こんにちは、グロ@花粉症まだ少しです。
関東はやっぱり初夏ですね。
春と夏の中間はどこに?
って感じですが(笑
ここの所、世界情勢が動いているので
固い記事が多い、ここらで柔らかいのを。(^_-)-☆
ここ数日、中森明菜を聞いてます。
で、一番聞いてるのが↓「愛撫」
これ、作曲小室哲哉だったんですね
彼は当時、歌手に自身の限界音域より
1オクターブくらい高い音を要求する
ことで有名でした。
これは、無理に高い音を出すことで生じる、
音程の「揺れ」を狙ったものです。
が、中森明菜にはその揺れを要求していない
グロはこう思うのです。
「中森明菜の高音は抑圧されてる。
そして、その抑圧自体が武器」
彼女自身は低音を得意とする歌手なんです。
が、小室氏の大活躍もあり。
当時の主流は高音(チョイ音程を外した)。
多分、中森明菜自身はものすごい努力と
練習を行ったと思います。
ですが、持って生まれた声はどんなに練習しても、
限界というものがあります。
その努力そのものが高音への抑圧となって
曲に反映してしまっている。
そして、その曲に合う「詩」を選択すると
愛撫のような歌詞になる。
ちなみに、↓こんなの見つけました
YouTubeの書き込みに「怖い」が多数。
(無論、褒めてはいる)
このアニメ自体が抑圧の塊ですからねぇ
中森明菜にバッチリあってしまう。
かつ、自身の体験みたいな「詞」を当てはめると
彼女しか歌えない曲となってしまう。
(グロの子守歌♪)
歌うために生まれて来た。
まさに歌姫。
<おまけ>
Kalafinaの高音担当、WAKANAは
梶浦氏から「悲劇的」と言われたことが
あります。
彼女は自身の音域より、高い音をほぼ
完璧に出すことが出来ます。
が、ほんのわずかに揺れる。
これが、これだけ努力して完璧なのに
「及ばないかもしれない」
「あと、一歩踏み出せば」
「それでも、どうしても」
って感覚をもたらす、
これが「悲劇的」の源泉かな
と、グロが勝手に思ってます。
再活動、待ってます!