「今朝のニュースです。始めに、昨夜七時頃、帰宅途中で混雑する新宿駅で、若い女性の飛び込みがありました。目撃者の話によりますと、その女性は電車が入ってくる直前に、うっとりとした顔をして、自らホームに飛び込んだとのことです。また、飛び込む直前まで、まるで何かに取り憑かれたように、スマートフォンに熱中していたそうです。今月に入ってから、新宿駅だけでもこれで五件目となり、詳しい数字はわかっておりませんが、全国各地でも、同じようなことが多発している模様です。それらの人の全員が、直前までスマートフォンに熱中していとのことで…」

「また、飛び込みだって。近頃多いわね」

 東京郊外のマンションに住む、新婚三ヶ月の木田夫妻のリビングで、朝のニュースを見ながら、真由美が夫の武雄に話しかける。

「ふ~ん」

武雄はスマホをいじりながら、気のない返事をした。

「あなた。ご飯のときくらい、携帯をいじるのやめてよ」

 真由美が、顔をしかめて武雄に注意する。

「これはな、携帯じゃなくて、スマホだよ」

武雄は小馬鹿にしたように、顔も上げずに返した。

「そんなの、どっちでもいいでしょ。ねえ、私たち、まだ新婚三ヶ月なのよ。ご飯のときくらい、顔を見て話をしながら食べようよ」

 半ばムッとし、半ば哀願するように言った真由美の顔を、武雄はスマホ越しに、凄まじい顔をして睨んだ。

「うるせえな。そんなに暇だったら、お前もスマホを買えばいいだろ。大体、俺と話しがしたいんだったら、いい加減、スマホと携帯の違いくらい覚えろよ。まあ、機械オンチのお前には無理だろうがな」

 武雄は、さも鬱陶しそうに、憎まれ口を叩いた。

「あなた、私と携帯とどっちが大切なの」

 訊いた真由美の声は、怒りに震えている。

「なに、くだらねえこと言ってんだよ。朝っぱらからうぜえったらありゃしねえ。それにな、さっきも言ったろ。これは携帯じゃなくてスマホだよ。ス・マ・ホ」

 武雄は、苛立ちを露にして声を荒げると同時に立ち上がり、背広をひっかけ、鞄を手にした。

「どこへ行くの?」

真由美が、縋るような目で武雄を見る。

「会社に決まってんだろが」

 武雄が、真由美の顔を見ようともせず、そっけない返事だけを返した。

「まだ、ご飯の途中じゃない」

「お前があんまりうざいんで、食う気なんかなくしちまったよ」

 そう捨て台詞を残して、武雄は荒々しく玄関を出ていった。

 武雄が出ていってから、真由美は悔しさと情けなさのあまり涙が溢れてきた。

「どうして、こんなことになってしまったのかしら」

暫く嗚咽していたが真由美が、やがて顔を上げ、ポツリと漏らした。

確かに、夫の武雄は付き合っているときから、よく携帯をいじっていた。しかし、つい最近までは、食事のときくらいは真由美の顔を見ながら語らってくれていた。それに、あんなに怒りっぽくもなかった。

それが、ここ数日、依存症かと思うほど携帯を触る頻度が多くなり、性格も人が変わったかのように怒りっぽくなってしまった。

昨晩、真由美は心配のあまり、会社で何かあったのかと武雄に訊いてみたが、「何もねえよ」とぶっきらぼうな返事が返ってきただけだった。

武雄の返事を聞いて、もしかしたらこれが夫の本性なのかもしれない。結婚して三ヶ月、徐々に本性が現れ始めているのかもと思ったが、真由美はそれを認めたくなかった。

夜の十一時過ぎ、真由美はじりじりしながら武雄の帰りを待っていた。いつもならば、八時には帰ってくるはずである。残業で遅くなる時は、必ず連絡を入れてくる。武雄は人付き合いが良い方ではないので、急に飲みが入ったとは考えられない。

真由美は、ふと今朝のニュースを思いだした。まさか武雄が…

いや、そんなことがあるはずはない。電車に飛び込んだ人がみんなスマホを見ていたのは、単なる偶然だ。だいいち、武雄に自殺する動機なんてあるはずがない。きっと、まだ今朝のことを怒っていて、家に帰りたくないと思いどこかで時間を潰しているのだろう。

真由美は必死で、胸に浮かんだ不安を打ち消そうとした。

突然、電話が鳴った。

武雄からの連絡かと思ったが、直ぐに違うことに気付いた。武雄ならば、携帯にかけてくるかメールで連絡してくるはずだ。この時間に、両方の親や友達が電話してくることなど滅多にない。

不吉な予感を覚えて、真由美は受話器を取った。

「ハイ」と言った真由美の耳に「木田さんのお宅ですか?」と低い男の声が聞こえてきた。