どう生きても、一生は一生。

 それを教えてくれた師匠は、もういない。

 言葉だけではなく、生き様でもそれを教えてくれた。

 ある意味、破天荒だったかもしれないが、人に迷惑をかけずにやりたいようにやり、誰が何と言おうがまったく気にせず、自分の生きたいように生きた。

 五十路を迎える直前に、大病を患いこの世を去ったが、その死に顔はとても穏やかで幸せそうだった。

 それは、やることをやりきった者でないと作りだせない顔だ。

 生きていれば、もっとやりたいことはあっただろう。

 しかし、現状でできることは、日々やっていたのだ。

 師匠の死に様、生き様を見て、俺は人生とはなんなのかと、この頃よく考える。

 不安や不平ばかり持っていて、それで生きていて楽しいか?

 先のことばかり考えて、今を疎かにしていないか?

 他人の目ばかりを気にして、ちっちゃくなっていないか?

 そう考えるのは、師匠のように人生を楽しんでいるとは思えないからだろう。

 いや、待てよ。

 こういうことを考えること自体、駄目なのじゃないか。

 師匠は、そんなことは考えなかっただろう。

 そうだろうか、もしかしたら見せていなかっただけじゃ。

 俺は、まだまだだな。