【LESS IS MORE 】The 80/20 Ruleが人生を変える
【LESS IS MORE】
80:20ルールが人生を変える
2009 年、アメリカ経済が崩壊する。 前線で戦っていた自分達にとってはこの経済崩壊は2008年09月ぐらいから予測されていたことであるが、この機会を利用 してさらに飛躍しようと考えた。 ニューデリオフィスでは自分が知らないスタッフが沢山増え、東京では当時予測された様々なプロジェクト展開を考え、基 盤作りを始めていた。
2008年12月、アメリカ国内で契約していたプロジェクトが次々と保留、または中止という連絡を受ける。
翌年、1月には当時本社で契約していた60%以上のプロジェクトが保留となり、面白いようにプロジェクトファイルを一時的クローズすることになった。
「保留っていたって、ほとんどのプロジェクトは現場で基礎工事がはじまっているのに。。」
そんな常識では考えられないことが次々と起こる中、自分では考えれない状況が刻々と迫っていることには気がついていなかった。 というより、自分の目で見ている風景と、自分が考えている事柄のギャップの大きさを認めたくなかった。
CFOのシッドがあらゆる分野を予測した会計分析書を手に取ってつぶやいた。
R204の弁護士を横に自分もあらゆるアングルで生存するためのバックアッププランを模索した。 できる限りのOH(Overhead=企業の運営にかかる諸経費)を削ったが長期生存するためのターゲットには及ばなかった。
結果、スタッフを一時解雇する案、
当然、自分もビジネスパートナーも否定した。
一 生懸命頑張っているスタッフや管理員のことを考えると肩身が狭く、どうしようもない現状に頭が混乱することもあった。 自分たちの給料を止め、会社が蓄え た預金でスタッフを全て残す案を提案した。 パートナー達も賛成してくれた。 5月、そのような努力も世界は何も気にすることがなく、さらに経済が悪化す る。
結果、アメリカの常識では考えられない個人財産解放書にもサインをした。
「Dais-K、you are crazy.. I can't let you do this..」
弁護士のEricは最後にそう語ると悲しそうな顔でファイルをハンドケースに入れ、強く握手をした。
周りをみると国内のみでプロジェクトを進行していた中小会社はほとんど全て倒産、または一時的閉社していた。 また、同業の大企業であるR◯TKLやD◯MJMなどで主任をつとめる友人からスタッフを解雇を大胆に行わう指令を受け、R204でカバーできないかという相談も何度も受けた。
結果、事業主としてとても難しい結論を下すこととなった。
「R204DESIGNを最小限に縮小する」
縮小とは社員だけではない。
会社を最小限に定めるためには会社自体が存在する場所、
運営するために必要な電話、電気、水、全てのユティリティー、
紙質、駐車所、デジタル管理料、サバー維持システム、ベネフィット、
全ての事柄を最小限、場合によっては断ち切った。
サバイバルするためにできることを、一夜で判断、実行した。
言ってみれば強制的に「突然変異」するしかなかった。
当初、ロス、東京、ニューデリオフィスを含めると64人、
サウジでのリゾート・マスタープランやインドで少数のプロジェクトは呼吸しているが、
みんな全てを長期的守ることはできなかった。
2008年10月と比べると50%カットする結果になった。
奇跡も起きた。
サウジでのマスタープラン契約や、ドバイベースのディベロッパーとの再契約、
キャッシュフローが十分ではないが流れ始める。
次の問題は諸経費で2番目に大きかったオフィス(場所代)である
プロジェクトのほとんどは保留でありキャンセルではない。
景気が戻り始めたら、一気に動き出すことも予想しなくてはならなかった。
生き延びても景気回復時に場所がないというケースもバックアッププランとして考える必要があった。
「自分たちと同じ問題を抱えている会社は沢山あるはず。」
5500ft² (510m²) のオフィスを必要としていたスタジオを一時的にサブリースすることを考え、いろいろな場所に広告を乗せた。 デスクごと貸す “リモートオフィス”や、スタジオを部分的に貸すShelterOfficeという案で序所に連絡を受けるようになったが、お互い納得できるディールまで にはいたらなかった。 確かにオフィスをかっこ良くデザインしていたので、ハリウッドの映画やCMなどを一時的に貸すことで1-2ヶ月のレントはカバーで きたが長期的な案として期待することはできなかった。
結果、 建築関係のアメリカ大手建材技術会社がR204本部全てを借りたいという要望があった。 自分たちのような中小会社ではなく、大会社がスケールダウンする というケースは考えていなかった。 彼らの要望は30日以内に移動したいということだった。 彼らもこの緊急事態にわらをもつかむ思いだったのだろう。
ア メリカの法律に沿ってサブリースする場合、物件を専門にする弁護士を雇い、きめ細かい書類を検討する。 物理的に移動することだけでも大変なのに、法律的 なチャレンジや資金的チャレンジなども短期間にクリアーする必要があった。 このような緊急事態が起きると誰もがテキパキと仕事をした。 人に承諾を求め るのではなく、自分でやって、ダメなら「ごめん」と一言いうだけでもくもくと作業をこなした。
沢山の判断を十分分析できないまま、心で感じる「感」のみを頼って決断した。
みんなの努力がかない、期限以内に当初払っていた家賃以上で契約成立、経済的にも心理的にも安定する状態へ変化した。 移動先は以前独立させたグラフィック・ブランディング専門会社2HELIX に移動することができた。
言ってみれば建築家とグラフィックデザイナー達がまた同じ屋根の下で作業をするだけ。 社内は経済状態とは逆に活気が溢れることとなった。
【強制的に突然変異したR204、そして夢に抱いていたライフスタイル】
6月、自分のライフスタイルも強制的に変える決心をした。
経済に頼るライフスタイルから脱出したいと思った。
今自分に一番大切なことを今やってみようと思った。
5年後の夢を年内にかなえようと思った。
BEM をもう一度作成.
7月、 ビジネスパートナーがダウンした。 ストレスは物理的存在する病気である。
彼が入院中病室で自分の身の回りの分析を始めた。
パートナーのダウンから毎日の作業が更に厳しい状態となった。
「問題とは最悪の事態に発生するものだなぁ。。。」
沢山の事柄をさまざまなアングルで分析した。
プロジェクトをデザインするように“自分のあり方”と“R204DESIGNの将来”をあらゆる角度で見つめ直した。
"Let hard feelings pass。。"
自分を犠牲者にするのはもうやめよう!
決断のほとんどは感情的に難しいけれど、
物理的にはそれほど難しくないものである。
ユダヤ人の恩師からこんな言葉をもらったのを思い出した。
分析してみると自分が認めたくない内容が沢山あった。。。
自分の目を疑った。
「これは。。 ミケーレが言っていたことと全く同じじゃないか!」
↓続きの記事を読む
【ETR- the Eighty-Twenty Rule】
Pareto's Principle