2023年の元旦。

 といっても、もうすぐ2日を迎えようという時刻。

 大阪の、とあるタワマンの一室で、正月の宴がたけなわだった。

 このタワマンは40階建てで、イシスの専用劇場の近くにあり、みんなが寝泊まりするためにイシスが購入した。

 団結力を高めるために、たまにここで団員が寝泊まりする。

 最上階ではないがそれに近い38階で、広い建物の3分の1を占めており、ちょっとした旅館の宴会場くらいの広さがある。

 決して安くはないが、今のイシスにはどうということはない金額だ。

 売れない頃が嘘のように、今のイシスは羽振りがいい。

 その部屋に集まっているのは30人ほど。

 ここ毎年恒例となっている、異業種たちのパーティだ。

 異業種と言っては聞こえはいいが、中にはとんでもない業種(と言っていいのかどうか)が混じっている。

 IT業界にアパレルに居酒屋に経営コンサルタント。

 この辺りは普通だが、日本で一番売れている劇団の四天王にマル暴に公安、それにロシアの情報部に属している人間もいる。

 今では喫茶店を営んでいるが、元CIAのトップシークレットに属していたエージェントというか殺し屋までいる始末だ。

 こんな、普通ではあり得ない組み合わせの連中が仲良くわいわいとやっているのは、ここ数年前から正月に起きている事件がきっかけだ。

 これらの事件には、裏の世界で知らない者はいないが、世間では知られていない赤い金貨という犯罪組織が絡んでいる。

 赤い金貨の主な収入源は武器売買であるが、それ以外にも人身売買や人質ビジネスや殺人請け負いなど、金になることならなんでもやる組織だ。

「人命は金脈」というスローガンを掲げて、鮮血にまみれた金貨を掴み取ろうとの意味が組織名の由来となっており、マフィアですら赤い金貨は避けている。

 そんな組織だから、そこに入っている連中は、人を殺すことなどなんとも思っていない。女子供どころか赤ん坊までも平気で殺す奴らばかりだ。

 そんな連中が、過去五年に渡り、ここに集うメンバーに毎年正月に煮え湯を飲まされている。

 カレンとターニャと桜井はプロだから当然といえるし、安藤はマル暴で、木島は元武闘派のヤクザだからまだしも、ただの民間人である他の連中も、殺しを生業とする凶悪集団の輩に負けてはいない。

 ここ二、三年は、あんなに気弱で情けなかった新八ですら、赤い金貨の戦闘員を何人かノックアウトしている。

 まあ、新八の場合はまぐれといえばまぐれだが。

 だから、ここに集まる連中は、職業は違えど同じようなタイプの者ばかりだ。

 そして、五年に渡る赤い金貨との争いも、国家存亡や身の危険や欲得などとはまったく無縁で、すべては猫のために命を懸けている。

 興味のない人間からすれば、たかが一匹の猫、取るに足らない命、初めて会ったその小さな命のために、みんな自分の命を顧みず戦ってきた。

 みんなの胆力と戦闘力の高さに、裏の世界で「世界の三凶」と恐れられているカレンとターニャも舌を巻いている。

 だから、こうやって親しく騒いでいるのだ。

 カレンは悟だけいればいいと思っていたし、ターニャは誰をも信用せず、孤高の中で生きてきた。

 そのカレンはIT会社の社長の健一とマブダチになり、健一の妻の日本で一番チケットが取りにくい劇団イシスの四天王の一人、麗とも仲良くしている。

 イシスは、最初の事件のとき、カレンに了承を得てカレンを主人公にした舞台を開いた。それが当たりに当たり、今ではそのストーリーも五作目となっている。

 その舞台で、カレン役を務めているのが麗だ。

 カレンも何度か公演を観に行ったが、麗が演じるカレンを気に入っている。

 健一と麗、それにイシスを除くメンバーとは正月以外には会わないが、カレンはみんなに心を許している。

 それはターニャも同様で、孤高を貫いてきたターニャでさえ、この連中には気を許している。

「よう、久し振りだな。風三郎ジュニアは元気かい」

 善次郎が、洋二と談笑している木島の肩を叩いた。

 振り返った木島が、笑みを浮かべる。

「元気だぜ、今来たのか?」

「ああ、ちょっと仕事で遅れちまった」

 妻の美千代と息子の洋平は先に来てみんなと楽しくやっているが、年始だというのに善次郎だけ仕事があって遅れた。

 善次郎のコンサル業は軌道に乗っており、正月も営業している会社が幾つかある。

「正月早々大変だな」

 木島が笑った。

 コンサルを始める前の善次郎を知っている木島には、今の善次郎が眩しく見える。

「かっちゃんとなっちゃんも元気か?」

「ああ、元気だぜ」

 善次郎の飼っている、二匹の猫だ。

 この猫たちのお陰で、善次郎に三下り半を叩きつけて家を出ていった妻の美千代と復縁でき、息子の洋平とも一緒に暮らせるようになった。

「そういえば、文江さんはどうした?」

 善次郎は会場を見渡し、木島の妻の文江がいないのを確認して訊いた。

「あいつは、ちょっと野暮用で遅れている。もうじき来るだろう。よう、大学生活はどうだい」

 通りかかった洋平に、木島が声をかける。

 初めて木島と出会った時は高校受験を控えていた洋平が、今では大学三年になっている。

「順調だよ。木島さんも元気そうだね」

 元ヤクザの木島を、洋平はとても好きだ。

 木島のお陰で、人間は職業や見た目ではないということを、洋平は学んだ。

 それもあってか、カレンやターニャや桜井や安藤とも、物おじせずに話ができる。

 裏の世界で恐れられている人間や、公安にマル暴なんて連中と気軽に話が出来る大学生なんて、そうそういるものではない。

 そしてカレン達も、過去数度の戦闘で、洋平に度胸が備わっているのを知っており、気さくに話に応じている。

 子供ながらに度胸が据わっているのは、杉田敏夫の息子の浩太と娘の由香利も同様で、二人は洋平とも気が合い、連絡を取り合っている。

 カレンとターニャは、この三人より幼い時から過酷な運命を背負っていたが、それでも平和ボケした日本人の中に、こんな若者がいるのは嬉しい。

「今年も、誘っていただいてありがとうございます」

 真が、健一と麗に頭を下げた。

「あんたらも仲間やからな」

 健一が笑って答える。

「まこちゃん、みんなと会うの、とても楽しみにしてたんですよ。もちろん、私も」

 実桜が、二人に微笑んでみせた。

「いつも仲がいいわね」

 麗が、柔らかい笑みを浮かべながら言う。

「仲がいいのは、お二人もそうですよ」

 実桜が答える。

「尻に敷かれとるからな。それが、夫婦円満の秘訣や」

「誰が、尻に敷かれてるの。よく言うわね」

 横から口を出したのは、涼子。

 健一の会社を支える存在で、麗とはライバルでもあり、よき友人でもある。

「なんや、そんな言い方したら、俺が具合の悪い人間のように聴こえるぞ」

「実際、そうじゃない」

 健一の反論を、涼子が一刀両断にい切り捨てる。

「麗さん、ほんま、よく耐えてはりますね」

 新八が割って入ってくる。

「また、おまえはしようもないことを」

 健一が、新八の頭を軽くしばいた。

「あっ また叩きましたね。本当に、パワハラで訴えますよ」

「だから、好きにせえと言うとるやろ」

「まったく、この二人は進歩がないんだから」

 二人のやり取りを、涼子が呆れ顔で見ている。

「まあ、それだけ仲がいいということですよ」

 良恵が、涼子にシャンパンのグラスを差し出した。

「そうね」

 良恵が差し出したグラスを受け取りながら、涼子が笑みを浮かべた。

 健一、涼子、新八、良恵。この四人の結束は堅い。

 今では、健一の会社は二十人を超える社員がいるが、それもこの四人の結束が固いから、会社の業績を伸ばしていっている。

「ところで、千飛里さんとは、うまくやってるんか」

 いつも会社で顔を合わせていても、健一はそんなことは訊かない。

 いわば、正月パーティの恒例のようなものである。

「もちろん、うまくやってるよ」

 千飛里がどこからかやってきて、新八と腕を組んだ。

 新八が顔を赤くしてうつむいてしまった。

 今では日本一といっても過言ではない劇団イシスの団長と、なんとも頼りない新八の組み合わせだが、夫婦仲はとてもよい。

「そういえば、今年、ブロードウェイで上演されるそうですね」

 実桜が、尊敬の眼差しを千飛里に向ける。

「まあね、向こうからオファーがあってね。いい機会だから、やってみようということになったんだよ」

 千飛里は美しい顔立ちをしているが、言葉使いや態度は男のようだ。

 宝塚の男役に憧れていたので、そういう振る舞いをしているのだろう。

 みんなに見せる態度と違って、千飛里が実に女らしいということは、新八だけが知っている。

 イシス起ち上げ時から苦楽を共にしてきた麗や春香、それに学生時代から一緒の瑞輝すら知らない。

 カレンを題材にした五作目の舞台が、ブロードウェイのプロデューサーの目に留まり、ニューヨークでの実演が決まったのだ。

「凄いですね」

「よかったら、招待しようか?」

「ほんとですか! ぜひ、お願いします」

 実桜が、手を叩いて喜んだ。

「よかったね、実桜ちゃん。俺ら、新婚旅行に行ってないから、新婚旅行がてらに観に行こう」

「嬉しい」

 実桜が、真の肩に頭をを持たせかけた。

「今年も楽しいな」

「ほんとうに、これで今年も頑張れるな」

 多田野と今池が、辺りを見回しながらグラスを合わせた。

「多田野さん、今池さん、今年もよろしくね」

 洋二の妻のひとみが、二人が合わせるグラスに、自分のグラスを合わせてきた。

「もちろんです」

 二人が口を揃えて返事をする。

 多田野と今池だけではなく、洋二の会社の社員は、みんなひとみのことが大好きだ。というより、慕っている。

 しっかりしていて、優しい。

 誰も、ひとみの前職なんて気にする者はいない。

「今年も、この会合に呼んでいただいて、とても感謝しています」

「私もです」

「そんな堅苦しい話は抜きにして、大いに楽しみましょ」

 多田野と今池が頭を下げようとするの、ひとみが陽気に遮った。

「善ちゃん、元気にしてたか」

 敏夫が、善次郎に声をかけてきた。

「元気だよ。それより、わざわざ東京から来てくれてありがとう」

「なに言ってるんだ。これがないと、年が始まらないよ。今では、女房と子供達も楽しみにしてるんだぜ」

「私がどうしたって?」

 妻の里美が、赤い顔をして寄ってくる。

「なあに、みんなこの会を楽しみにしてるって話をしてたんだ」

「そうよ、本当にみんなと会うのが楽しみなの」

 里見は、去年初めてカレンに声を掛けられて、少しだけだが話しをした。

 なんともいえぬ雰囲気を醸し出していたものの、里美は少しも怖いと思わず話すことができた。

 それが、里美の自信にもなっている。

「あなたと、別れなくてよかったわ」

「また、それを言う」

「恒例になってますね」

 二人の会話を横で聴いていた早苗がころころと笑う。

 敏夫の子供の浩太と由香利は、善次郎の息子の洋平と仲良く談笑している。

 浩太も、猛勉強してしかるべき大学に入り、今では社会人となっている。

 由香利は洋平と同い年で、大学三年だ。

「月日が経つのは早いもんだな」

 談笑する三人を見て、敏夫がしみじみと言った。

「そうね」

 里美は、慈愛に満ちた顔で談笑する三人を見ている。

「由香利、洋平君のこと、どう思ってるのかな」

 談笑する三人を見ながら、敏夫がぽつりと言った。

「どういうこと?」

 里美が、敏夫に目を移す。

 善次郎も敏夫を見た。

「いや、あの二人、似合いかなと思ってね。いっそ付き合ったらどうかと」

「なにを言いいだすんだ、いきなり」

 驚いた善次郎の言葉を、里美が吹き飛ばした。

「付き合ってますよ、あの二人。遠距離ですけど」

 里見の言葉に、善次郎はもちろんのこと、言い出しっぺの敏夫も驚いた。

「知らなかったの、あなた」

 善次郎の妻の美千代が、いつのまにか横にいた。

「由香利ちゃんと洋平はね、去年の新年会以来仲良くなってね、毎日zoomで話しているし、たまに洋平が東京に行ってるわよ」

「えっ? じゃ、友達と旅行に行くと言ってたのは、由香利ちゃんに会いに?」

「そうよ」

 事もなげに、美千代が答える。

「私も、洋平君が東京に来たとき、何度か一緒に食事をしたわ」

 里見が、美千代の言葉を裏付けた。

「おまえ、なんでそれを黙ってたんだ」

 善次郎と敏夫の声が重なる。

「言ったら、心配するでしょ」

「そうそう、男親ってのは肝が据わってないからね」

 里見と美千代の言葉に、早苗が噴き出した。

 善次郎と敏夫が情けない顔になる。

 そこへ、洋平が由香利と共にやってきた。

「おとうさん、それに杉田のおじさん」

 洋平が殊勝な顔をして、改まった口調で二人の顔を見た。

「僕たち、去年から付き合ってます。黙っていてごめんなさい。遠距離だけど、僕は由香利さんの事が好きです。将来結婚したいと思ってます。だから、どうか二人の付き合いを許してください」

「私も、洋平君のことが好きです。私たちの付き合いを許してください」

 洋平と由香利が、二人に向かって深々と頭を下げた。

 善次郎と敏夫が顔を見合わせる。

 そして、二人同時に破顔した。

「いや、まいったな。二人のことは、今、里美から聴いたよ。俺が、いっそ付き合ってくれればと言ったらね」

 敏夫の言葉に、洋平と由香利の顔が明るくなる。

「俺が知らなかったのは悔しいけど、これも不徳の為せることだな。俺は、二人が付き合うことには大賛成だ」

 そう言って、敏夫が善次郎を見る。

「俺も、賛成だ。洋平、いい子を選んだな」

 善次郎が洋平の肩を抱いた。

「ありがとう、おとうさん」

 洋平は、少し涙ぐんでいる。

「おとうさん、それにおじさん、ありがとうございます」

 由香利も涙ぐみながら、二人に礼を言った。

「善ちゃん、よかったな」

「おう、よかった」

 敏夫に善次郎が答えたとき、周りから拍手が起こった。

 いつの間にかみんな集まって、事の成り行きを見守っていたのだ。

 カレンとターニャも拍手している。

「おい、あいつら、人間が丸くなってないか」

 桜井が、悟にそっと囁く。

「元々、カレンは優しい人間や。ターニャさんもな」

「そうかもな」

 悟の答えに、桜井も納得した。

「よっかたな、二人とも」

 健一の明るい声。

「おめでとう」

 麗の優しい声。

「お似合いですよ」

 ひとみが言うと、「まったく」と洋二がうなづく。

「よかったな、二人とも」

 端の方にいた洋二の父親の厳男が涙ぐんでいる。

「あなた、生きててよかったわね」

 巌男の妻が労わる。

「がんちゃん、めでたいねえ。ま、飲もう」

 古川が、厳男に日本酒の入ったグラスを差し出した。

「正月早々、こんな目出てえことはないぜ。みんな、洋ちゃんと由香利ちゃんの前途を祝って乾杯しようや」

 木島がグラスを掲げると、みんなも一斉にグラスを掲げた。

 その時、文江が血相を変えて入ってきた。

 小脇に白い猫を抱えている。

「どうした、血相を変えて? その猫は?」

 木島が矢継ぎ早に質問する。

 みんなの目が、文江に注がれる。

「大変だよ」

「大変なのは、おまえの顔を見ればわかるよ。いったい、どうしたんだ?」

「だから、大変なんだよ」

 大変と言いながら、文江の顔には怒りが浮かんでいる。

「まあ、これでも飲んで落ち着いて」

 古川が、文江の前に日本酒の入ったグラスを差し出した。

 それを受け取り、文江は一気に飲み干した。

「まあ、聞いておくれよ」

 酒を呷って落ち着いたのか、文江がみんなの顔を見回しながら話し出す。

「あたしがね、この近くまで来たとき、仲睦まじい二匹の猫がいたのさ。黒い猫と白い猫のね」

「その白い方が、そいつかい」

 木島が、文江の抱えている猫を指さした。

「そうだよ。それでね、あまりの仲のよさにちょっと見惚れてたのさ。あたしとあんたのようだってね」

「ふみちゃん、そんなこと言うと照れるでないか」

 木島が相好を崩す。

「それで?」

 話が進まないので、健一が先を促した。

「そうしたらさ、大型のバイクに乗った男が二匹の前で急停車してさ、黒い方をかっさらったんだよ。で、この白い猫ちゃんがその男に飛び掛かったんだけど、男に蹴飛ばされてね、地面に落ちる寸前にあたしが受け止めたのさ。それからこの猫ちゃんを抱えてバイクを追ったんだけど、所詮人間の足じゃバイクに敵うわけないじゃない、で、ここへ来たのさ」

「なんて酷えことしやがる」

「まったくだ」

 木島と善次郎が毒づいた。

「そのバイクだけど、このマンションの駐車場に入ったと思う」

「なんだって? そりゃほんとか?」

「たぶん。少し遠かったけど、黒いスーツを着て大型のバイクに乗っている男なんてそうそういないわよ」

 文江の言葉に、カレンの目が輝いた。

「黒いスーツ? そりゃ、間違いねえのか?」

「なに言ってんだい、あんた。黒い猫をかっさらうところから見てるんだよ、あたしは。ハーレーだかなんだか知らないけど、凄く大きなバイクに乗ってるのに、黒いスーツなんて不自然だと思ったのをよく覚えてるわよ」

「また、今年もか」

 健一がうんざりした顔をした。

「まだ、そうと決まったわけじゃないでしょ」

 麗が言ったとき、カレンとターニャと桜井のスマホがほぼ同時に震えた。

 三人とも職業柄音は鳴らさずバイブにしている。

 三人がそれぞれその場を離れて、スマホを耳に当てた。

 通話を終えて戻ってきたのも、ほぼ同時だ。

 カレンの顔はウキウキしており、ターニャはつまらなそうに、桜井はげんなりしている。

「どうやら、同じ内容やったみたいやな」

 悟が、三人に声をかける。

「赤い金貨がね、機密事項を仕込んだ黒猫を逃がしたらしいの。それで、躍起になって黒猫を捕獲しているってわけ。カンパニーから、その猫を奪ってくれって頼まれたわ」

 カレンの声は弾んでいる。

「その機密ってのは、何ケ国かの政治家のスキャンダルらしいわ。私の国の高官も入っているみたい」

 ターニャの声は冷めている。

「そうらしいな。日本の政治家も何人かいるらしい。それが漏れると政治生命に関わるから、なんとしてでも奪い返せだとさ」

 桜井がげんなりした顔をして首を振った。

「どうせ、女か金でしょ。赤い金貨か中国のハニートラップに引っかかったんじゃない」

 カレンの声には、侮蔑が込められている。

「そうだな。政治家ってのは、どっちも好きだからな」

 桜井は、まだげんなりした顔をしたままだ。

「で、どうするの?」

 ターニャはいつものごとく冷静だ。

「決まってるじゃない、正月早々楽しめるのよ」

「ま、あなたはそうでしょうね」

 ターニャが、冷たい視線をカレンに向けた。

「あまり、気が乗らないな」

「なに言うてるんや桜井さん。政治家のスキャンダルなんてどうでもええ。あんたが気が乗らんでも、俺達は猫を助けるで」

 健一の言葉に、みんなが「そうだそうだ」と唱和する。

「こうなると思った」

 カレンが笑う。

「私もスキャンダルなんてどうでもいいけど、私の近くで赤い金貨が活動するのは許せない」

 ターニャの本音は、猫を助けたいのだ。

 ここ数年、正月に猫を巻き込んだ事件に遭遇して、いつしかターニャも猫好きになっていた。が、そんなことは口が裂けても言うターニャではない。

「やれやれ」

 嘆息する桜井の肩を、安藤が叩いた。

「今年も、後始末をする羽目になりそうだな」

「仕方ないな、それが俺達の役目だ」

「じゃ、いっちょう派手にやるか」

「そうだな、どうせ後始末は俺達がするんだ。派手にやるか」

 ここに来て、桜井の元傭兵の血が騒いでくる。

「毎年毎年飽きもせず猫を虚仮にしやがって、あいつら許せねえ」

「おうよ、木島さん。二度と猫に悪さができないように、今年はとことん懲らしめてやろうぜ」

「そうだな、善ちゃん。徹底的にやろうや」

 木島が差し出した手を、善次郎ががっしりと握った。

「社長、私たちも参加しますよ」

「いいのかい? 多田野さん、今池さん。家族がいるだろう」

「なにを言ってるんです、社長。あなたにも家族がいるじゃありませんか。大丈夫です。こんなこともあろうかと思って、二人とも去年一年間空手を習ってました」

「君たちもか? 俺はキックボクシングを習っていたよ」

「なんだい、あんたら。こうなることを織り込み済みかい?」

 古川が笑って三人の顔を見る。

「いや、毎年あんなことがあっちゃ、一応念のためにね」

 洋二も笑って答えた。

「頑張ってね、あなた。それに、多田野さんと今池さんも」

「まかしといてください」

 多田野と今池が、ひとみにガッツポーズをしてみせた。

「凄いな、あいつら」

「健だって、ボクシングを習ってたじゃない」

 健一が感心するのに、麗が水を差した。

「まあな、新八と一緒にな」

「新さん、それ本当?」

 健一の言葉に驚いたのは、千飛里だ。

「どうりで、最近逞しくなったと思ってたわ」

 新八は、照れて俯ている。

「なに、この連中?」

 さすがのカレンも、少々呆れ気味だ。

「そんなに呆れたんなや。それだけ、猫にかける思いが強いんやろ」

 悟はニコニコ笑っている。

 ターニャも、そんな連中を見て笑みを浮かべている。

 エンジェル・スマイルとは違う本当の笑みをターニャが浮かべるのは、この連中といる時だけだ。

「猫ちゃんが集められているのは、最上階じゃないかしら」

 突然、春香が大きな声を出した。

 みんなが、一斉に春香を見る。

「たまに、目付きの悪い中国風の人が最上階に上がるのに乗り合わせるのよね」

 春香の言葉を聞いて、瑞輝が手を叩いた。

「そういえば、私も何回かあるわ」

 その時、文江が抱えていた白猫が文江の手から離れて降り立ち、天上に向かってにゃあと鳴いた。

「この子もわかっているんだよ。伴侶が上にいるってことがね」

「だから、大人しくふみちゃんの腕に抱かれていたのか」

「なんとも、いじらしいね」

 みんな、白猫のことを疑っていない。

 猫のためなら命を懸ける連中だ、猫の顔を見ればなにを言っているのかわかる。

「まったく、この連中ときたら」

 呟きながら、カレンはなにやらスマホを操作している。

「間違いないようね」

 スマホには、最上階の部屋の中が映し出されていた。

「出た、なんでもポケット」

 カレンのスマホを覗き込みながら、悟が嬉しそうな声をあげた。

「あなた、これ」

 悟の声に釣られて、覗き込んだターニャが呆れた声をだす。

「そう、ドローンよ。黒く塗ってあり、ステルス仕様だから相手には気付かれない」

「なんで、こんなもの持ってるの? いつ飛ばしたの?」

「こんなこともあろうかと思ってね、屋上に置いておいたのよ」

「喰えない女ね」

「んふふ、誉め言葉として受け取っておくわ」

 その頃には、みんながカレンの周りに集まっていた。

「どうや、カレン。俺らが開発したアプリは?」

 最近、健一の会社は、各方面に活路を求めようといろんな試みをしている。

 昨今の不況の煽りを受けて、法人相手の業務システム開発だけでは厳しくなっている。それに、増えた社員も養わなければいけない。

 健一の会社は結束が固く、一度入社したら辞める者はいない。そして、どんなに厳しい状況であっても、文句も言わずみんな前向きに働く社員ばかりだ。

 健一の人柄もさることながら、涼子の支えもあり、良恵と新八もよく下の者の面倒を見ているからだ。二人とも、役員になっても少しも威張らず、社員と一緒に笑っている。

「上出来よ、私の望み通りに仕上がってるわ」

「よかったな、新八。不満やったら、おまえ殺されてたで」

「なんで、僕が殺されるんですか?」

「おまえが開発責任者やからや」

「いつ、僕が責任者になったんですか? 責任者は秋月さんでしょう」

 社員がいる時は社長と呼ぶが、この面子だけの時は昔のように秋月さんと呼んでいる。それは良恵も一緒で、涼子は健一と呼び捨てにしている。

 どれだけ会社が大きくなろうが、昔のままの四人だ。

「社長のために死ぬのが、役員の務めやろ」

「なに、わけのわからないことを言ってるんですか。本当にパワハラで訴えますよ」

「やから言うてるやろ、好きにせえやって」

「なにかあったら、田上君の盾になって死ぬくせに。憎まれ口ばかり叩くんだから」

 涼子が言うと、「なんで俺がそんなことするねん」と言いながら、健一は顔を赤くした。

 それがわかっているから、新八も健一を慕い、じゃれているのだ。

 他のみんなも、それがわかっているので、微笑ましくその光景を見ている。

「二十匹以上の黒猫がいるぜ」

 カレンのスマホを除きながら、木島が怒りを露わにした声で言った。

 たくさんの猫が、幾つかの大きな籠に押し込められている。

「赤い金貨の連中は、何人くらいかな」

 善次郎の声を聞いて、カレンがあるボタンを押した。

 スマホの画面上に人型の絵と猫型の絵が表示され、横に数字が表示された。

「猫が二十二匹で、赤い金貨の連中が五十三人ね」

「凄いな、そこまでわかるんだ」

 真が感心する。

「これは便利ね、私も頼もうかしら」

 ターニャが、スマホの画面を見ながら感心したように言った。

「おい、新八。ターニャさんの頼みやったら、絶対に失敗できへんぞ」

「ですね」

 答えた新八の顔は緊張に包まれている。

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」

「そりゃ、失敗、即、死に繋がるからな」

「わかってるなら、しっかりやってちょうだい」

 ターニャ相手にこんな冗談を飛ばす健一も健一だが、それを怒ることなくターニャも笑顔で返している。

「この連中の前では、ターニャも随分人間臭くなるな」

 口には出さないが、桜井は心の内で呟いた。

「今年はえらく少ないな」

 木島が首を捻る。

「その代わり、精鋭を集めたようね。動きがこれまでの連中とは違う」

「とすると、赤い守り神か」

 赤い金貨の中に、組織を邪魔する勢力を排除する部隊がある。

 それを率いる世界の三凶のひとり劉はカレンによって倒されたが、赤い守り神に属する者は、人を殺すことなどなんとも思っておらず、どんな卑怯な手段でも平気で使う赤い金貨の中でも、最も殺しに秀でており、非情な人間ばかりで構成されている。

 これまで健一達が相手にしてきた黒服は、ただの赤い金貨の構成員だった。が、今度はレベルが違う。

 ここ数年、何度も煮え湯を飲まされてきたので、今度は万全の態勢を敷いてきたものと思われる。

「君たち、今度ばかりはここにいてくれ。猫の奪還は俺達に任すんだ」

 スマホの小さな画像だけだが、桜井もこの連中が危険なのはわかった。

「なに、言うてるんや。猫が危険な目に遭うてるのに、おめおめ指を咥えておれるかい」

 健一の啖呵に、麗と涼子がにやりと笑う。

「止めても無駄よ。こいつは単細胞だから、猫のことしか考えてないのよ」

「涼子さん、それは私のセリフよ」

「そうは言いますがね、お二人さん。旦那と社長が死んだら困るでしょう」

「健は、このくらいで死ぬようなタマじゃないわ。それにね、命が惜しくててここに残るような男だったら、生きている価値がないわ。その時は、私が殺すわよ」

 平然と麗が返す。

「そうね、健一がそんな男だったら、会社を続けても意味ないしね。健一を殺すなら、私も手伝うわ」

 涼子がにやりと笑う。

「そうだぜ、これまでの奴らと違って、どんなに残忍で強いか知らねえけどよ、ここで引っ込んだんじゃあ、風三郎ジュニアに申し訳が立たねえぜ」

「俺も、活と夏に申し訳がたたないな」

「頑張ってね、あんた」

「あなた、それでこそ男よ」

「お父さん、僕も大人になったことだし手伝うよ。こんな時のために、大学は空手部に入って日本一になったんだから」

「おう、洋ちゃん。おまえ、空手で日本一になったのか。そりゃ、凄げえな」

 木島が嬉しそうに洋平の肩を叩いた。

「おい、空手と殺し合いはまったく別だぞ」

 言った桜井の肩を、ポンと悟が叩いた。

「桜井さん、この連中は止めても無駄や。ほれ、あの二人を見てみい」

 カレンとターニャは止めようともせず、ただ黙ってその光景を見つめているのみだ。

「サトルの言う通りよ。ここで止めちゃ、あの人たちに失礼よ」

「そうね、これで死んでも本望なんじゃない」

 いざとなれば、カレンとターニャはみんなを守る気でいる。

 しかし、戦闘ではなにが起こるかわからない。

 それでも止めようとしないのは、みんなのことが好きだからだ。

 恐れていれば別だが、みんなやる気になっているのに無理に止めても、これから先生きていても意味がない人生を送ることになる。

 それなら、思い切り戦って死んだ方が、本人にとっても幸せなのだ。

 たとえ足手まといになっても、それはそれで構わない。

 プロ中のプロの二人にここまで思わせるほど、みんなのことが好きだった。

「しようがねえな」

 この状況では、桜井も諦めざるをえない。

「あなた、頑張ってね」

 ひとみが洋二に腕を絡める。

「そうだな、にゃん吉のためにも頑張るぞ」

 洋二が明るい声で返す。

「社長、死ぬ時は一緒です」

 多田野と今池の顔が高揚している。

「野良猫だって生きてるんだ。それを政争の道具にしようなんて許せません」

 健一がびっくりした顔で声の主を見た。

 それから、じわりと顔に笑みが広がった。

「おまえ、一年で随分成長したやないか」

 嬉しそうに、健一が新八の背中をバンバンと叩いた。

「僕も、去年までの僕とは違います。怯えてばかりの人生なんて真っ平だ。去年まではまぐれで倒したけど、今日は積極的に倒しにいきますよ」

 これまでの新八と違って、きりりとした顔をしており、声音もぶれていない。

「新さん、恰好いい」

 千飛里が涙ぐみながら言った。

「田上君、男らしくなりましたね。これも、ボクシングを習ったからかしら」

「違うと思うわ、良恵ちゃん。彼は元からああなのよ。それが覚醒しただけと思うわ」

「そうですね、でなければ千飛里さんが惚れるわけないですよね」

「新八君も立派になったもんや。なあ、カレン」

「涼子さんの言う通りね。彼の本質はああよ」

 カレンは、出会った時から新八の本質を見抜いていた。

「やっと、目覚めたみたいね」

 そして、ターニャも。

「そうと決まったら、鬼退治に行くか」

 言ったのは敏夫だ。

 敏夫は涼しい顔をしている。

「あんまり目立たへんけど、あのおっさんも中々のもんやな」

 悟が感心したように呟く。

「毎年こんなことが起こっていても、ここへ来るような連中よ。みんな根っこは一緒ってこと」

「そうやな」

 カレンの言葉に、悟がうなづいた。

「安藤よ、日本人の半数がこういう連中ばかりだったら、日本も安泰なのにな」

「そうだが、こういう連中はどこを探してもいないさ。世界でもな」

「まあ、そうだな。見も知らぬ猫のために命を張れる馬鹿はそうそういねえ」

「俺達も、その仲間だぜ」

「違げえねえ」

 桜井と安藤が顔を見合わせて笑った。

「で、どうする?」

 健一が、カレンとターニャに訊く。

「そうね、こういうのはどう?」

 カレンが、みんなに作戦を話す。

「本当に、そんなことが出来るんですか?」

「カレンやったら大丈夫やろ」

 敏夫の疑問に、悟ではなく健一が答えた。

「わかってるわね」

 カレンが会心の笑みを浮かべる。

「伊達に何年も付き合うとらんからな」

「では、それで行きましょ」

 ターニャが言うと、一同右手を突き出して「オオー」と叫んだ。

 みんなはエレベーターに分乗して、最上階の40階に着いた。

 女性たちも付いてきたが、ドアから離れたところにいる。

 が、カレンと悟がいない。

 二人は屋上にいた。

「風が強いな。ちょっと寒いわね」

 40階建ての屋上といえば相当高い。

 正月の真冬に寒いのは当たり前だ。

「そうやな」

 のんびりとした口調で、悟が答える。

「サトルは、いつも暢気ね」

「まあ、緊張してもしゃあないからな」

 悟のここが、カレンが気に入っているところでもある。

 どんなに危険な状況に置かれても、いつもこのペースを崩さない。

 カレンがリュックからなにかを取り出す。

 悟がわくわくした目でそれを見ている。

 まずは、細い紐のようなものを取り出した。

「それはなんや?」

「見てわからない? ロープよ」

「へえ、これがロープね」

 悟の言うように、ピアノ線より少し太いくらいで、とてもロープには見えない。

「そう思うでしょ。ところがね、これはワイヤーくらいの強度があるのよ」

 言いながら、次にハーケンを取り出した。

 登山に使う鋼鉄製の釘である。

 先端が輪になっており、そこにロープを通す。

 そのハーケンは、ロープを通すわっかの上に少し突起があり、先端に平たく切れ込みが入っている。そして、壁に打ち付ける尖った部分にはネジのように螺旋になっている。

 またもやリュックから、カレンが小型のドリルのようなものを取り出す。ドリルの先端はマイナスドライバーのような形をしている。

「なんや、それ?」

「まあ、見てて」

 カレンがハーケンの先を屋上のコンクリートに当て、先端の切れ込みにドリルの先を当てる。マイナスドライバーのような先がぴたりと切れ込みに嵌る。そうしておいて、ドリルのスイッチを入れると、ハーケンはみるみる屋上のコンクリートにめり込んでいった。

「よう、こんなもん持ってきとったな」

 悟が呆れたように言う。

「タワマンと聞いたときから、こんなこともあろうかと思って用意しておいたのよ」

「いや、思わんやろ、普通」

 悟のツッコミを聞き流して、カレンはハーケンの輪に細いロープを何重にも通して固く結んだ。

「男は、いちいち細かいことを気にしないの」

 結び終えたあとそう言って、カレンが悟の額を人差し指で軽く突いた。

「いや、細かないやろ」

 もう一度ツッコんだが、「まあ、カレンやからな」と直ぐに納得したようにうなづいた。

「まったく、サトルときたら」

 呟きながら、リュックから取り出した薄手の手袋を両手にはめる。

 薄くても丈夫で、摩擦には滅法強い。

 この手袋をはめて10階ほどの高さからロープを掴んで滑り降りても、手には擦過傷ひとつつかない。

「さてと、そろそろ行きますか」

 カレンがリュックから趙小型のドローンを2機取り出した。

「ほんま、カレンのリュックはなんでも入っとるな」

 悟は目を輝かしている。

 カレンがぐるりと目を回した。

「じゃ、行くわよ」

 片手にひとつづつ操縦機を持ち、2機のドローンをカレンは器用に操った。

 猫がいない方面に飛ばし、二つの窓に当てると同時に爆破させた。

 趙小型だが、積んでいる爆弾の威力は凄まじい。

 轟音と共に、分厚い窓ガラスが粉々に吹き飛んだ。

 窓ガラスと一緒に、側にいた赤い金貨の連中も数人吹っ飛んだ。

 爆発音を聞いて、ターニャがドアに仕掛けていたプラスチック爆弾をのスイッチを押した。

 ターニャもカレン同様、いつもある程度の装備は備えている。

 だから、どんな危険に遭遇しようがこれまで生き延びている。

 死んでしまったら、世界の三凶とは呼ばれない。

 現に劉がカレンに倒されてから、世界の三凶という呼び名はなくなり、世界の竜虎と呼ばれるようになった。

 CIAを辞めたとはいえ、カレンは今でも裏の世界で恐れられている。

「行くわよ」

 ドアが粉々に吹き飛ぶと同時に言うや、両手にグロッグを持ちターニャが走り出す。

 ロシアの諜報員でありながら、自国の銃は使わない。

 グロッグはロングマガジンを装着でき、9mm弾だと33発装弾できる。

 それを機関銃のような速さで撃ちまくりながら突入していく。

 窓に気を取られていた赤い金貨の連中は、正面からの奇襲を喰らって狼狽えている。

「サトル、しっかり捕まっててね」

 カレンが細いロープを手に幾重にも巻いて、屋上の淵へと駆けだした。

 カレンの背には、悟がしっかりとしがみついている。

 見た目は華奢に見えるが、悟を背負っていても並みの男より早い。

 カレンが屋上の端を蹴って宙へと飛び出した。

 時計の振り子のように、二人の身体が揺れる。

 悟には命綱などないが、のんびりと下を見て「ごっつい高いな、車が豆粒に見えるで」とのんきなことを言って感心している。

 いつものことながら、悟のこのような態度には、さすがのカレンも感心させられる。

「怖くはないの?」

「カレンを信じとるからな。それに、死ぬときは一緒やろ」

「あら、今回は私はロープをしっかり持っているけど、サトルはなにもないから、落ちるのはサトルだけよ」

「そうなったら、一瞬で地べたに激突するやろうから、カレンを恨む暇もあらへんな」

 冗談なのか本気なのか、カレンでも悟の真意を測りかねることがよくある。

 このときの悟もそうだ。

 だからこそ、カレンは悟を愛してやまないし、悟もカレンのような危険な女と一緒におれるのだ。

 ロープが長さの限界に達したとき、反動で窓へと悟を背負ったカレンの身体が勢いづく。

 赤い金貨の連中はターニャたちへの応戦で、誰も窓側に目を向けている者はいない。

「入るわよ、しっかりつかまってて。落ちないでね」

「よっしゃ!」

 爆発で粉々に吹き飛んでガラスがないところ目掛けて、カレンが身体を突っ込ませていく。

「ひゃっほう!!」

 悟の叫びを文字通り背中で聴きながら、カレンが室内へと突入した。

 カレンは華麗に着地したが、その反動でカレンの背に乗っていた悟は尻から落ちた。

「痛いなあ、もうちょっと静かに降りれへんか」

 カレンが呆れた目で悟を見る。

 悟には恐怖という感情がないのだろうか。

 こういうときの悟は、本当に不思議だ。

「なあ、カレン」

「なに?」

「よう考えたら、なにも俺が一緒に行かんでも、ここからの突入はカレン一人でよかったんちゃうんか」

 確かに、悟の言う通りだ。

 そっちの方が、もっと素早く動けていたはずだ。

 カレンはたんに悟と離れていたくなかっただけで、そのために悟を危険な目に遭わせている。それに、カレンのすることを悟に感心してもらいたいとの女心もある。

 たとえ悟を危険に晒したとしてもだ。

 そして、悟もそんなことを言っているが、カレンがそうしろと言っても付いてきただろう。

 ベストマッチというべきか、この二人の絆は固い。

「いいじゃない。男が細かいことを」

「言わないの、やろ」

 カレンにみなまで言わさず、悟が後を引き取った。

「まったく、サトルったら」

 のんびりとした会話を交わしているが、この時にはカレンは腰からベルトにしていた鞭を引き抜いており、そう言いながら鞭をしならせ、赤い金貨の連中を3人ほど空中に舞わせた。

 窓の爆発に気を取られている隙に、入り口のドアを爆破され、あまりにも素早いターニャの突入に、赤い金貨の連中は銃を構える暇もなく、なだれ込んできた健一たちと肉弾戦になっている。

 この状態では、へたをすれば同士討ちになる恐れがあるので、誰も銃を撃てない。

「毎年毎年、猫を道具にさらしやがって。猫をなんやと思ってるんや」

 健一が怒号を上げながら、赤い金貨の一人にアッパーを突き上げた。

 強烈なパンチを下から受けた黒服が宙を飛ぶ。

「僕も、猫をないがしろにするあなた達を許せません」

 初めて聴く、新八の凛とした怒りの声。

 その声とともに、新八の拳が敵の頬にめり込み、歯を数本飛ばしながら敵がきりきり舞いをして倒れた。

「やるやんけ、新八。立派に成長したな」

 新八の雄姿を感慨深げに横目で見て健一が心で呟き、敵のボディに左フックを放つ。身体が折れ曲がったところを、右のストレートをこめかみに打ち下ろした。

 声もなく敵が倒れる。

「ヤクザでもな、猫は大事にするんだよ。てめえ達は人間の屑だ」

 さすが元武闘派のヤクザとあって、木島が次々と敵を倒していく。

「猫に危害を加える連中は許しておけん」

 善次郎も木島に負けていない。

 この二人は、猫のことになると底知れぬ力を発揮する。

 その他、洋二や敏夫、それに多田野や今池も奮闘している。

 みんな一年間必死で修行したとみえ、去年とは格段に動きが違う。

 それに、猫に対する想いと、その猫を政争の道具に使う怒りが相まって、人間が持つ潜在能力を100%といっていいくらい、みんな引き出している。

 いくら死者が出るほどの戦闘訓練を積んだ猛者でも、人間の持つ潜在能力を100%引き出した人間には敵わない。

 そして、今年から戦力になった洋平。

 この時のために鍛えに鍛えていたので、初めての戦闘とは思えぬほど活躍している。

「やるじゃない」

「そうやな、若いのに立派なもんや」

 カレンと悟が深く感心する。

「これが素人とはね」

 ターニャも驚いている。

「こんな若者がいたら、日本も心強いな」

「まったくだ」

 桜井と安藤は、洋平の雄姿を見て心底嬉しそうだ。

 赤い金貨の連中も残り少なく、みんな例年以上に奮闘しているので、ターニャも桜井も安藤も、今は戦闘の手を止めて洋平の戦い振りを見ている。

 暴れたがりのカレンでさえ、洋平の戦い振りに見惚れていた。

「いい若者が出てきましたな」

 どこから持ってきたのか、古川が酒の入ったグラスを巌男に差し出した。

「ほんと、将来が楽しみです」

 巌男が、笑顔で差し出されたグラスを受け取った。

 この二人は、最初から高みの見物としゃれこんでいる。

 その二人へ、赤い金貨の戦闘員が一人づつ襲い掛かった。

 二人とも落ち着いて敵の攻撃を躱し、それぞれ敵の髪の毛を掴んだ。

 そして、申し合わせたように敵を突き出し、二人の顔面を打ち付けた。

 声もなく、二人の敵が崩れ折れる。

「がんちゃん、やるね」

「昔、ちょっとやんちゃしてた時期があってね」

 二人の手に持ったグラスから、酒はこぼれていない。

 二人は乾杯して、グラスの酒を飲み干した。

 残る敵は、3人になっている。

 去年までの話は聞いていたが、まさか赤い金貨が誇る最強部隊の赤い守り神に属する自分達が、虚を突かれたとはいえ壊滅的な打撃を受けるとは、残った3人の心の内は、驚きと恐怖と怒りがないまぜになっていた。

 しかも、カレンとターニャはあまり戦っていない。

 戦っているのは、どうみても素人と思える人間ばかりだ。

 それなのに、次々と仲間が倒されてゆく。

 3人は、この現状がとても信じられないでいる。

 一人が籠を空け、一匹の猫を取り出した。

 暴れないようにしっかりと腕に抱き、猫の喉元にナイフを当てる。

「動くな、この猫がどうなってもいいのか」

 こいつらの弱点は猫だ。

 これまでの情報からそう判断して、猫を人質に取り脅しをかけた。

「ひ、卑怯な」

 木島が呻く。

「待て、猫には罪はない。殺すなら、俺を殺せ」

 善次郎が一歩前に出た。

「動くなと言っただろう」

 男の鋭い声。

 カレンとターニャには打つ手はあったが、みんながどうするか見たいとの思いから、いざという時まで、しばらく手を出すのを控えて成り行きを見守っている。

「猫を殺すなら、私を殺して」

「私もよ」

 美千代と里美が怒りに燃えた目で、猫を掴んでいる男を見た。

「美千代、よく言った。おまえ一人では死なさないぞ」

「里美、おまえと一緒になってよかったよ」

 善次郎と敏夫が、愛しい目でそれぞれの妻を見た。

「なんなんだ、おまえ達は。たかが猫のために、どうして命を懸けられる」

 みんなの態度に、3人の男共は怯んでいる。

「たかが、猫? 猫の命もな、人間と一緒や。もし、その猫を殺してみい。おまえらの身体をズタズタに引き裂いたるで」

 健一に凄まれて、3人が一歩後ずさった。

 今の健一は、ターニャもぞっとするような危険な匂いを漂わせている。

「おうよ、てめえら、ここから生きて出られると思うなよ」

 元ヤクザだけあって、木島の凄みは堂にいっている。

 全員が、無言で一歩前に出た。

 イシスの面々も、ひとみも浩太も由香利も、3人の男達を睨みながら前に出る。

 また一歩、3人が後ずさる。

 その光景を見て、カレンとターニャは嬉しそうな顔をし、桜井と安藤はみんなの命を気遣ってはらはらしていた。

 そのとき、文江に抱かれていた白猫が文江の腕から飛び出し、猫を人質に取っている男に飛び掛かった。

 落ちないよう、男の胸に後足の爪をがっしりと食い込ませ、前足で男の顔をガリガリと引っ掻く。おもいきり爪を立てているので、男の顔はささらのようになり、顔からの出血が全身を赤く染めた。

 男は悲鳴を上げて猫を話し、顔を押さえながら痛さに床を転げ回った。

「今や」

 健一の掛け声と共に、男共が残る二人に襲いかかった。

 真っ先に辿り着き、一人の男をぶん殴ったのは新八だ。

「あんたらは人間じゃない」

 そう吠えて、こめかみに電光のようなフックを放った。

 無言で、男が棒のように倒れる。

 もう一人の男は、真が倒していた。

「猫の命は大切だけど、あんたらの命は大事じゃない」

 倒れた男を見下ろしながら、真が怒号を浴びせる。

 その目は、怒りに満ちている。

「まこちゃんが、あんなに怒ったのを見るの初めて」

 実桜がびっくりしている。

「あんた、いい男を捕まえたね」

 文江が実桜の側に来て言った。

「ええ」

 実桜がこくりとうなづく。

 その時には、木島と善次郎がすべての籠を空け、猫をみんな外に出していた。

 猫は、それぞれ倒れた男達の顔に小便をかけていった。

「どうやら、人質に取られた猫ちゃんが、あの子の恋人だったようね」

 美千代が、仲良く顔を舐め合う二匹の猫を見ながら言った。

「そうだな」

 善次郎は、優しい目で顔を舐め合う二匹の猫を見つめている。

「さあ、こいつらを逃がしてやろうぜ」

 木島が言うと、全員がうなづいた。

「ええやろ、カレンにターニャさんに桜井さん」

 健一が三人の顔を見る。

「私は、最初からカンパニーから報酬をもらう気なんかなかったし。暴れられたらそれでいいの。まあ、今回は暴れ足りなかったけどね」

「組織は、私がどこにいるかなんて知らない。駆け付けた時には、誰かが奪い去ってしまった後だと報告しておくわ」

「俺も、ターニャと一緒だ。それに、一々どの猫にマイクロチップが埋まっているかなんて探すのは面倒だし、この中にいるかどうかもわからんしな」

「ええ人らやな、ありがとう」

 健一が礼を言うと、みんなも一斉に礼の言葉を述べた。

「ところで、この猫達どうする?」

「そうだな、また外へ出すのも忍びないな」

「木島さんに、善次郎さん。そこの白いのと黒いののカップルは俺が引き取るわ。ええやろ、麗? なんや俺達みたいで、放ってはおけんのや」

「いいわよ。私も、そろそろ猫ちゃんがほしいと思っていたの」

 麗が、二匹の猫を抱えてにっこりと笑う。

「そうね、毎年猫を助けているのに、私たちがいないのも変だわね。私もほしいと思っていたのよ」と涼子。

「助けたのなら、最後まで責任を持たなくてはね。私も引き取るわ」と瑞輝。

「私、あんまり猫ちゃんに興味なかったけど、毎年助けているうちに好きになりました。だから、私も引き取ります」と春香。

「実桜ちゃん、実は俺も猫がほしいと思ってたんだ」

「なんだ、まこちゃんも。私もよ」

「社長、常日頃からにゃん吉が可愛いと思ってたんです。だから、私も飼います」

 多田野が、一匹の黒猫を抱いた。

「俺も、多田野さんと同じことを考えてた」

 そう言って、今池が一匹の黒猫を抱き上げた。

 それから、みんな思い思いの猫を抱き上げる。

「前から、おまえの猫が羨ましいと思っていたんだ」

 巌男も目についた猫を抱き上げた。

「よかったわね、あなた」と巌男の妻。

「がんちゃん、よかったな」

 古川も猫を抱いている。

「杉田さんに清水さん、東京まで連れて帰れるかい?」

 木島が心配そうに、それぞれお気に入りの猫を抱えた敏夫と早苗を見る。

「大丈夫です。なにがあっても連れて帰ります」

 敏夫の代わりに、里美がきっぱりと答える。

「カレン、この子でええか?」

「そうね、お店のマスコットになりそう」

 なんと、カレンも飼う気だ。

 結局、飼わなかったのは、ターニャと桜井と安藤だけだ。

 ターニャは世界各国を飛び回っているし、桜井も家にいることが少ない。安藤も桜井同様で、本当はほしくてたまらないのだが諦めた。

「残った猫ちゃん達は、うちの団員に猫好きがいっぱいいるから、当たってみるわ」

 千里飛が胸に猫を抱いて、みんなに告げる。

「頼むで」

「頼みます」

 みんなが口々に言って、千飛里に頭を下げた。

「それにしても新八、見違えたわ」

 健一が、嬉しそうに新八の課を見た。

「ほんと、今日の田上君素敵だったわよ」

 健一と涼子に褒められて、新八は顔を赤らめてうつむいている。

「私が選んだ人だからね」

 千飛鳥は心底嬉しそうだ。

「洋平君、とても素敵だった」

 由香利は洋平の腕を掴んで離さない。

「こんな弟がいたら、俺も心強いよ」

 浩太が洋平の肩を抱く。

「早く孫の顔が見たいな」

「あなた、気が早いわよ」

「ふふ、敏夫さんに新八さん。お二人ともよかったですね」

 どこからか、そんな声が聴こえてきた。

 綾乃の声は、敏夫と新八だけに聴こえたようだ。

「あなたに出会わなかったら、こんな幸せを掴めなかったでしょう。本当にありがとうございます」

「あなたのお陰で、僕は少し強くなれました。ありがとうございます」

 二人は天を仰いで、心の内で綾乃に感謝した。

「これからも、お幸せに」

 もう一度、二人は心のうちで綾乃に礼を述べた。

「さあ、一件落着したところで飲み直しや」

 健一が右手を突き上げると、みんなもそれに倣って「おお!」とういう声を上げながら右手を突き上げた。

「桜井さん、安藤さん、今年も悪いが頼むで。二人の酒と料理は残しておくからな」

 健一が二人に声をかける。

「ああ、そうしてくれ。終わったら直ぐに行く」

「お寿司とキャビアは残しておいてください」

 安藤が健一に言うと、「わかった」と健一が答えて、みんなが猫を抱いて部屋を出ていった。

 下からは、けたたましいサイレンの男が聴こえてくる。

「また、こうなっちまったか」

 桜井がぼやく。

「ま、そうぼやきなさんな。今年はいいものが見れたからいいじゃないか」

 安藤が桜井に煙草を差し出す。

 一本抜いてから口に咥えると、安藤がジッポーで火を点けてやった。

「そうだな。新八君と洋平君の成長は目覚ましかったな」

「他の連中も、戦闘力が上がっていたぜ」

「おまえの言う通り、いいもんが見れたから、しっかりと後始末をするか」

 桜井が言ったとき、どやどやと警官隊が入ってきた。

 

出演

 

-絆・猫が変えてくれた人生-

 善次郎     

 美千代     

 洋平 

 

-プリティドール-

 カレン・ハート   ターニャ・キンスキー

 杉村 悟      桜井 健吾

 赤い守り神の戦闘員たち

 

-恋と夜景とお芝居と-

 秋月 健一     秋月 麗

 香山 涼子     夢咲 千飛里

 生田 良恵     紅 瑞輝

 田上 新八     吉野 春香

 

-真実の恋-

 日向 真

 実桜

 

-心ほぐします-

 杉田 敏夫     

 杉田 里美     

 杉田 浩太

 杉田 由香利

 清水 早苗

 綾乃(特別出演)

 

-夜明けを呼ぶ猫-

 平野 洋二     木島

 平野 ひとみ    文江

 平野 巌男     古川

 平野巌男の妻    安藤

 多田野      

 今池

 

脚本・監督

 冬月やまと     

 

2023年新春夢のオールスター・野良猫の意地制作委員会

 

 

「遅くなっちまったな」

 そう言って桜井と安藤が入ってきたとき、料理の盛られた皿はみんな空っぽだった。

「こ、これは」

 安藤が落胆の声を上げた。

「ちゃんと取ってあるで」

 健一が合図をすると、寿司やキャビアやステーキが盛られた皿を、イシスの面々が次々に運んでくる。

「あんたらの帰るのを待ってたんや」

 健一が、桜井と安藤に微笑みかけた。

「すまねえな」

「ありがとう」

 二人が、とても嬉しそうな顔をした。

「さあ、みんな、乾杯といこうや」

 健一がグラスを掲げると、みんなが一斉にグラスを掲げた。

 みんなが抱いている猫達も、楽しそうににゃ~と鳴いた。