善次郎は、活のダイエットを諦めたわけではない。いつもの餌をやったのは、とりあえず眠りたかったからだ。明日から、また夜勤が続くので、大切な夜の眠りを邪魔されたくなかったのだ。

なにか負けたような気がして、少し悔しい気持ちもあったが、これでもう邪魔されないだろうと思って、再びベッドに潜り込んで眼を閉じたものの、眠りは訪れそうになかった。

自分が眠りたいからといって、あいつの言いなりになっていたのでは、いつまで経ってもダイエットなんてできるわけがない。

安易に、いつもの餌をやったのを後悔したのである。

眼を開けて、餌を食べる活の後ろ姿を見た。

その姿を見ると、直ぐに違う思いが湧きあがってきた。

人間でも、ダイエットは難しい。自分で痩せたいと思っているのにだ。

酷いのになると、明らかに命に係わるというのに、自分を抑えることのできない人も、大勢いるではないか。

ましてや、相手は動物だ。

より、本能の赴くままだろう。

このままにしておくわけにはいかない。

そう思うのは、俺のエゴだろうか?

活から眼を離し、仰向けになって両手を頭の下に置き、眼を閉じた。

いや、違う。

健康管理に気を付けてやるのも、飼い主の責任だ。

いろいろと考えた結果、そういう結論に達した。

だが、直ぐに別の考えが、それを打ち消す。

しかしなあ、美味くもないものを、毎日毎日食べさせられるのはたまったものじゃないだろうな。俺が活の立場だったら、ぞっとするだろう。ましてや、活にとっては、食べるのが一番の楽しみだろうし。

活の身になって考えてみる。

そうは言っても、これ以上太ると、本当に病気になりかねない。

動物は、そんなことはわからないから、やっぱり、飼い主が健康管理に気を付けてやらないとな。

本当に活のことを思うのだったら、心を鬼にすべきではないか。

善次郎の頭の中には、様々な思考が浮かんでは消え、消えては浮かんでいく。

いくら考えても、堂々巡りで答えは出てこない。

善次郎は、思考の迷路に嵌り込んでしまった。

さて、どうしたものか?

悩める善次郎の顔に、毛が触れた。

顔を横に向けると、眼の前に身体を丸めた活がいた。

腹が膨れたのか、幸せそうな顔をして、眼を閉じている。

自分のことで、こんなにも善次郎が思い悩んでいることなど、露ほども感じていないようだ。

いい気なもんだ。

苦笑しながら、活の背中を撫でてやる。

活は少しピクリとしたものの、それ以上の動きはなかった。

どうやら、真剣に眠っているようだ。

不思議なもんだ。

半年前までは、自分がこうやって、猫と暮らすなんて考えもしていなかった。

元々、動物には興味がなかった。

特に、猫は嫌いだった。

猫には悪いが、なぜか陰気なイメージを持っていた。

猫よりは、まだ犬の方が好感が持てた。

それが、活と出会って変わった。

確かに、犬に比べれば社交的ではない。

だが、懐かないわけではない。

今だって、善次郎の横で無防備な姿を晒しているではないか。

これは、完全に自分に懐いている証拠だ。しかも、他人の前では姿も見せないくせに、自分にだけは腹まで見せる。

そう思った時、不意に愛しさが込み上げてきた。同時に、去勢手術の後、活に元気がなかった時の心配や不安も、まざまざと蘇ってくる。

気が付くと、善次郎の瞳が潤んでいた。

たかが、猫一匹で。

そう思ってみたものの、潤んだ瞳は渇くどころか、後から後から滴が流れ落ちてくる。その涙が、活の顔に滴った。

活が眼を開け、甘えた声でひと声鳴くと、また眼を閉じた。

「なんで、こうなっちまったのかな」

声に出して呟いた。

それから、暫く活の寝顔を眺めていた。

よし、決めた。

一気に痩せさせようとはせずに、時間を掛けて、徐々にダイエットしていこう。

猫に道理を説いてもわかるはずがない。こうなったら、根競べだ。

やっとすっきりした善次郎がこれで眠れると思った時、カーテンの向こうが白みかけてきた。すでに、夜が明けようとしている。

いつになったら、善次郎に安眠の日が訪れるのだろうか。

 

 

 

 

<あらすじ>

 動物にはまったく興味なかった善次郎が、ふとしたことこら仔猫を拾い、その猫と一緒に暮らしていくうちに、考えが変わってきた。その時から、壊れていた運命の歯車が回りだす。小さな猫の命を中心として、様々な人の運命が交差し、変わってゆく。