手術から二日目。

 

活はまだ本調子ではないものの、それでも、徐々に元気を取り戻しつつある。

 

固形の餌も食べるようになったし、寝てばかりではなく、部屋の中を歩きまわるようにもなった。

 

後は、部屋中を走り回るようになれば完璧だ。

 

このまま衰弱して死んでしまったらどうしようと心配していた善次郎も、まだ多少の不安はあるものの、少しは落ち着いた気持ちで仕事に行くことができた。

 

今日は、夜勤である。

 

「帰ってくるまでには、元気になっているんだぞ」

 

夕方、活の好物の鮭ほぐしを与えた後、頭を撫でながら優しく囁きかけて、善次郎は仕事に出かけた。


ここ数日、まともに眠っていないが、眠気は起きなかった。

 

それというのも、活のことが気になって頭から離れないからだ。

 

大丈夫そうだったが、いきなり具合が悪くなったりしていないだろうか。

 

そんなことを考え出すと、ついつい悪い方向に考えがいってしまう。

 

早く勤務が終わらないものかと、そればかりを気にして、しょっちゅう時計に目をやる。

 

今夜善次郎が警備に就いているのは、二十四時間体制で稼働している工場である。

 

食品関係の工場で、夜中でも出来上がった製品を出荷するため、トラックも引っ切り無しに出入りしている。

 

事務所は、工場から少し離れたところにあり、夜は誰もいない。


仕事は、配送のため入ってくるトラックの対応と、二時間毎の事務所の見回りだ。

 

勤務は二人で行っているが、善次郎は主に見回りの方を担当していた。

 

相方が、夜間の事務所を気味悪がったせいである。

 

その方が、善次郎にとっては好都合だった。

 

トラックに荷を積み込んでいる間暇を持て余すのか、運ちゃんたちは、結構警備員に話しかけてくる。

 

順番待ちの運ちゃんもそうだ。

 

大抵は他愛もない話だが、時には女や博打の話になる。

 

今日の善次郎は、とてもそんな運ちゃん達の相手をする心境ではなかった。

 

誰もいない暗い建物の中を見回っていると、活のことばかりが頭に浮かんできたが、まだ、運ちゃんたちの相手をするよりましだった。


時間がじりじりと過ぎてゆく。

 

不思議なもので、楽しい時間は瞬く間に過ぎていくくせに、こんな時に限って、時の経つのは遅く感じられる。


自宅にカメラでも仕掛けて、スマホで見れるようにしようかな。

 

そんなことを考えたりもした。


しかし、その考えは捨てた。

 

仮にそうしたとしても、活に万が一のことがあっても、仕事を放ったらかして家に帰るわけにもいかない。


そんなことは当たり前のことだと思われるかもしれないが、猫といえども家族である。

 

その家族が、誰もいない時に苦しんでいるのを見て、平気でいられるはずがない。

 

善次郎は責任感の強い男だ。もしそんなことにでもなれば、仕事と活との板挟みになり、悩み苦しむことになるのは明白だった。

 

だから、やめにした。

 

人生、知らない方がいいこともある。

 

そんなことを考えているうちに、ようやく、空が白みはじめてきた。

 

勤務終了まで後わずか。そのわずかの時間が、無限のように感じられた。

 

そして、ついに交代の時間がきた。

 

善次郎は急いで着替えを済ませると、取るものもとりあえず家路へと急いだ。

 

もちろん、朝食のことなど頭にあるはずもない。

 

早く、活の顔が見たい。

 

善次郎の頭にはそれしかなかった。

 

家に辿り着き、ドアに手を掛ける。そこで、善次郎の手が止まった。

 

冷たくなっていたら、どうしよう。

 

その思いが、ドアを開けるのを躊躇わせている。

 

目を閉じ、大きく深呼吸する。それから、意を決したように、勢いよくドアを開けた。

 

視界に活の姿はなかった。慌てて部屋へ足を踏み入れ、素早く部屋中を見回す。

 

居た。ベッドの上で体を丸めて眠っている。どうやら、死んではいないようだ。

 

ホッとした善次郎は、自分が土足のままなのに気付いた。

 

苦笑して靴を脱ぐ。

 

それから、静かにベッドまで行って、上から活の寝顔を除き込んだ。

 

安らかな寝顔だ。

 

お腹も、規則正しくゆっくりと上下している、

 

具合が悪そうには見えなかった。

 

餌の容器を見ると、空になっていた。

 

もう一度、活を見た。やはり、安らかに眠っている。

 

「元気になったようだ」

 

善次郎の口元が自然に綻び、思わずつぶやいていた。

 

善次郎は、ベッドの傍にしゃがみ込んだ。

 

ベッドに頬杖を突き、眠っている活をじっと見つめる。

 

一時間ほど飽きずに眺めていると、活が目を覚ました。

 

横になったまま、背中を反らして伸びをする。

 

それから善次郎の顔を見て、ひと声鳴いた。

 

餌をくれと言っているのだ。

 

俺の気も知らないで。


善次郎は、活の頭を軽く小突いてから、餌を取りに立ち上がった。

 

その後ろ姿に、活がまた鳴いた。

 

「なにすんだよ」

 

今度の鳴き方は、怒っている鳴き方だった。

 

元気になって良かった。

 

善次郎の背中に、活の鳴き声が心地よく響いた。

 

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