身体に悪いかも、と思いつつ、ジャンクフードを食べちゃうときってある。

危ないひとかも、と思いつつつきあってしまう友人や恋人。メンタルにくるかも、と思いつつ開いてしまうネガティブなサイト。おそらく、人間は善悪だけで行動を選択していない。求めてしまうなにかが、決して幸福ではないとわかっていても、とまらない好奇心だとか、理屈には落とせない魅力だとかがあって、ひとはそれを選んでいるのだと思う。

 

なんてことを思った小説。(内容とつながっているのかはさておき)

 

第124回文學界受賞作「逃げ水は街の血潮」。

かなりジャンクでロックでクレイジー。物語にはなっているのだけど、なにかが壊れている。行間を読むよりも、語感を味わうほうがいい。小説を書くことに関して、唯一無二のもの(独創性)を持つことは難しいのでは、とわたしはいつも思っているのだけど、この作品には作者の色がでている。直観で選ばれた言葉たち。言葉の切り方もセンスがある。この小説を読んでいるとき、短歌を連想した。文章に意味がないわけではないけど(無造作のようでいて、そうではない)、意味よりもその単語の組み合わせの意表の突き方がすごい。天才かも。なんて思ってしまうけど、結末が迷っているような感じもした。だったらどこに着地点をおろせばいいのかなんてわからないけど。川上未映子の評によると、「(小説をきちんと終わらすのに必要なのは)――勢いではなく、描写や構成をしっかりつめる地味で実のある助走である」だそう。

 

不謹慎極まりない、アブナイ小説なのだけど、読んでいて楽しかった。悪ノリが強い小説は、失敗すると反感しか持たないのだけど、それがないというのは(少なくともわたしに関しては)、作者のセンス以外にない。

 

やっぱりセンスは大事よね、と思った。

 

気づけばもう7月も終わる。まだプロットはできていない。でも、小説を書くのをやめるということは考えていない。小説が好きだからやっている、という気持ちでもなくなってきた。小説を書くことは、世界の全人類とのコミュニケーション、はては、宇宙への交信みたいなもの(なんだそりゃ)。孤独という言葉は使いたくはないけど、ひとと気持ちや感情を共有することってなかなか難しいよなと最近思っている。いや、前から感じていたけど。通じ合えたらうれしい。そこに多少の齟齬は含めても、小説を通してひとと心がつながれたらうれしい、と思っている。

 

引き続き、もういっこの受賞作を読みます。