「なあ、おまえさえよかったら、手伝わないか」

 拓真が、真顔で寿を誘う。

「なにをですか?」

 寿が、警戒した顔つきで訊き返す。

 無理もない。

 これまで友達とは無縁だった自分の許を、いくら助けてくれたにせよ、毎日見舞いに訪れるのが、寿には不思議だった。

 ましてや、拓真は見た目はヤクザそのものである。なにか裏があるのではないかと、寿は疑っていた。

 拓真は、自分に運び屋や、オレオレ詐欺の片棒を担がせようとしているのではないか?

 そう、寿は思ったのだ。

「なにも、悪いことをさせようってんじゃないよ」

 寿の心を読み取ったのか、拓真が笑って手を振った。 

「俺はな、歩きスマホをしている奴らを、ひとりでも多く止めさせたいんだ」

 拓真が意外なことを言ったので、寿は驚いた。

「あの時思ったんだが、今の世の中狂ってる。おまえを助けようともせず、遠巻きに、写真や動画を撮っていた奴らが大勢いたんだ」

 その時の光景を思い出したのか、拓真が顔をしかめた。

「人が災難に遭っているというのに、それを撮って、友達や知り合いに送ることしか考えていない。みんな、自分のことしか考えていないんだ」

 寿の顔から疑いの色は消え、俯きもせず拓真の顔をじっと見据え、拓真の話を真剣に聞いている。

「それにな、去年新宿で事故があったろ。スマホに夢中になっていて、女性にぶつかってホームに転落したというやつが」

 その事故のことは、寿も覚えていた。

 あの時は、暫く話題になったものである。

 どの番組もそれに引っ掛けて、歩きスマホがいかに危険なものか、どれだけ視野を狭めるかというようなことを、専門家の意見や実験映像によって力説していた。

 コメンテーターの中には、これは不可抗力なんていうものではない、殺人罪を適用するべきだとの過激な意見を述べる者もいたくらいだ。

 被害者が妊婦だったため、より世間の反感を買っていた。

 寿はニュースを見ながら、自分も気を付けなければと思った記憶がある。

 そう思ったのは、ニュースを見ている時だけで、結局、今はこんな状態になっている。

 人間なんて弱いものだ。あれからずっと気を付けていれば、僕もこんな目に遭わずに済んだのに。

 寿は苦々しい思いで、唇を噛みしめた。

「どうしたんだ?」

 寿の様子が変わったのに気付いた拓真が、心配そうに尋ねてきた。

「いえ、なんでもありません。ちょっと、事故を思い出しまして」

 寿が、弱々しい笑顔で答えた。

「そうか」

 拓真が頷くと、話を続けた。

「確かに、スマホは便利かもしれん。おまえのように救われる奴も、世の中には大勢いるだろう。だがな、使い方を間違えると凶器にもなるんだ。あの事故のようにな。それに、おまえみたいに事故に遭う奴もいる。もし、おまえが死んでいたら、運転手は寝覚めが悪いだろうし、おまえも、そんな死に方をしたんじゃ浮かばれんだろう」

 歯に衣を着せぬ拓真のもの言いに、寿が苦笑する。

「きついことを、はっきりと言いますね」

「それだけ、俺は真剣なんだよ」

 拓真が真顔で答える。

「いいか、いくら便利だからといって、今のような使い方をしている限り、人間のモラルはどんどん失われていく。みんな自分の殻に閉じこもって、人のことなんかどうでもよくなっていくんだ。誰が困っていようと、誰が死のうが、自分にとってはどうでもいいことなんだ。それらはみんな、ツイッターやフェイスブックのネタにしか過ぎないんだよ。おまえ、そんな世の中で生きていたいか?」

 寿が、即座にかぶりを振る。

「だよな。俺もごめんだ」

 拓真が破顔した。それから、真面目な顔になる。

「だからな、まずは、歩きながらスマホを見ることから止めさせようと思うんだ。手始めに、混雑した駅のホームでな」

「具体的には、どうするんです?」

 拓真の考えに、寿は興味を持った。

 拓真の言う通りだ。自分がこうなるまでは気付かなかったが、スマホは一種の凶器になりうることを、寿は認めないわけにはいかなかった。

 自分が怪我をするのは仕方がない。自業自得というものであろう。しかし、他人に怪我をさせたり、寿を撥ねた運転手のように、罪もない人々を罪人にすることだってある。

 大事になるまでに気付けてよかった。あの転落事故に比べたら、骨折なんてかすり傷程度のものだ。

 一歩間違えば、自分が転落事故の加害者にも被害者にもなっていた可能性がある。寿は、それを思うとぞっとした。