ども、ふじこです。生きています。小説は? 書いていません。ぐはっ。
もう仕事が忙しくて……、とかいいたいですが、それほど仕事が忙しいというわけでもなく。ただ単に朝早く起きれないから、一日があっちゅうまに流れ去っていくのですよ。かといって仕事が順調穏当というわけでもなく、相変わらず使えんへっぽこライターなんですが、会社側の温情で続けているという感じです。
そろそろ書かなきゃいかんねぇ、と思いながら手をつけていない小説。そもそも構想もできているんだかできていないんだかわからない状態。朝10時までぐうすか寝て、事業所行ったり、仕事したりして、一日が終わる。そんな日々を繰り返していたら、もう7月の上旬も終わっていたという。アイデア浮かばないのもあるけど、モチベーションが高まらないせいもあるなあ、と思い、ちょいちょい読書をしています。なかでもBOOKOFFで買ったGRANTAJAPAN(早稲田文学)に収録されている川上未映子の、「マリーの愛の証明」、めっちゃうまいなあ……と読みながら感じ入りました。ブックレビュー的なことを書こうかと思ったけれど、話を要約できず、いいなあ、と思った箇所だけ抜粋。
“愛は神さまのように完全ではないだろうから、おなじように証明することはできない。そんなふうに存在できる神さまと愛はちがう。それはそうよね。
でも、証明できないからって、それが存在しないことにはならない。人が何かを信じるのは、それが証明されているからじゃないもの。想像できるから信じられるの。つまり――神さまも愛も、ただそんなふうに信じることができるのよ。自分にしかわからない方法で。誰にも伝えられないありかたで、知ることができるのよ。”
(川上未映子:マリーの愛の証明)
これは元恋人に、あなたはほんとうに自分を愛していたのか? と聞かれ、後日主人公がだした返答。
人が何かを信じるのは、想像できるから信じられるの。という言葉に、はっと思ったところがありました。
たとえば、この先もずっと、小説を書き続けていく、なんていう証明はとてもできません笑
でも、そういう未来を想像できる(している)から、小説を書いて生きていくと信じられるんだろうなと。いや、実際にはありありとした想像はしていないし、今もちょっとスランプどころか、小説逃避行に走っていますけども……。
でもいいな、と思いましたね。この文章というか、この短編は。
川上未映子効果というか、今月の文學界も買ってしまい。対談を読み、村上春樹のビートルズの短編も読んだり、山下澄人の短編読んだり。
徐々にですが、頭を小説に向けようとはしています。けれど、小説を読むたびに、自分のなかの小説の基準が高まり、(いや、これは書けねぇ……)(うーん、おもしろくないなあ……)(小説というか、これは文学への冒涜だ)と脳内でつくった自分の物語に駄目だし。
実際に書き始めてみるのには、まだまだ時間がかかりそうです。
そういえば、書く瞑想というものがあるそうです。くわしくはわからないのですが。なんか面白そうだし、頭もすっきりしそう。手書きの効果については、いろいろなサイトでとりあげているので、最近記憶力がめっきりおとろえたふじこさんもやってみようかなと思っています。というか、やり始めてはいます。日記もいちおう、(もう小学生の頃からかな?)続けてはいるんですが、ブログみたいに気まぐれにつけているので、書かない月とかもあったりします。(週じゃないのかよ)
元からなんですが、最近はとくに管理や整理が苦手なので、ノート別に使い道を分けるとかはせず(日記以外は)、基本ひとつのノートになんでも書いていいことにして、書きまくりたいです。
スマホなかった時代はそうやっていたな……と思いつつ。まあ小説も仕事もゆっくりじっくりやってみます。