日傘を買った。
水色の地に、しろい刺繍が入っているやつ。日傘はどれもこぶりで、みんな、かわいい模様をしている。たとえば帽子や服を眺めるのと同じように、日傘を眺めるのも、少しだけ楽しい。今日は、日傘を差して、隣の街に買い物をしにいった。古本屋(といってもチェーン店の)の棚を眺め、新しいイアフォンを買い、帰りにハンバーガーを食べた。というような、ありふれた、一日。
家に帰ったら、PCを開いて、小説を検索し続ける。
部屋には、積み重なれた小説がまだあるというのに。新しい、出会いを求めて、新しい、空気を求めて、小説を検索し続ける。本を借りようか、と思い、でも留まる。隣の自室には、積み重なれた小説が、あるから。
一時期、本を早く読まなくては、と思っていたときがあった。でも、それでは、本をちゃんと読めていないから、もったいないと思いはじめた。近頃は、一冊の本を、じっくりと読んでいる。たくさん読めなくても、いいや。一冊の本があれば。でも、その一冊の本は、じっくりと読むにふさわしい本であらねばならない、という条件がある。難解すぎるとだめだし、すらすら読める簡単なものでもだめ。じっくりと読むにふさわしいもの、とは、けっこう限られているのかもしれない。
とかいいつつ、今読んでいるのは、江國香織作品。
じっくりと読みながら付箋をべたべたと貼る。あとでもう一度読み返すもの、ここのシーンだけは書き写したいと思うもの、などに貼っておく。
彼女の小説は、子どもの頃のエピソードがたくさんあって、人物像がほんとうに細かい。
登場人物がどんな家族のもとで育ったのかはもちろん、なにが嫌いで、なにが好きなのか、ということを事細かに書いている。だけど、それがうっとうしくない。ひらがなを、効果的に用いて、ふわりと書いている。そこが、すごいと感じる。
何度でも戻りたくなるんだなあ。
わたしがどこへ寄り道をしていても(他の作家のを読んでいたり)、江國香織と川上弘美は、何度でも戻りたくなる。
そして彼女たちの本をふたたび読んで、久々に、初心に帰ったようだよ。