「でも、いつまで待てばいいんでしょうね」

 敏夫の意見に納得したものの、早苗は浮かない顔をしている。

「時期がくれば、綾乃さんが教えてくれるさ」

「あ、ずるい]

 早苗が、軽く敏夫を睨む。

「さっきは、綾乃さんは指針を与えてくれるだけっていったじゃないですか」

「ハハ、冗談だよ、冗談」

 敏夫が軽く笑ってから、真顔になった。

「俺も、いつまで待てばいいかわからないけど、多分、その時がきたらわかると思う。それに、冗談だと言ったけど、時期が来れば、本当に綾乃さんが現れる。そんな気がするよ」

 その時期とは、自分の成長にも関係しているのではないか。

 敏夫はそんな予感がしたが、早苗には言わなかった。

「わかりました」

 早苗が納得したように、大きく頷いた。

「ハア~ でも、それまでどうしよう」

 憂鬱そうにため息をつく。

そんな早苗を見やりながら、辛いだろうなと、心の底から敏夫は思った。

「ストーカーになりかねない奴なんだろ?」

「間違いなく」

 早苗が、憂鬱な顔を崩さず答えた。

「じゃあ、いっそ、海外出張なんてことにして、どこかウィークリーマンションでも借りたら?」

「駄目ですよ。そんなことをしたら、あいつは会社まで確かめに押しかけてくるに決まってます。それに、うちの会社は、海外どころか国内でも、滅多に出張なんてないことを知ってますもん」

 早苗が、ゆっくりと首を振った。

「そうか。なら、大変だろうけど、適当にあしらうしかないな」

「そうですね、自分の蒔いた種ですもんね。なんとかします」

 早苗が、ため息混じりの声をだした。

「あなたも大変だな」

 言った。敏夫の顔は憂いに満ちている。

 本気で自分のことを心配しているのが、早苗には痛いほどわかった。

 これ以上、敏夫に負担をかけたくないと思った早苗は、話題を変えた。

「ところで、その後、お子さんとはどうです?」

「あのまま、進展なしさ」

 少し自嘲気味の笑顔を浮かべて、敏夫が苦い声で答えた。

「そうですか」

「でも、大丈夫だよ。きっと、なんとかなる。お互い頑張ろう」

 早苗が大変だというのに、年上の自分が落ち込んでいる姿を見せたのを反省して、敏夫が明るい声をだした。

「そうですよね、ここまできたんですもん。頑張りましょう」

 二人が励まし合うように、眼を合わせる。

 里美とは、あれから睦ましい。

 家庭内別居状態も解消し、寝室も一緒になった。休みの日は、ふたりで映画を観たりショッピングをしたり、たまには公園へ行くこともあった。

 仕事も順調にいっている。

 今では早苗だけではなく、敏夫は、社内の大半の社員から人望を集めていた。

 しかし、子供達とは相変わらず口を利くことがない。口を利きたくても、顔を合わすことがないのだ。

 お父さんは変わった。里美が事あるごとに言い聞かせているみたいだが、子供達が敏夫に抱いている嫌悪感を消し去るにはいたっていないようだ。

「浩太、由香里」

 敏夫が、子供達の名を呟く。

 子供達のことは、常に頭にあった。

 俺は、今までなにも、あいつらに父親らしいことをしてこなかった。

 子供達が幼い頃は出世競争の真っただ中で、休日は接待ゴルフに明け暮れていた。そうでなければ、上司のご機嫌取りのゴルフ。

 家族で弁当を持って遊びに行ったことなど、数えるほどしかなかい。

 たまに家にいても、疲れたといって、ごろごろとしていただけだ。

 子供達の面倒は、ほとんど里美に任せていた。というより、押し付けていた。

 転職活動の時に家族に当たり散らしていたから、子供達が自分から離れていったのではない。

 敏夫は、最近そう思っている。

 もっと前からだ。もしかしたら、一度も懐いたことなどないのかもしれない。

 無理もない。すべて俺が悪いんだ。

 自分は、初めから子供達に対して溝を作ってきた。

今の敏夫には、それがよくわかっている。

それでも敏夫は、悔やむことも焦ることもしなかった。

 今さら悔やんだところで仕方がない。過去は取り戻せないのだ。

 焦るとろくなことはない。それは、身に沁みてわかっていた。

 焦りは、判断を誤らせる。焦りは、ミスを呼ぶ。なにより、気持ちに余裕がなくなる。

 十数年、子供達をないがしろにしていた報いだ。並み大抵のことでは、自分の望むような親子関係にはなれないだろう。

 里美とは愛情があった。信頼関係もできていた。だが、子供達とはそういう関係を築いてこなかった。すべては、自分のせいなのだ。

 これから、それを築いていかなくてはならない。

 信頼を取り戻すより大変な作業だ。

 これまで、あまり子供のことを考えなかった敏夫には、どうすればよいのか、さっぱりわからない。

「浩太、由香里」

 もう一度、子供達の名を呟いた。