め言葉と共にシビアな講評が与えられた。
私達には、不思議とダメ出しはなく、強いていうなら、「表紙の鬼の背に羽が付いているのが本の内容にないから、それはどうか…」というものだ。
それについては、この物語の大元になる版画絵の鬼が最初からそうだったので、私達にしてみれば何の疑問もなかったが、言われてみると改めて「ああ、そういえば…」というようなものだ。
そこに気がついていれば、私が文章を付け足したか、または絵のほうで削ったかしたかもしれない。

他には、
「本格的な民話風で良い話だ。」
「(ラストシーンの)桜の色がとてもきれいだった。」
「話も良く、色もきれい。感動した。」
「なかなかこういう話はない。結構オリジナリティーがあった。」
などなど。

思いのほかにダメだしがなかったのが、かえって気になる。
まるで「君達は入賞しただけで満足なんだろう?」と言われたようで、むしろ今後に気が抜けない。

他の人達には「この作品好きだな~!」と言いながら、厳しい課題もつきつける。
たぶん、彼らは私達よりもガチで出版に近い場所にいて、けれども世の中は厳しいからだろう。

世の中にあまたの絵本があるのだから、何と言ってもオリジナリティーが大切なのだ。
たとえば、有名作家のAさんと作風が似ているとして、いくら上手に書いても、たとえAさんより面白いものが書けたとしても、似ているならばAさんの本が出版され、世間はAさんの本を買う。
それはどの分野でもそうだろうと思う。
歌でも、小説でも、絵でも。

そこへいくと、最優秀賞を貰った若い女の子(25歳だそうな)の作品は、話がどこに行くのかわからないような突拍子のなさが良くて、読み聞かせの時間も楽しかった。
発想の奇抜さ面白さがその本の一番の良いところで、「上手な絵なら他にもたくさんあった」そうだが、やはり想像力の豊かさや、オリジナリティーの高さが最優秀の決めてになったようだ。

他の作品の評では、「絵本はやはりカラーのものが良い」「色がページをめくるごとに変わると惹きつけられる」という意見もあった。

面白いのは、絵本作家の先生達は「好き」の気持を、編集者の方達は「出版としてどうか」を選考の決め手にしているらしいということだ。

講談社の編集者は、「子どもの心に寄り添うような、身近な話題の絵本、小さな子が寝る前に親に読んでもらい、そのあとに幸せな気持で眠りにつけるようなものが出版になりやすい」と言った。

私らの作品は「鉄棒ができたよ」みたいな、子どもの身近な話題とは遠いし、楽しい夢を見そうな物語でもない。
なので、講談社のような、小さい子向けの作品を発掘しているところで出版を売り込むのは難しいらしいが、「民話を得意としている出版社を見つけて持ち込んでみれば良いかもしれない」ということだった。

だけど……

私達は、今後も民話の絵本を作りたいのかな?

今回はたまたま鬼の話を書いたので、つい民話風になっただけのことだ。
文だけで言うならば、別に私は民話を得意としているのでもないし、こう言っちゃなんだが、児童向けの物語を書いたのも初めてだ。
どちらかといえば、子どもに読み聞かせするお母さんの胸もキュンとさせたいと思って書いたし。
私達自身は、「一般受けしないコンビ」だと思っていたのだから、今度の授賞はちょっと驚いたし、嬉しくもあったのだが、今後続けるとなると、どんな路線で行けばいいのか迷うところだ。
「鉄棒ができたよ」みたいな、いかにも子供向けな話は書けないし。

その事を言うと、選考委員長の宮西先生は仰った。

「好きなものを創り続けるのが一番いい。
子どもとか、大人とか、意識しなくても良いと思いますよ。どちらも、人なんですから。人に向かって描けばいいんです。来年も期待しています。」

これには、大いに励まされた。
私のような者でも書き続けてもいいのだと、初めて思えた。

私は「児童文学が書きたいのか?」と問われれば、ちょっと首をかしげるけれど、人に向かって書くのは楽しいと思う。
残念ながら絵は描けないので「絵本作家」にはなれないが、今後も望んでもえらえるならば、そのお手伝いはさせて欲しい。

自分の創作文を、「恥ずかしいもの」と思い続けていたのは、これで案外と辛くもあった。
稚拙な作品をブログなんかで披露している自分こそが、恥ずかしい人間と思うこともある。

…というほどには、書き込んでもないくせに。
などと、あれこれと自嘲の種でもある。

それでも、今度の作品が「感動した」と言ってもらえたので、「少なくとも一生に一度くらいは感動的な話が書けたのだな」ということで、他人に読んでもらう許しをもらったような気になった。

「やくそくの花」は、当時の私が思う「愛」を書いた作品だ。
私の好きな人達みんなを想いながら書いた。
子どもには子どもなりに、大人には大人なりに、私の愛を感じてくれたら嬉しいと思って書いたお話だ。

入賞作は電子図書にしてくれるらしいが、もしかしたらその電子図書館は町の人向けかもしれない。
ネットで一般にも見られるようになるなら良いが、もしそうでなくても、この日記を読んでくれてる貴方にも、いつか読んでもらえたら嬉しいと思う。

最後になりましたが、有田川町の心温かい皆様、作家の先生方、編集者の皆様方、心より感謝いたします。
またお会いできますように頑張ります!!