今、新潮世界文学の「アンドレ・ジッドⅠ」を読んでいます。ⅠがあるんだらⅡもあります。新潮世界文学は、知っている方もいると思いますが、一冊に何作か収録されてある分厚いものです。果たして読めるかしら?? と思いながらも、読んでいる最中です。
そして「アンドレ・ワルテルの手記」と「パリュード」を読み終わったところ。ワルテルの手記は、名作「狭き門」のベースかなという印象を持ちました。テーマは「信仰・愛」という感じ。狭き門は、信仰による徳のために愛を犠牲にした話、というふうにざっくばらんに私は解釈をしていますが、ワルテルの手記も、信仰と愛に対しての葛藤が描かれています。ワルテルの手記で、一瞬かぶりそうになったのが、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。手記、書簡形式、をとっているため、連想してしまったのだと思います。ワルテルの手記は、やや観念的、詩的で、そこから状況を把握するには少し難しい話だなと思いました(もちろん注釈はある)。主人公はおそらく文士で、ショウペンハウアーやスピノザなどの書物を読み日々勉学に精進していて、ときにピアノを弾いたり歌を歌ったり音楽に対して感じ入る場面もあります。それで恋愛関係にあるのが、お姉さんなんですよね。実の姉なのか、読み込めていないのですが、「狭き門」でも従姉妹との恋愛関係を描いていたので、もしかしたら実の姉? でも形の上では結ばれることはありません。主人公は「離せるのは肉体だけで、魂は結ばれている」みたいな捉え方をしています(たぶん)。
古典だからか、信仰に対しての葛藤があったジッドだからか、頻出するのが「魂」という言葉。でも人間には肉体(欲望)があるので、そこでの葛藤があります。魂、を頻出するのは、ほんとにプラトニックな愛を求めているからなのではないか、と私は思いました。だからこそ、ジッドの小説は禁欲的な香りも感じるのです。
で、対しての「パリュード」は、ひじょうにコミカルな掛け合いを楽しめるもの。ジッドの、深い愛、自我、葛藤、という(勝手な)イメージとは違うおもしろい小説でした。主人公はまたしても文士。実在の人物をモデルに「パリュード」という小説を書こうとしています。ちょいちょいその創作メモみたいなものが挟まれるのですが、私にはその小説が(正直にいって)おもしろいとは感じず…、主人公の周りも芳しい反応もなく、うまく理解できていません。文士パーティに参加した主人公は、周りの理解のなさにキレてパーティの終わりに扇風機にやつあたりします。
で、この小説でいったいジッドはなにを伝えたかったのか? がいまいちわからず。わからないというのは、「パリュード」の後半部分の文士たちの掛け合いの頭の回転の速さについていけなかったのですね。そこがいまいち読み取れなくて、この小説はなにがいいたいのかがよくわからなかったのです。
ということで二作まとめて読書感想文。
ここにはいくらかの誤読が含まれているので、実際読んでみると感じ方が違うかもしれません。誤読含みの、読書感想文、またなにか小説を読んで、感じること思うことがあったら記事にします。