お久しぶりです、ふじこです。

 

あれから小説は遅々と進まず、現在39枚いったところ。筆が遅いのは難点。さらには、主観的な評価として「今までよりもいい!」などと思ってしまい、逆に不安を感じています。もし「今までよりもいい!」と感じるのが、勝手な思い込みでそれは客観的に見れていないからだとしたのなら……と思うと自分の小説を俯瞰できなくなった(もともと俯瞰できていたかは謎だけど)ということじゃないか……! などと考えてしまいます。(とてもめんどくさい人

 

前回同様今回の作品もプロットなしで、進んでいるのですが、筆が遅いのはこのせいでもあります。先が読めないので、慎重に書いているという感じ。さらに毎日書いているわけではなく、日常生活で何か障害があると、筆がそこでしばらく止まってしまいます。なので書き始めるときは、(ほとんど忘却しているので)過去書いたものを遡り確認しながら書かなければならんという始末。考えようによっては効率悪いかもです。

 

自分のこの「プロットなし執筆」をひとつ擁護すると、作家の吉田修一さんが彼を敬愛している朝井リョウさんに対し、(プロットをがちがちに固めてから執筆すると)楽しくないから続きませんよ、というようなことを対談でいっていたことがあります。それを思い出し、楽しい(?)執筆を目指してプロットなしチャレンジを続けています。(いやそもそも小説書くの楽しい人はプロットありなしかかわらず楽しいのだろうけども

 

そしてこの間、新潮新人賞受賞作を読んだりしていました。

中西智佐乃さんの「尾を喰う蛇」です。作品の内容は介護の現場を描きながら男性主人公の暴力性、さらには介護されている高齢者が体験した戦争を絡ませたもの。個人的に、介護、病気などを鬱々と描く作品はあまり好きにはなれないのですが、この小説は読み応えがありました。描写が丁寧な分、分量も多いので、なお読み応えを感じたのかもしれません。暴力や孤独や生死、あるいは性。そういう文学で多く書かれてきた題材を扱うのは(文学賞に限らず)、難しいなと選評を読みながら毎回思うのですが、今回の作品では、「この題材を書く」という強い意志みたいなのを感じました。描写が徹底している。リアル。

 

だからといって読んで面白い作品かといえば、そうではなく。面白くないけど、最後まで読ませられてしまうもの(熱量みたいなもの)がありました。

振り返り、自分には「これが書きたい」「この題材に思いがある!」というものがあるのか? と問いかけてみても、「いや……」と言葉を濁してしまうかもしれません。

この題材だ、このテーマだ、と決めるくらいの強い意志や熱。

わたしにはそれがないな……と正直思いました。ここに、選考通過する/しないの超えられない壁があるな~と感じます(技術とか実力とかもあるかもだけど)。

 

違和感なしに日常を送っているかといえば、そうではないので、考え抜く力が足りてないのかもしれません。

 

(読んだ作品のサラッとした紹介なのに、なぜだか反省モードになっていますね……

 

それでも前に進まなきゃならない。だから遅筆であろうとも、コツコツと書いていきます……。