どーも、どくぴーです。

 

趣味に「写真」「カメラ」、あんまり意識しない区別だとは思うんですが、個人的には意識的に使い分けている言葉です。

 

「写真」ってなんだろう

よく写真について語るとこの話になる印象があるんですが、写真って英語で言えばphotographなんですよ、ラテン語で光を意味する「photo」に描くを意味する「graph」がくっついてphotographです。要は光を描くのが写真だというわけです。
 
実際そうだなという気持ちはあって、シャッターを切っている間、センサー面やフィルムなりに光があたるわけですね。その結果がJPGやRAWと言ったファイルとしての出力だったり、フィルムに焼き付けられてネガになったり印刷されたりして、「写真」という物が出来上がるわけです。
 
光跡写真は本当に光が線を描くのを収めるので、ある意味すごく「写真らしい」なと勝手に思うなど。
 

「カメラ」ってなんだろう

言うまでもなくカメラって言うと写真を撮るための機械ですよね。もちろん動画を撮ることもできますが一旦ここは写真に絞りましょう。語源としてはこちらもラテン語で円天井の部屋を意味する「camara」が転じた物(だったはず)ですが、針穴写真機、ピンホールカメラの見た目が箱で中が暗い、というわけで「camera obscura(暗い部屋)」になって、レンズが使われるようになった頃、obscuraが取れてcameraになったわけですね。
 
個人的な感覚だと、今となってはフィルムカメラ、デジタルカメラはガジェットという領域のものだという感覚は確かにあって、それこそ「好きな人の持つ物」になってきています。(写真を撮るための)カメラであればみんな使ってるスマートフォンに付いてますし、性能向上も目覚ましい物があるわけですね。
 
このカメラ2台にどんな違いがあるかなんて説明されてもある程度詳しくないとピンとこない場合のほうが多いよね?という
 

「写真が趣味」ってなんだろう

写真って「何物にもなれる」と思っていて、見る人をハッとさせる芸術的な作品としての写真もあるし、身近な人との思い出を記録として残す写真もあるわけですよ。それこそフィルムカメラだったり、写ルンです。みたいなレンズ付きフィルムを持っていって旅先で使い切って現像してアルバムにする、みたいなのもあったわけです。僕も中学校の修学旅行で写ルンです。を使ったり、帯同してくれるカメラマンさんの写真購入を楽しみにしたり…みたいなのもありましたね(親にちゃんと見て選んで買ってこいってすごく言われまくった記憶があります)。そして今、僕たちの手元にはスマートフォンとかいうほぼ生活必需品レベルの文明の利器があって、クオリティの高い写真を撮ることができるようになりました。時代の進歩ってすごい。
 
じゃあ今そういう旅先の写真を撮って記録とか思い出に…ってなるとどうなるかと言えば、それこそInstagram/TwitterみたいなSNSに書いたり、アメブロみたいなブログに書いたり、LINEだったりGoogle Photoのアルバムにアップロードして仲間内で共有をするわけです。物として見えなくなっても、インターネットやクラウドみたいな上で仲間を飛び越え、いろんな人と分かち合える時代が来たのでより「共感」を得られやすい形に変わりました。その共感を得るためにやっているみたいなのは趣味、と言えるのではないでしょうか。そして、そこには機械としての「カメラ」が存在する必要はないと思うわけです。あくまで必要はないだけであって、誰でも始められる趣味になったという感じですかね。
 
こだわって撮れば鮮明に浮かぶ…っていうのはそうですが、「あー、去年の夏はこうだったなぁ」みたいなのは写真そのものがあれば残せますね
 

「カメラが趣味」ってなんだろう

もちろん、「あの機材があるからあの写真が撮れる」っていう環境は確かに存在します。僕がカメラを始めた理由なんかは本当にそれで、「モータースポーツの写真を撮りたい」がすべてのきっかけで、「モータースポーツの写真を撮るためにあの機材がほしい」でした。依頼を受けて必要に迫られたり、「カメラを持っているから」こそあんな写真を撮ってみたい、じゃあ買うか、みたいな話もありますが、それもモータースポーツ撮影のためにカメラを始めたからこその衝動だと思います。
 
「レンズ(カメラボディも)は資産」ってよく冗談半分に言われることはありますが、たしかに持っているだけで非常に所有欲を満たしてくれるガジェットだとは本当に感じますし、「使いもしないのに買った」みたいなことはありませんが、あれもこれも揃えて「なんでも撮ってみようと思えば撮れる」というステータスを作れたことには非常に満足しています。思い立ったら試せますしね。
※「レンズは資産」、本当はレンズはボディを新しくしても使い回せるので資産としての価値がある、みたいな解釈です。
 
前述しましたが確かに今のカメラは特にガジェットとしての性質・魅力が強くなっていて、特定領域でなければスマートフォンで満足な写真を撮ることができるようになりました。だからこそ揃える、理解できる、使いこなせることですごく満足感を得ることができるガジェットになったなというのが個人的に思うところです。
 
超望遠領域は「機材があるから撮れる」の最たる例だと思ってて、これは今のスマートフォンじゃどうにもならない…。
 

僕は写真・カメラを始めてどうだったか

じゃあ自分は「写真・カメラ」どっちが趣味なんだって話なんですが、間違いなく今まで書いた感じだと「カメラが趣味」の方に寄っていると思います。モータースポーツを撮りたいという目的でカメラを初めて買って、気づけば4台カメラを乗り継いできていて、レンズも超広角レンズから超望遠レンズまで揃えて、その機材たちを抱えて「あれを撮りに行ってみたい」と思えば試してみることができるようになりました。めちゃくちゃに楽しいです。カメラがあるからこそ(いまはコロナで避けてますが)お出かけしたりする楽しみがめちゃくちゃに増えましたし、撮った写真が褒められれば「機材を使えるようになった」達成感を感じることができます。揃えて楽しいし、理解して使いこなして個人的に満足が行くときの充実感はすごくて、「今度はあんな感じでやってみよう」ってつねに感じさせてくれます。
 
じゃあ人に同じ道をすすめるか?と言われると、あくまで「楽しくやってほしい」としか考えていなくて、それこそ「写真が趣味」のためにカメラを買うのだってあるわけです。そこからガジェットとしてのカメラにハマるかもしれませんが、最初から「ぐへへ…じゃあこのα7RIV(40万円)を…」みたいな話は流石に「やべーやつじゃん」以上の感想しか出ないし、楽しむ以前の問題になってしまいそうです。なので僕は人にカメラをすすめるときは「お店で握ってみてそれを好きなことやってる時に使うイメージができたら買おう!それが君の相棒だ!」みたいなクソ曖昧なことを言ったり、「おっ、旅行とか行かれるタイプですか?」とか別の趣味と掛け算できるような質問をしています。最近はあまり聞かれないですが。引用になるのですが、「カメラバカに付ける薬 in デジカメ Watch」のカメラ選びのポイントで「ライフスタイルに沿ったカメラ選び」は本当に身につまされました。
 

 

僕は勝手にハマって沼に沈んだわけですが、人によって写真・カメラの関わり方なんて十人十色だなって思うので、結局ある程度やって振り返って「楽しかったです」って言える関わり方をできればいいですね!

 

結局言いたいこと

なんでこんなに金のかかる趣味を始めたんだろうとは思うが後悔はしていません。