【ETR-the Eighty/Twenty Rule】 | カリフォルニアの建築家日記

【ETR-the Eighty/Twenty Rule】

【ETR- the Eighty-Twenty Rule】
Pareto's Principle


自然界には80/20ルールというものがある。
自分もデザインをする際このルール無しでは何もできないほど大切なルール。
細かい話は後に説明することとして、
イタリアの経済学者パレート氏が発表した“自然の散らばり方”を示すルールである。
このルールを学んだのはイタリアに留学した時、ローマ大学に勤務していたミケーレ教授から教わった。

パレートの法則とは、経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。80:20の法則、ばらつきの法則などと呼ばれることもあるが、本来はそれが進化してしている。(一部ウィキペディア参照)
経済以外にも自然現象や社会現象等様々な事例に当て嵌められることが多い


畑に植えた種の80%は虫に食われ、20%のみが成長し種を残す、

世界の80%の人々は20%の起業家によって生活が支えられている、

体の80%部分は残りの20%をサポートするためにできている。

全てが相互関係にあり、実際の比率は80:20、 90:10、 場合によっては99:1(アリと女王アリの関係など)平等という比率からかけ離れていく事実である。


当時のR204、自分の一日の行動を見てみよう。
当時プロジェクトの契約数21件、また、既に契約済でスタートを待つプロジェクトを含めると36件となるが、R204を支える全てのクライアントの中から 83%のクライアントが、何らかの理由から支払いが遅れていたり、契約外の事柄を要求されていたりなどで、自分が直接注意が必要なCODE Orange List (ビジネスにおけるリスクを示すリスト)に上がっていた。 

興味深いことに、全てのクライアントの20%弱がプロジェクトの大小には関わらず、R204全ての経費を支えている事実も明白になった。

自分が当時費やしていた時間はどうだろうか?
80%以上の時間をHR(Human Resources 人事、マネージメント)に費やしていたり、80%以上の時間をデザインを必要としていない大手会社にマーケティングという理由で時間を使っていたり、一つ一つの効率は良いが効果が全くない行動が大半を閉めていた。


「そんなこと言ったって、自分がしなければ誰がするのか?」

「Hmmmm.. でも誰がしなくてはならないといったのか?」


75%の時間はメール返信やマネージメントから送られた問題解決に時間を費やし、15%以内の時間でデザイン作業に必要なコンセプトを想像する必要があった.また、その中で90%の時間は俗にいう“考え中”であり、10%の時間で本当に上手くいく案が生まれていた。

自分の私生活にも注目してみた。
3LDK+2Baths, 2Toilets、もう一つのbathは半年以上使っていなかったり、外にあるガーデンだって80%以上の場所はオープンであり、ただ水をあげるだけ。鯉の池を造って楽しんだが、実際楽しむ時間は一ヶ月の時間で比較すると1%以内かもしれない。

クロゼットを見てみる。 
自分がお気に入りの服を除けば80%以上の服は「いつかまた着るために保存している」状態だったり、ネクタイだって、自分が実際に使うタイは結婚式のようなフォーマルパーティーか葬式のみ。1%にいたる。

T-シャツの90%はタンスの奥にあり、
靴だって実際履いているのは3足で十分だった。

歯を磨いている時も、
90%以上の水は垂れ流しで実際うがいに使う水は微たるものだった。

大金を払って買ったベンツやBMだって実際乗っているのは一年間で60日未満だろう。。


「いつこんな状態になってしまったのか? 
    別に贅沢しているつもりではなかったのに。」


自宅の車庫を開けると宝の山のように沢山の箱が詰まっている。
アメリカに渡り20年、当然いろいろな思い出がある。
初めて来た時買ったブーツやいつ使うかわからないカウチまであった。


翌週、土曜日の朝、全てを強制的に整頓することにした。 外から見れば普通の土曜日だったが、自分にとっては一生に2度とない日だと決心し、ガラージを開けた。

確かに自分では認めたくない内容も沢山あった。
昔もらった手袋、当時の彼女からもらったマフラー、いつになるかわからないが、”リタイア”したときに読み通したい雑誌のコレクション、ヨーロッパに留学 した時集めた世界中の地図、切手、ホームステイの母からもらった食器など、箱を開ける前までは覚えていない物だが、思い出が沢山あるものばかり。。。

「Hey, Hard feelings passed..」



オフィスと同じように自分が最小限に必要な物だけを残すことにした。
結果、4つの箱(っといっても場所)を用意した。


【Go pileの誕生】


1. Donation Pile (寄付の山)
2. Keep Pile (取っておく山)
3. Sell Pile (売ってしまう山)
4. Go Pile (出かけろ!の山)

最初の1、2、3は簡単に仕分けができた。 
どうしても取っておきたいものは見た瞬間わかる。

寄付するもの、例えば古くなった服やいらなくなったコンパスなどは分かりやすい。
まだ使えそうなコーヒーメーカーや、VHSプレイヤーはEbay やアマゾンで売れる。

問題は「捨てるもの」だった。  
寄付したり、手元に置く場合は心に言い訳が付き納得できるが、
捨てるとなると話が違う。

最初の10品は、両手に持ちながらどちらの挑戦者が生死の駆け引きをするのかという具合に悩んでしまった。

「いつか使うことがあると思うし。。」
「必要な時に、なかったら困るし。。。」
「あの時こんな思いで手に入れたものだし。。」

そんな言葉が脳裏を駆け巡り、混乱してしまった。
そんな時、一言。

「GO!」っといって両方 ”ゴーパイル”(Go Pile)へ投げた。

その瞬間、自分でも吹っ切れたのか、沢山の物が“ゴーパイル”へ流れ出した。
いつか直そうと思っていた旧式カメラ、ずっとためていた建築雑誌、タオル、枕、文房具、 複数存在していたスーツケース(将来引っ越すためなのか?)、テープ、寝袋、建材のサンプル。。。全てを一セットだけ残し、重複しているものは寄付かゴーパイルへと移動していった。

そればかりではない。 昔から捨てられなかった電気釜はお手伝いさんへ、アナログのステレオプレイヤーは庭師へと彼らからするとクリスマスの夏版を経験しとても嬉しそうにしていた。

知らぬ間に貯まっていた名刺、90%以上の人々は名前すら覚えていないし、10年以上コンタクトを取っていない。 どこの国か分からないレストランの名刺だってあった。

昔から捨てられない図面
「GO!」 

学生時代に造ったスタディーモデル、やはりほとんどが壊れており、思い出だけが残っていた
「GO!」

デザインプロセスのスケッチ
「GO!」

当時会社勤務していた時着ていたスーツ、
「GO!」


時計は従兄弟にもらったものとカジュアルな時計のみ。後は、、
「Donation! または Sell! 」

eBay (www.ebay.com)や Amazon (www.amazon.com) で面白いように売れた。
今でも何か見つけるとゲーム感覚で売り買いをするようになった。

いらなくなったカウチや家具などはクレッグズリスト (Crags list www.cregslist.com)で翌日即完売。 買い手が取りに来てくれるので手間も時間もかからなかった。


自分は帽子が好きで集めていたが、残ったのはゴルフ用一つとカジュアル用の一つ、後は、、
「Go!」っと言った具合だ。


アメリカで毎週回収に来る大きなゴミ箱もいっぱいになり、仕分けはできたものの捨てるだけでも三回ほどかかった。



【情報・生活・ライフスタイルのダイエット】

振り替えてってみると、
自分の人生を変える大切なBreakthroughを経験したことになる。

戦後生まれの両親から育った僕たちは
“物を大切にするように”というコンセプトのもとで育った。

確かに物を大切にすることの重要性は言うまでになく、常識だと思う。
お米には7人の神様が宿っており、お米一つ一つ残さず食べる習慣や
一度買ったものは大切に壊れるまで利用し、保存しておく「習慣」を身につけている。

物があまりなかった社会では当然「成功像」が自然と形成されていく。

MORE IS BETTER

建築をしていても感じることだが、一般に求められる住宅デザインを例に取ってみると大きな床面積や沢山の部屋を持つことが素晴らしいと考えられていたり、 年収が大きければ大きいほど素晴らしいと考えられていたり、会社も大きくすることで成功しているように見えたり、ブログのアクセスが多ければ多いほど素晴 らしいブログに感じたり、“所有すること”は財産であり、財産は大きければ大きい方がいい。。


しかし、本当はどうだろうか? 

本当にMORE IS BETTERなのだろうか?

収入が大きくなればなるほど自分の時間がなくなってきたり、
出世すればするほど自分の場所が固定されてきたり、
有名になればなるほど、自分の思いを素直に表現できなくなったり、、

自分が本当にやりたいことを確認すれば、
自分に最小限に必要な物、
本当に大切な事柄だけに時間を費やすだけでいいのではないか?

そのような視点から考えるとそんなにお金が必要というわけでもなく、
沢山物を持っていなくてもよいことになる。

当然、全てを取り除き、電気の時代にロウソクを使って生活しろというわけではない。
便利な物は最大に利用し、これからも新しいテクノロジーに遅れを取らず学び使いこなしたい。 

ダイアル電話から携帯、そしてiPhone. 
それがModernistであり、
「いや、私は携帯は持ちません」というのはおかしなことである。

でも、これからの時代は物を多くもつのではなく、
必要最小限で沢山あふれている情報を必要な分だけ切り取り消化する

そんなライフスタイルの考え方が大切になってくるのではないか?


ダイエットは食べ物だけではなく、
生活やライフスタイルにも必要なのかもしれない。。。



【LESS IS MORE】

情報・生活・ライフスタイルダイエットを実施後、
想像もしていなかったことが起きる。

1. 物理的なスペースができたこと。
このことは述べるまでもなく、部屋の角が全て見えることはとてもきれいであり、
見た目もとてもスッキリした。

2. 内面的なスペースができたこと。
実際やってみないかぎり説明はできないが、一言でいうと
「頭の中がスッキリした」と表現するべきだろうか。

コンピューターのメモリーが満杯の状態でワードドキュメントを探すより、
きちんと整理された引き出しの一番上に目で見えるファイルを見る感覚であろうか。

妙な物理的欲求がなくなったというか、頭の回転が早くなったというか。。

このダイエットから物の見方も変わってきた。

一つ一つ買う前に簡単な質問をする
「これは本当に本当に自分に必要だろうか?」
「使用後、寄付することができるだろうか?」。。。

3. 効果が3-4倍に。
短い時間に集中し必要なことだけを的確に行動するだけで
デザイン作業も安定し、2-3倍の効果が現れてきた。
現在は旅先といったリモートオペレーションであるが、
通常と同じ3つのプロジェクトを同時進行し、
半分の時間で3倍以上の効果をだせるようになった。

また無駄な行動を会社レベルでやめたことで、少数のクライアントに集中してサービスすることができ、当時のデータと比べるとプロジェクトの利益も3-5倍に向上した。

途中から契約以外の事柄をただで作業を求めるクライアントは全てこちらから解除し、その時点で清算する提案をした。

現在ではほとんどのクライアントがお互いの立場を尊敬し、殿様商売のような奴隷式契約はいっさい求めないようにした。

本当にR204を求めているクライアントに時間を注ぐ体制を造りだそう。。。



LESS IS MORE
情報社会と言われる現在、物が余るようにある。
レストランでは食べきれないほどの量がお皿に乗っていたり、テレビをつけれは似たような情報を何度も何度も繰り返していたり、もらっても必要でないお土産を買ってしまったり、携帯の住所録だって覚えていない人の名前が沢山あったり。。


LESS IS MORE
自分に必要な物だけをもつ贅沢だってある。


LESS IS MORE
自分にとって本当に大切な事柄だけに時間を使う贅沢だってある。


LESS IS MORE
必要でないものは手放す勇気だってある。


LESS IS MORE
食べきれない時、残す勇気だってある。


LESS IS MORE
自分を必要としていないことは断る勇気だってある


LESS IS MORE
シンプルな人生が一番充実感を味わえる。




8月から旅を始めた。 
旅をしながら世界どこからでもリモートでアイデアを送り
アイデアを育てるシステムを造る。。。

「今やらなかければいつやるのだろうか?」

MORE IS BETTER では
成功すればするほど自分の自由な時間と自由な場所が失われていった。

LESS IS MOREでは
成功すればするほど自由な時間と自由な移動性を得ることができた

またまだ沢山調整するところはあるけど
大好きな建築を自分が好きな時間に好きな場所でできる
そんなライフスタイルがあってもいいんじゃないかなぁ?


考えても仕方がない。
とにかく、実践してみよう。


自分を使って実験、実験。 笑


See ya,


:D

2009年 10月 上海