しばらくして、二人の耳に再び波音が蘇ってきた。
「なあ、麗」
抱擁したまま、健一が囁くように麗の名を呼んだ。
「なあに?」
麗が、掠れた声で応える。
「これからも、麗って呼んでええか」
「もちろん、いいに決まってるわ。だけど、なぜ?」
麗が健一の胸から顔を離し、健一を見つめた。
「だって、芸名やろ」
「麗は本名よ。秋月は違うけどね」
「そうなんや」
健一は、少し安堵した。
芸名だろうが本名だろうが、麗は麗なので、どちらでもいいと健一は割り切っていたつもりだった。
しかし、いざ麗とこうなってしまうと、これまでずっと麗と呼んできたので、今更本名を知ったところでいきなり変えることへの抵抗と、やはり本名の方が、より恋人としての実感が湧くのも確かだという思いが交錯していたのだ。
だから、失礼だとは思いながら、確認せずにはおれなかった。
そんな健一の問いに、麗は気を悪くすることもなく、素直に答えてくれた。
もしかしたら、これからは麗と呼んでと言ったとき、麗が芸名だったら本名を名乗っていたかもしれないと、健一は思った。
「けど、芸名やったら、もっとええ名前があったんとちゃうか? 秋月より、もっと舞台映えする名前があったやろ」
健一は、照れ隠しでそう言った。
「そうかも、でも何故か、すっと心に浮かんだの」
麗が、真顔で返してくる。
「そのときから、俺との出会いを予感してたんやな」
健一は、ますます照れ隠しに、冗談ぽく言った。
「そうかもしれへんわね。ううん、きっとそうやわ」
これにも、麗は真顔で返してきた。
下から見上げてくる麗の眼差しは、真剣そのものだ。
瞳は妖しく輝き、これまでの麗と違って、とても艶っぽかった。