男の部屋に入るのは初めてなのか、琴音はもの珍しそうに部屋中を見回している。
「琴音さん。君に、言っておきたいことがある」
きっと、琴音さんはわかってくれる。そして、俺の告白に心を打たれて、自ら身体を開いて
くれるに違いない。
そのためには、真摯な態度で臨まなければ。
真治は、早く琴音を抱きたいという欲求を抑えながら、努めて厳かに切り出した。
「なあに?」
小首を傾げる姿も愛らしかった。
やめようか?
無邪気な琴音の顔を見て、一瞬真治は躊躇した。
このまま黙っていてもわかりはしない。せっかくいい雰囲気になっているのに、今ここで告白すれば、この雰囲気が台無しになるどころか、二人の仲がぶち壊しになるかもしれない。
弱気の虫が顔を出す。
「話って、なんなの?」
琴音の催促が、真治の躊躇いを消した。
ここまで来たんだ。大丈夫、きっと琴音さんはわかってくれる。
「驚かないで聞いてほしいんだ」
真治が迷いを振り切るように、更に厳かな口調で言う。
真治の態度になにかを察したのか、琴音も居住まいを正した。
「なんでも言って」
琴音の笑顔に、真治は勇気づけられた。
「実は、そのう…」
それでも、なかなか言い出せない。
琴音は黙って、真治が話し出すのを待っている。
「去年の事故、あの犯人は俺なんだ」
ついに言ってしまった。真治が、恐る恐る琴音の反応を窺う。
「事故って?」
琴音には、何のことだかわからない様子だ。
「去年、新宿駅で歩きスマホの男にぶつかられて、女性が電車に轢かれて死んだ事故があっただろ。そのぶつかった男というのが、俺なんだ」
そう言ってから真治は、自分の思いを琴音に打ち明けた。いや、ぶちまけたという方が正解だろう。真治自身は気付いていないが、早口で半ば弁解がましい口調になっていた。
自首しようと思ったが、怖くて出来なかったこと。
そのため、長く苦しんだこと。
自分があの女性と同じように死にかけて罪の重さを知り、この会に入会して、償いをしようと思ったこと。
大半は真実を語ったが、逃げたことについては嘘をついた。
「俺は、逃げたんじゃない。女性がホームに転落したことを知らなかったんだ。いや、ぶつかったことにさえ気がつかなかったんだ」
なんとか琴音の理解を取り付けたい一心の真治は、自分の言った言葉に矛盾が生じているのに気付いていない。
琴音が初音の妹でなかったら、「じゃあ、どうして、あなたが犯人だと言えるわけ」と切り返していたことだろう。
だが、琴音はなにも言わず、黙って真治の告白を聞いている。
「俺は、琴音さんと幸せになりたい。それが、俺が殺した女性への償いだと思うんだ。あの女性の分まで、俺は幸せに生きなくちゃいけないと思っている」
随分と勝手な言い草だが、真治は琴音の目を見つめながら、最後に力強く締めくくった。
大丈夫よ、あなたは悪くない。
何度も頭の中で繰り返し想像していた琴音の声を聞けると期待していた真治は、肩透かしをくらった。
なんで、こんなに落ち着いていられるんだ。
真治が不思議に思ったのも無理はない。
真治の告白を聞き終えても、琴音は驚きもせず、真治が思っていたような慰めも言わないで、ただ黙って、じっと真治の目を無表情な顔で見つめているだけなのだ。
琴音の表情からは、なにも読み取れない。
真治が話し終えた後、長い沈黙が続いた。
真治が不安で押し潰されそうになった時、ようやく琴音が口を開いた。
「ありがとう。正直に話してくれて」
どこか冷めたような口調だ。
口調もそうだが、琴音の顔は、とても喜んでいるようには見えない。たしかに、微笑んではいる。だがその微笑が、なぜか真治をいっそう不安にさせた。
「でも、あなたが幸せになるためには、歩きスマホをしている人々を全てやめさせた時じゃない? それが、あなたが殺した人への償いってものでしょ。そのために、姉はあなたをこの会に入れたのだと思うわ」
「姉?」
真治が、キョトンとした顔をした。琴音が言っている意味が、さっぱりわからない。
「琴音さんに、お姉さんがいたの?」
「ええ、初音と言うのよ」
初音? どこかで聞いた名前だ。どこだっけ?
初音と聞いても、それが自分が殺した女性とは、直ぐには結びつかなかった。
思い出そうと、目を宙に向けて、必死で頭を回転させている真治を、琴音はこの上もなく冷たい眼で凝視している。
自分が殺した女性の名前も憶えていないなんて、あんたの罪の意識なんて、その程度なんだ。それでよく、その女性の分まで幸せになることが犯した罪の償いだなんて言えたものね。
今、この場で、真治を殺したい衝動を抑えながら、琴音は真治の前に一枚の写真を差し出した。
「これが、わたしの姉よ」
その写真を見た途端、真治の目が驚愕で見開かれた。
それは、ニュースで見た、あの写真だった。洋風の美人が、幸せそうに笑っている、あの写真だ。
真治は金縛りにあったように、写真から目を離せなかった。顔からは血の気が失せ、脂汗がだらだらと流れ出している。
琴音はそんな真治の姿を見つめながら、唇の端を吊り上げた。
「こ、これは…」
あまりの衝撃に真治の声は掠れ、それ以上言葉が出てこない。