「岡本さん」

 泣いていた真由美が顔をあげて、弱々しく男の名を呼んだ。

「真由美さん、でしたね。この度は、とんだことになって」

 男は沈痛な面持ちで真由美に頭を下げ、それから藤岡と高橋に向き直った。

「刑事さんですね。私、木田君の上司の岡本と申します。警察の方から連絡を受けまして。で、亡くなったのは本当に木田君ですか?」

「本当です。今、奥さんに遺体を確認してもらったところです」

 藤岡が答える。

「そうですか。まだ新婚なのに、何で、こんなことに」

 岡本がショックを隠せないように呟いた。

「今、奥さんにもお訊きしていたのですが、木田さんに何か変わったことはありませんでしたか? 会社で何か嫌なことがあったとか、最近元気がなかったとか、何でもいいんですが」

 やはり藤岡が質問し、高橋がメモを取る態勢になっている。

「変わったことねえ。会社で嫌なことがあったなんて、思いあたる節はありませんね。それに木田君は、明るい性格ではないので」

言って、岡本はしまったという顔をした。

「失礼」

真由美に謝り、話を続けた。

「だから、元気がないかどうかは、正直、よくわからないんです。ただここ数日、少し彼の態度が変だなとは思ってました」

「ほう、どういう風に」

「元々、彼は人付き合いがいい方ではありませんでしたが、仕事は真面目にしていたんです。しかし、ここ数日はしょっちゅう携帯を気にしていましたね。そのせいで仕事に支障をきたし、何度か私が注意しました」

 またもや、藤岡と高橋の眼が鋭くなった。

「仕事中にですか?」

「そうです。もともと彼は、休み時間中はずっといじってましたが、ここ数日は度を越したくらい、異常に執着していました」

「その携帯というのは、これですか?」

 藤岡が手袋を嵌めた手で、武雄の遺品のスマホを岡本の目の前に差し出した。

「そうそう、こんなやつです」

岡本が、スマホを見ながら頷く。

「これは携帯ではなく、スマートフォンというやつですよ」

 藤岡の説明に、岡本は顔を赤らた。

「そうなんですか? どうも私は、その手の機械もんは苦手でしてね。携帯とスマートフォンの違いなんて、よくわからんのです」

「とにかく、事情はわかりました。遺体は司法解剖に回すことになりますので、お引取りになるのは数日待っていただきます。こちらの捜査が終わりましたら連絡しますので、今日はお引取りください。また、また何かお訊きすることがあるかもしれませが、その時はよろしくお願いします。それから、奥さん。ご主人が持っていたスマホは、暫く我々で預からせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」

 藤岡の言葉に、真由美は短く「はい」とだけ返した。

「待ってください。木田君は自殺なんでしょ。電車に飛び込んだと聞きましたが。それなのに、何で、司法解剖をするんですか? それに、彼の持っていた携帯、いえ、スマホを預かるなんてどういうことです? 彼は、誰かに殺されたんですか」

 真由美が承諾したにも関わらず、岡本は納得がいかない様子だ。

「はっきりした動機もないし、遺書も見つかっておりませんので、一応、司法解剖することになるんですよ。それに、ご主人のスマホに、何か遺書らしきものが書き込まれてないかと思いましてね」

「しかし、事件じゃないのに、警察にそこまでする権利があるんですか」

 なおも食い下がる岡本に、藤岡が困った顔をした。

「もういいです、岡本さん。私、主人が自殺したなんて信じられません。昨日も、新宿でスマホに熱中していた人が電車に飛び込んだようですし。主人の死とスマホが関係あるのでしたら、徹底的に調べてもらいたいと思います。お願いします、刑事さん。夫は本当に自殺だったのかどうか、調べてください」

 真由美が岡本を遮って、藤岡と高橋に深々と頭を下げた。

 妻の真由美がそこまで言う以上、岡本には、もう何も言えなかった。

「わかりました。真由美さんがそう言うのなら、警察にお任せしましょう。刑事さん、よろしくお願いします」

 岡本も頭を下げた。

「我々も、できる限りのことはします」

 藤岡が重々しく頷いた。

「では、よろしくお願いします」

 岡本はそう言うと、よろめく真由美の肩を支えながら、静かに去っていった。