「待たせてごめんね」
麗を始め、千飛里、瑞輝、春香と、イシスの主要メンバーが、笑顔で待ち合わせ場所の喫茶店に入ってきた。
三ヶ日の正月公演を終え、これからいつものメンバーで新年会を行うのだ。
昨年は元旦に行ったが、店に行く途中、とんでもないトラブルに巻き込まれた。
そのお蔭でイシスは新しい題材を得、それを舞台化して大ヒットした。その演目は、一年近く経った今でも続いており、毎日満員御礼となっている。
三ヶ月か半年で演目を変えるイシスにしては、異例のロングランだった。
「今年は大丈夫でしょうね」
新八が情けない声を出す。
「なんや、おまえ。去年のこと、まだビビッてんのか。ま、今年は場所が違うから、大丈夫やろ」
去年はお初天神にある店に行ったが、今年は東通りにある店を予約してある。
新八を除くみんなは、去年のことがあったから場所を変えたのではなく、単に二年続けて同じ店に行くのが嫌だったから、違う店を選んだだけなのだ。
誰も、去年のようなことが起こるなんて思っていない。
ビビッているのは、新八だけだ。
特に、イシスのメンバーは、あんなことがあったから、昨年はより飛躍出来た。
だから、むしろ感謝していた。
「相変わらず、新八っつぁんは気が弱いな」
なぜか団長の千飛里は、新八のことを「新八っつぁん」と呼ぶ。
まるで、原田佐之助か齋藤一にでもなったかのようだ。
「ほんま、おまえの気の弱さは、いつまで経っても治らんな」
健一が、新八の頭を軽く小突いた。
「あ、また小突きましたね。今度こそ、パワハラで訴えますよ」
「いつも言ってるやろ、好きにせえって」
そう言いながら、また健一が新八の頭を小突いた。
「年が明けても、相変わらずですね」
良恵がため息をつくと、「まあ、二人共子供だからね」と、麗と涼子が声を揃えた。
「誰が子供やって?」
「あなたよ」
またもや、二人が声を揃える。
良恵と春香は含み笑いをし、千飛里と瑞輝はあからさまに声を出して笑った。
「みてみい、おまえが変なことを言うから、みんなに笑われてもたやんか」
「なにを言ってるんですか、秋月さんが僕の頭をしばくからでしょ」
何年経っても、この二人は変わらない。
「本当に大丈夫でしょうね」
東通りに足を踏み入れた途端、またもや新八が、情けない声を出す。
「大丈夫でしょうねって、おまえは途中から、綾乃さんの店に飛ばされておらんかったやないか」
そうなのだ。
新八は、乱闘のが始まった途端、幻庵・心穏堂に誘われるように迷い込んで、一切身に危険は及んでいない。
しかし、綾乃のくれたポイントカードの文字は、励みになるどころか、今でも新八の心に深い爪跡を残している。
こんなことだったら、いっそ乱闘に巻き込まれていた方がよほど楽だったのにと、一年経った今でも、新八はへこんでいるのだ。
誰も、僕の気持ちなんてわかってくれない。
新八は、心の中でしょげていた。
「わかってるで」
そんな新八の心を見透かしたように、ふいに健一が言った。
「そうそう、みんなわかっているわよ」
健一の言葉に、涼子がうなづく。
「そうよ、田上君。なにも言わなくても、みんな田上君の気持ちはわかっているのよ」
良恵も、優しい口調で言う。
「みんな…」
新八が、立ち止まって俯いた。
「行くで」
健一が、優しく新八の方を抱いて促した。
「よっ、久し振り」
善次郎が、嬉しそうに片手を上げた。
「おう、善ちゃん、久し振りだな」
「あんたが引っ越してから、ずっと会えないでいたからな」
善次郎が笑顔で言う。
「紹介しとくぜ、俺の仲間だ」
木島が、横にいる洋二の肩をポンと叩く。
「平野洋二です、よろしく」
「妻の、ひとみです」
「洋二の親です」
洋二の両親が頭を下げる。
「安藤です」
「こちらは、マル暴の刑事さんだ」
「刑事さん、しかもマル暴とは」
善次郎が、驚きの顔で二人を見た。
「なにね、引っ越したアパートに住んでいたんで、いつの間にか仲良くなっちまってよ」
「木島さんは、いい人ですよ」
安藤の口調には嫌味がなく、本気で言っているのが、善次郎にはわかった。
「あんた、見る目あるね」
善次郎が嬉しそうな顔をする。
「どうも」
安藤が、頭を下げてみせた。
「で、こちらは、管理人の古川さんだ」
「古川です、よろしく」
好々爺だが、昔はヤクザの親分か刑事だったのではないかと、善次郎は見てとった。
「で、こちらがふみちゃん。俺の女房だ」
木島が、照れながら紹介した。
「あんた、所帯を持ったのか」
善次郎と菊池が、驚いた顔をした。が、直ぐに笑顔になり、「それは目出度い」と、二人の声が重なった。
「いや、照れるがよ、惚れちまったんだ」
「木島さんらしいな」
これまた、善次郎と菊池の声が重なる。
「よかったわね、木島さん。おめでとうございます」
善次郎の妻の美千代が、木島に微笑みかけた。
「凄いや、木島さん」
息子の洋平が目を輝かせている。
「二人とも、ありがとよ」
木島は、照れっぱなしだ。
「で、こちらが、俺のダチの善ちゃんと、菊池さんだ。それに、善ちゃんの奥さんと息子さんだ」
今度は、善次郎達を、をたんぽぽ壮のみんなに紹介する。
「木島さんとは、猫繋がりです」
善次郎が言うと、「そうなんですか」と、洋二が嬉しそうに応えた。
「俺も、木島さんを含め、この人達とは、猫を拾ったお蔭で仲良くなれたんです。おまけに、こんないい人と結婚できたし」
ひとみが、洋二の脇腹を軽く肘で突く。
「そうなんだ、で、どんな猫を拾ったの?」
「黒猫です」
「えっ、君もか。俺も黒猫を拾ったお蔭で、木島さんとも菊池さんとも知り合えたし、女房とも復縁できたんだよ」
「そうなんですか、猫って不思議ですよね」
善次郎と洋二は、まるで長年の知己のように打ち解けている。
これも、猫の魔力のなさる業か。
「まあまあ、挨拶はこのくらいにして、店に行こうや」
善次郎と洋二の話がとりとめもなく続きそうだったので、木島が止めた。
「おっ、これは、つい。そうだな、店へ行こう」
善次郎がバツの悪そうな顔をして、みんなに頭を下げた。
みんなは、ただ微笑んでいる。
「秋月君じゃないか」
健一達が歩いていると、ふいに健一の横合いから声が掛かった。
健一が声のした方を見ると、そこには敏夫が立っていた。
「杉田さん」
健一が、懐かしげな声を出す。
「まさか、こんなとこで君に会えるとはな」
「それは、俺の台詞ですよ」
健一が笑って返した。
「ご旅行ですか」
隣に妻と思われる女性と、子供二人がいた。
「ああ、たまには家族でのんびり過ごそうと思ってね」
そこで、敏夫は家族の紹介をした。
大学生と名乗った長男と、高校生だという長女。
二人共、親から離れてもいい年頃なのに、父親である敏夫を慕っており、信頼しているように見える。
敏夫の過去を知っている健一は、そんな光景を見て、胸が熱くなった。
もう一人、敏夫の奥さんの横に女性がいたが、家族ではなさそうだ。
「清水さん、俺の頼れる優秀な部下で、仕事を離れると、信頼できる友達だ」
敏夫の紹介に、早苗は照れた顔をしてみんなに挨拶した。
妻の里美も、息子の浩太と娘の由香里も、にこにことしている。
話しには聞いていたがこんな関係もあるのだと、実際を目の当たりにして健一は感動していた。
その健一も、仕事ではかけがえのないパートナーであり、良き友人でもある涼子が妻の麗と仲良くしているのだ。
良恵は、そんな両方の関係を見つめながら、心底羨ましいと思っていた。
「あなたが、綾乃さんに会った人ですか」
「馬鹿、軽々しく、そんなことを口にするんやない」
健一が、新八の頭を強くしばく。
「イタッ、なにをするんですか」
「あのな…」
「まあまあ」
言いかけた健一を、敏夫が遮った。
「気にしなくていいよ。綾乃さんのことは、妻も子供達も知ってるから」
あれから敏夫は、綾乃のことを、里美と浩太と由香里には話している。
あれだけ具合の悪かった敏夫が180度変わったことについて納得しただけで、三人共疑う者はいなかった。
早苗の話も、三人が納得する根拠になっていた。
「これから、どちらへ?」
「どこかで、飯でも食おうと思いましてね」
「なら、ご一緒しませんか」
「いいんですか」
「人数が多いほど、楽しいですからね」
健一と敏夫がそんな会話を交わしていると、「もしかして、イシスの皆さんじゃ?」と、由香里が麗や瑞輝を見ながら、恐る恐る声をかけた。
「そうですよ」
千飛里が答える。
「うわ~ 私、イシスの大ファンなんです、まさかこんなところで会えるなんて」
由香里が、小踊りせんばかりに喜ぶ。
「特に、麗さん、あなたは、私の憧れです」
「ありがとう」
麗が、にっこりと微笑む。
「こいつの、奥さんだ」
言って、敏夫が健一の肩を抱く。
「えっ、そうなんですか。凄い、麗さんのハートを射止めるなんて、凄い」
由香里が、尊敬の眼差しで健一を見る。
「凄くないわよ、こんな奴」
涼子が、冷淡に言い放つ。
「確かに、いろいろと具合が悪いことろはあるわね」
麗も否定するではなく、涼子に同調する。
「酷いな、二人共」
そうは言ったものの、健一はさして傷付いた様子でもない。
「じゃ、なんで結婚を」
「それを差し引いても、いいところが一杯あるからよ」
麗が口を開く前に、涼子が答えた。
「じゃ、いい人なんじゃないですか」
「私にとっては、最高の旦那さまよ」
麗が、健一の腕を取った。
「おい、人前でなにをするんや」
慌てる健一を、みなが微笑ましそうに見ている。
真と実桜は仲良く腕を組んで、東通りを歩いていた。
元旦と二日を家でゆまったりと過ごした二人は、三が日の最終日に夕版を食べようと梅田に出ていた。
「今日は、美味いものを食べようね」
「いいわね」
真の言葉に、実桜が微笑む。
「結婚して、二回目の正月だね」
「まさか、まこちゃんとこうなるとは思わなかった」
結婚しても、実桜は真のことをまこちゃんと呼んでいる。
「俺もさ」
実桜の腕を離して、真はさりげなく実桜の肩を抱いた。
「私、まこちゃんに感謝してる」
「なんで?」
「だって、バツ一で、しかも、夜のお店で働いていた私なんかと結婚してくれたんだもの」
「関係ないよ、そんなの。実桜ちゃんは実桜ちゃんさ。俺は、実桜ちゃんを好きになった。ただ、それだけだよ」
「まこちゃん」
実桜が立ち止まり、人目も憚らず真の胸に頭を預けた。
その時、「にゃあ」と、猫の鳴き声が聞こえた。
二人が鳴き声の方を向くと、一匹の黒い仔猫がつぶらな瞳で二人を見上げていた。
二人が、その仔猫の方に歩み寄っていく。
「可愛い」
実桜が、目を細めて仔猫の頭を撫でた。
仔猫は嫌がりもせず、目を細めて実桜の撫でるがままに任せている。
「随分、人に慣れているね」
そう言いながら、真も仔猫の背中をさすった。
「おう、可愛い猫がいるぜ」
男女二人に大人しく撫でられている黒い仔猫を認めて、善次郎がその仔猫に歩みっていった。
木島と菊池が直ぐ後に続き、みんなも三人の後から続いた。
「捨て猫かな」
善次郎が二人の背中に声をかけると、「そうみたいですね」と答えて、真が振り向いた。
「おっ、あんたは」
「あっ、あなたは」
善次郎と真が同時に声を出した。
「奇遇だな、二年連続で正月に会うなんて。それも、猫繋がりでよ」
木島も、真と実桜のことを覚えていたみたいだ。
「知り合いですか?」
去年、用事があって来られなかった菊池が、善次郎と木島のどちらにともなく問いかけた。
「おうよ、去年の正月によ、俺と善ちゃんが捨てられたらしいシャム猫をみつけてよ、撫でている最中に、この二人が通りかかったんだ。場所は、お初天神だったがよ」
「そうそう、あの時は、そのシャム猫のお蔭でとんだ目に遭ったな」
「いや、善ちゃん。命をかけて猫を守ろうとしたのは、あんただぜ」
「なに、その話? 私は聞いてないわよ」
木島の言葉に、善次郎の妻に返り咲いた美千代が問い掛ける。
「そうか、善ちゃん、なにも言わなかったんだな。実はよ…」
木島が去年起こったことを、みんなに話して聞かせた。
「凄いな」
木島の話を聞き終えたあと、洋二以下、たんぽぽ荘のみんなが目を丸くした。
「そんなことがあったの」
美千代は絶句した。
「まあ、こうして無事に生きてるんだから、責めちゃいけないよ。善ちゃんだって、あんたによけいな気を遣わせたくなかったから、言わなかったんだろうからな」
木島が、二人の仲が悪くならないように、宥めるように美千代に言った。
それに答えた美千代の言葉は、善次郎と木島の意表を突いていた。
「あなた、よくやったわね」
これには、善次郎と木島も呆気にとられた。
「よくやったって、怒らないのか?」
「怒るわけないでしょ。それでこそ、あなたよ。もしあなたが。そんな連中に、その猫を渡していれば、そちらの方が怒るわよ」
「いや、みっちゃん。あんた、見上げたもんだぜ。俺は、感心したよ」
木島が嬉しそうに顔を綻ばせる。
「当たり前でしょ。今の私達があるのは、猫のお蔭よ。それに、猫に罪はないわ。そんな猫を守れないようなら、私はもう一度出ていくわ」
「お母さん」
洋平が、尊敬の眼差しで美千代を見る。
「凄いね、あんた達」
文江が顔を綻ばせながら言った。
他の、たんぽぽ荘の住人も一様に顔を綻ばせている。
よくも、まあ、これだけ猫好きが集まったものだと、善次郎は思った。
なんだろうあの人だかりはと思って目をやった健一の眼に 見覚えのある顔が何人か映った。
新八を除く他のみんなも、それに気付いた。
健一を始め、みんながその集団に近づいてゆく。
「お久しぶりです」
健一が声をかけると、集団のみんなが振り向いた。
「おっ、あんた達か」
木島が、懐かしそうに応える。
「今日も、お芝居観ました。いつもチケットの手配をしてくださってありがとうございます」
実桜が、深々と頭を下げる。
「いいよ、そんなことは。いつも観に来てくれてありがたいのはこちらなんだから」
千飛里が鷹揚に手を振る。
「今年は、黒猫か」
涼子がしゃがんで、仔猫を撫でた。
「俺達、猫を介して、よほど縁があるんだな」
善次郎が、目を細めて仔猫を撫でる涼子を眺めながら言った。
「ちょっと待ってください」
和やかな雰囲気を吹き飛ばすように、新八が突然かん高い声を出した。
「このシチュエーションだと、また去年のように、悪いことが起こるんじゃないですか。それも、今回は人数が増えているから、もっと悲惨な目に遭うかも」
「また、おまえはそんなしようもないことを言う。あんなことが、そうしょっちゅう起こるわけあらへんやろ」
健一が、新八の頭を軽くしばいた。
「ちょっと待って」
二人のやり取りを、麗の声が遮る。
「なんだか、様子が変だと思わない」
「どこが?」
健一が麗に顔を向ける。
「周りに、誰もいないのよ」
みんなが辺りを見回す。
確かに、麗の言う通り、さっきまで大勢の通行人で賑わっていた通りが、誰も通らず静まりかえっている。
「やっぱり、悪いことが」
新八が、頭を抱えて蹲った。
「また、おまえらか。しかも、今年は増えているじゃねえか」
ドスの利いた声、全身黒い服。
去年の正月に居合わせた者は、まるでデジャブを見ているような気になった。
「それは、こっちの台詞や」
健一が、うんざりした口調で返す。
「あんたらも、去年以上におるやないか」
健一達の周りを取り囲んでいる黒服は、ざっと百人はおり、さして広くもない東通り商店街が黒服で埋め尽くされている。
半数は外に向いて構えており、それぞれ自動小銃らしきものを持っている。
本当にここが日本なのかと、去年のことを知らない洋二や杉田たちは、戸惑ってはいるものの、怯えてはいない。
「新顔もいるが、全員怖がっていないな」
リーダーらしき黒服が、うんざりするような声を出した。
「日本人はひ弱だと思っていたが、おまえらはバカなのか」
半ば呆れている。
「フン、言ってくれるじゃないか。台風、地震、大雨による土砂崩れや水害。日本じゃね、毎年予期せぬ自然災害で多くの人が亡くなっているのさ。そんな国に住んでいながら、銃ごときを一々怖がっていられるかね」
啖呵を切ったのは、文江だ。
みんな、文江の言葉に異論を挟まず、うんうんと頷いている。
ただ一人、新八だけが、相変わらず頭を抱えて蹲っている。
善次郎が、素早く仔猫を抱き上げた。
だが、去年と違って逃げ場がない。
なにがなんでも猫を守るというように、善次郎が仔猫を懐に入れる。
仔猫は、なにか察しているのか、ありがとうと言うように「ニャ~」と一声鳴いただけで、善次郎の懐で大人しくしている。
「あなた、頑張って」
美千代が、善次郎の右手を強く握る。
「お父さん、恰好いいよ」
洋平が、尊敬の眼差しで善次郎を見た。
洋平もそうだが、浩太と由香里も、別にこの状況を恐れている様子はない。
恐れているのは、新八だけだ。
「そんなことをしても無駄だ。大人しく、その猫を我々に渡せ。そうすれば、命は助けてやる」
「まったく、おまえらは進歩がないの。また、この猫になにか仕込んだのか」
黒服のリーダーの言葉を聞き流して、木島が平然とした顔で言う。
「で、逃げられたと」
木島の後を、健一が引き取った。
「生意気言うんじゃねえ、去年は、女二人に助けられたくせに」
男の口調には、剣呑な響きが混じっている。
どうやら、怒りが頂点に達したようだ。
「あんた、拳銃持ってんだろ」
文江が、安藤に囁く。
「持ってませんよ。事件でもない限り、刑事は拳銃を持ち歩きません。それに、持っていたって、こんな大勢相手に、一丁じゃどうにもなりませんよ」
安藤が、苦笑いを浮かべる。
「ふ~ん、そうかい。ま、そうだろうね」
納得したように、文江があっさりと頷く。
「さあ、その猫を、こっちに渡せ。ぐずぐずしやがったら、全員殺す」
どうやら、本気のようだ。
それは、全員が肌で感じた。
「渡しましょうよ。たかが猫一匹で、僕達が殺されることないじゃないですか」
パシッと、その場の雰囲気に似つかわしぬ、小気味のいい音が響いた。
健一が、新八の頭をはたいたのだ。
「おまえな、なに言うてるんや。見てみい、こんな子供達だって、怯えてはおらんのやで。ええ大人が、たかが銃に囲まれたくらいで、おたおたするんやない」
「実桜ちゃんと一緒に死ねるなら、俺は幸せかな」
真が、実桜の肩を抱いた。
「私も」
実桜が、真の肩に頭を預ける。
「いや~、変わっているのは私達だけかと思っていましたが、みなさんも変わってらっしゃる」
古川が、嬉しそうな声を出した。
「私達が死んでも、多田野さんや今池さんがいれば、会社は大丈夫よね」
「ああ、大丈夫だ」
ひとみの言葉に、洋二が力強く頷く。
そんな連中を、黒服の面々は薄気味悪そうに見ている。
さきほどまで怒り心頭だったリーダーも、なにかモンスターでも見るような目で、みんなを見ている。
「もしかして、またあの二人を当てにいるのかもしれないが、今日は来ないぞ」
気を取り直したように、リーダーが告げる。
「なにぜ、カレンには刺客を放っているからな。それに、ターニャにもな」
「そんな偶然、当てにするわけないやろ」
「刺客っていうほどの腕じゃなかったわよ」
健一が言い終えたとき、カレンの声がした
いつの間にか、しかもどこから現れたのか、カレンが健一の横に立っている。
悟も一緒だ。
「私も、舐められたものね」
「なんだと」
リーダが目を丸くする。
「おまえを襲ったのは、我が組織の中でも、選りすぐりの五十人だぞ。それを、全員倒したというのか」
「あれが、選りすぐり? 馬鹿じゃない。あんた達赤い金貨には、あんな程度の腕を持った奴しかいないわけ」
「まったく、カレンの言う通りね」
ターニャもいつの間にか、カレンの横に立っている。
「あんな奴ら、準備運動にもなりはしないわ」
「同感。ま、劉以外には、赤い金貨にはまとな奴はいなかったってことね」
「本当、雑魚ばかり」
「き、きさまら」
リーダーの顔が、赤黒く染まった。
「ちょっと、待った」
黒服を掻き分けて、一人の黒服が現れた。
「桜井さん」
悟が、懐かしそうな声を出す。
「相変わらずだな、杉村」
「なんで、あなたがここに」
「いや、去年の借りを返そうと思ってね」
ターニャの疑問に、桜井が半ば苦虫を噛み潰したような、半ば照れたような顔で答える。
「去年だって、いたんだがね。だが、警官の恰好をしていて、あっさりと撃たれちまった。防弾ベストを着ていたから助かったが、情けない話、撃たれた衝撃で気絶しちまったんだ。で、気が付いた時には、すべてが終わっていた」
「だっさー」
カレンが、からかいの口調で言う。
「まったくだ。なにも、言い返せないよ」
怒るふうでもなく、桜井がさらりと返した。
「まあ、そんあこともあるわな」
悟が、桜井を慰める。
「ところで、私を主役にした舞台、当たってるようね」
カレンが麗に向かって微笑んだ。
「お蔭さまで」
麗も、笑顔で応える。
武装した、百人もの集囲まれているというのに、なんとものんびりした雰囲気だ。
カレンと麗が話しをしている間に、安藤が「桜井」と声をかける。
「おっ、安藤じゃねえか。なにしてるんだ、こんなとこで」
「お知り合い?」
文江の質問に、「警察学校の同期です」と安藤が答えた。
「こいつは、公安にいっちまったがね」
「おまえは、マル暴だそうだな」
「ああ、やーさん相手に、頑張ってるよ」
そう答えて、安藤がカレンとターニャを見る。
「で、この二人は?」
「おまえも、名前くらい聞いたこはあるだろう。カレンとターニャだ」
「あの、世界の三凶と呼ばれている?」
安藤は警察に身を置いているので、一応、二人の名前は知っている。
世界の三凶なんて呼ばれているので、もっとごついのを想像していたのだが、目の前にいる二人は、まるでモデルか女優のようだ。
だが、放たれている迫力は並ではない。暴力組織の頂点にいるも者でも、この二人のように、さりげなく迫力のある気を放つ者はいない。
安藤は納得した。
「おまえら、いい加減にしろ」
自分達の存在を置き去りに、まるで同窓会のような雰囲気になっている集団に、黒服のリーダーが語気を荒げた。
「あら、まだいたの?」
挑発とも、馬鹿にしたとも取れる口調で、カレンが言う。
「なにを言ってやがる。いくら世界の三凶と呼ばれているおまえらでも、この人数を相手に、勝てるはずがあるまい」
「今の赤い金貨の奴らは、世間知らずばかりか」
リーダーの言葉に、桜井が嘲笑を浮かべた。
桜井の言葉が引き金となって、武装集団が一斉に銃を構える。
カレンが、素早く動いた。ターニャと桜井も負けてはいない。
三人は、一斉に集団のなかに躍り込んだ。
安藤も、そこに加わった。
カレンの鞭が唸る度、黒服の銃が宙を舞い、ターニャと桜井が黒服の間を駆け抜ける度、黒服がバタバタと倒れてゆく。
安藤も、三人に負けず劣らず暴れまわっている。
それ以外の男連中は、女性や子供を守るように円陣を組み、四人の反撃を避けながら黒猫を奪おうとする黒服を相手にしていた。
善次郎が懐に入れていた猫は、妻の美千代に預けている。
みな素人のはずなのだが、相手が犯罪組織の連中だとて負けてはいない。
木島は昔暴力団の武闘派だっただけに、なんなく相手を打ち倒しているし、健一も洋二も奮闘している。それに、古川も歳に似合わず強い。
やはりこの人は、昔は刑事か暴力団だったのではないか。
古川の闘いぶりを見ながら、洋二はそう思った。
ものの五分と経たぬうちに、百人からいた赤い金貨の連中は、みな路上に倒れていた。
奇跡的にというべきか、みんな無傷だ。
「やっぱり、歯ごたえのない奴ら」
「そうね、もっと楽しませてくれてもいいのに」
「俺は、まだ、去年の借りをかえしちゃいねえぞ」
カレンもターニャも桜井も、ありありと不満を顔に表している。
「それにしても、安藤。腕は衰えちゃいないな」
桜井が、嬉しそうな顔で安藤の顔を見た。
見かけによらず安藤は、空手五段、柔道四段、剣道三段の腕前だ。
「ほんと、刑事にも、こんなのがいたなんてね」
ターニャも、少し驚いているようだ。
「ま、認めてあげるわ」
カレンの、最大の褒め言葉だ。
そこへ、大勢の武装した警官が突入してきた。
桜井と安藤が警官隊に歩み寄り、事情を説明しだした。
「結局、去年と同じことが起こっちまったな」
木島の言葉に、去年居合わせた連中は一様に苦笑いを浮かべた。
「また、新八がおらへんぞ」
健一がそう言った途端、突如新八が現れた。
「また、綾乃さんか?」
「そうなんです。また、僕の前に現れました」
「で、今度は、どんなカードをもろたんや」
新八が、健一にカードを渡す。
カードに書かれている文字を見た途端、健一が吹きだす。
「そんな笑わんでも、ええやないですか」
新八が、少しふくれっ面で抗議する。
「そやかて、おまえ」
「なに、今年はどんなことが書かれてたの?」
麗が興味深げに、健一からカードを奪うように取った。
「うっわ~」
麗がカードを見るなり、嬌声を上げた。
「うわっ」
「やだ」
麗が持つカードを覗き込んだ面々も、みな笑いを含んだ声を上げた。
「綾乃さんらしいな」
杉田が微笑むと、「そうですね」と清水も微笑ながら頷いた。
カードには四文字、「永久不変」と刻まれてあった。
要するに、新八は変わりようがないのだ。
去年と同様、強い女性に守ってもらえということだ。
「どうせ、僕なんか」
みんなの反応に。新八はいじけている。
「ま、おまえはそれでええんや。だからといって、みんなおまえのことが好きなんやで」
健一が、新八の肩を強く叩く。
「そうよ。あなたは、それでいいの」
「そうですよ、私もそう思います」
涼子と良恵が、口々に慰める。
「みんなの言う通りだな。新八っあん、あんたはそれでいいんだよ」
千飛里が、健一同様、新八の肩を強く叩いた。
「そうや、いっそのこと、団長に守ってもらったらええんちゃうか」
冗談ぽく健一が言うと、千飛里は怒るどころか、赤くなってうつむいてしまった。
「マジかっ」
健一が目を丸くする。他のみんなも、ぽかんと口を開けて千飛里を見ている。
「守ってあげてもええよ」
千飛里が、恥ずかしそうに新八の上着の裾を握った。
「よっしゃ、飯行くで」
健一が二人から目を背け、なにごともなかったように明るい声で言った。
「そうしましょう」
みんなも、健一に習う。
「ちょっ、ちょっと待ってください。みんな殺生ですよ」
新八の声を聞き流して、みんなはすたすたと歩き出した。
「どこの店だい?」
健一と並んで歩きながらの木島の問いに健一が答えると、木島が驚いた顔をした。
「そりゃ、俺達と同じ店じゃねえか」
「えっ、僕達もですよ」
真も驚いた。
「こりゃ奇遇だ。みんな縁があるに違えねえ。そうと決まったら、みんな一緒に行こうぜ」
木島が、さも嬉しそうに言った。
「よかったら、ご一緒に如何ですか」
麗が、カレンに声をかける。
「そうね、今年は付き合ってあげようかな」
「カレンにしては、珍しいな」
言ったものの、悟にはカレンの気持ちがわかっていた。
カレンも、二年連続でこんなことがあってこの連中に親しみを持ったようだし、それに、内心ではみんなの勇敢さというか、鈍感さに舌を巻いていた。それで、少し興味を覚えたのだ。
こんだけ、カレンが興味を持つ人間がいるとはな。
悟も、内心少し驚いていた。
「よかったら、あなたもどうですか?」
春香が、おそるおそるターニャに声をかける。
「いいけど、その前に、その猫の首輪を渡してくれない」
ターニャが、再び仔猫を抱いている善次郎に声をかけた。
「今度は、首輪にマイクロチップを仕込んでいたのか」
そう言って仔猫から首輪をはずし、善次郎がターニャに渡した。
「ありがとう」
ターニャは、エンジェルスマイルではなく、暖かい笑みを浮かべている。
「相変わらず、あなた達は、中身には興味がなさそうね」
カレンの言葉に、全員が頷いた。
「よっしゃ、盛大に宴会や」
健一が右手を突き上げると、みんなもそれに習って右手を突き上げた。
「直ぐに行きますから、僕の分も残しておいてくださいよ」
安藤が、みんなに声をかける。
「俺も参加するぜ」
桜井も、その気になっているようだ。
「みんさん、お幸せに」
どこからともなく綾乃の声が聞こえ、みんなは天を見上げた。
ただ二人、千飛里の手をなんとか放そうともがく新八と、それを離すまいとする千飛里を除いては。
出演
-絆・猫が変えてくれた人生-
善次郎 木島
美千代 菊池
洋平
-プリティドール-
カレン・ハート ターニャ・キンスキー
杉村悟 桜井健吾
赤い金貨の戦闘員たち
-恋と夜景とお芝居と-
秋月健一 秋月麗
香山涼子 夢咲千飛里
生田良恵 紅瑞輝
田上新八 吉野春香
-真実の恋-
日向真
実桜
-心ほぐします-
杉田敏夫
杉田里美
杉田浩太
杉田由香利
清水早苗
綾乃(特別出演)
-俺とたんぽぽ荘の住人とニャン吉-
平野洋二 木島
平野ひとみ 文江
平野洋二の両親 古川
安藤
多田野(友情出演)
今池 (友情出演)
監督・脚本 冬月やまと
「遅くなっちまったな」
「急ごう」
後始末に時間を喰ってしまった桜井と安藤は、静まり返った東通り商店街を足早に歩いていた。
「ところで、どこの店だ」
「しまった、聞いてなかった」
桜井の問いに、安藤が立ち止まった。
「しようがねえな」
「今すぐ訊くよ」
そう言って、安藤がスマホを手に持った。
2019年新春夢のオールスター・黒猫の秘密制作委員会