翌日、善次郎は朝一番に、活を引き取りに行った。
病院が開くのを待ちきれず、一時間前から病院の前を行ったり来たりしていた。
今日は、仕事は休みだ。たまたま休みで良かったと、善次郎は感謝している。
活は善次郎の顔を見て、ひと声鳴いた。
善次郎の顔を見て歓喜の声を漏らしたのか、自分をこんな目に合わせた恨みの声なのか、善次郎には判断できなかった。
とにかく、活は自分を覚えていてくれた。
一晩くらいで飼い主を忘れるわけはないのだが、猫は忘れっぽいという先入観を持っている善次郎は、活が自分を忘れていなかったことに安堵した。
それにしても、どことなく元気がない。
手術後のためか、それとも、見知らぬ場所に一晩置いておかれたせいかはわからない。
それでも、活の無事な姿を見て、善次郎の眼が自然に潤む。
「よく頑張ったな。寂しかったろう」
そう声をかけながら、活を抱き上げた。
活が、またニャアと鳴いた。
そんな活がたまらなく愛おしくなり、善次郎は人目も憚らず頬ずりをした。
一人と一匹は家に帰ってきた。
活を離してやると、懐かしそうに辺りを見回している。
たった一晩なのに、随分離れていたような気がする。
活も、同じ思いなのだろうか?
ゆっくりと確かめるように、部屋の中を徘徊する活を見ながら、善次郎は思った。
活は、ところどころに身体を擦り付けている。一通り部屋を回ると、ベッドの上に飛び乗り、疲れたように体を丸めた。
まだ、本調子ではないようだ。
活が帰ってきた部屋は、もう広くも見えないし、殺伐ともしていない。
夕方まで眠っていた活が起きた時、善次郎は活の大好物の鮭ほぐしを与えた。
このところ、活は生魚を食べなくなっていた。
イカで懲りてやらなくなったわけではない。その後も、何度かマグロなどは与えていた。
暫くは食べていたが、そのうち食べないようになった。
なぜかはわからない。
もしかしたら、生臭い匂いが嫌なのかもしれない。
その証拠に、煮魚も食べないが、焼き魚は喜んで食べる。そして今は、瓶に入った鮭のほぐしに嵌っている。
きっかけは、貰いものだった。
ただし、安いものは食べない。
一度安物を買ったが見向きもしなかったので、善次郎がご飯に振りかけたりして食べた。
猫も食わないものを、俺が食うのか。
その時の善次郎の心境は、少し情けない気持ちだった。
安いと言っても、二百円はする代物である。
今、活が食べているのは、その倍はする高級品だ。
いつも飢えていた野良猫が、贅沢になったものだ。
猫も人間と変わりはない。一度贅沢を覚えてしまうと、元には戻れないようだ。
そんな高級品なので、ふんだんにはやれなかったが、今日は特別だ。
いつもより多く入れてやった。
しかし、活は食べようとしない。食欲がない時でも、いつもそれだけは食べるのに。
それに、帰ってから水も飲んでいない。
心配になった善次郎は先生に電話した。
「簡単な手術といっても、身体の一部を切っているのだ。動物とはいえ、暫くは痛いのが当たり前だ。二、三日もすれば元に戻るだろうから、心配することはない。なにかあったら、いつでも連れてくるように」
善次郎の心配を吹き払うように、先生は優しいが、確固とした口ぶりで答えてくれた。
それを聞いて善次郎は安心したものの、元気のない活を見ると、やはり心が痛んだ。
「活よ、早く元気になってくれ。おまえが走り回らないと心配だ」
優しく活の身体を撫でながら、善次郎が語りかける。
普段はあまりしつこく撫でていると腕を噛んだりするのだが、活はそのまま眠ってしまった。
その夜、活は大人しかった。起きていても、ベッドの上に寝そべったままである。
そんな活が心配で、この夜も善次郎は眠れなかった。
じっと、横に寝ている活の様子を窺い、活の息遣いに耳を澄ましていた。
明け方、善次郎が疲れ果ててようやくうとうととしだした時、いきなり猫パンチに見舞われた。
いい気持ちに引きずり込まれていた善次郎が、何事かと飛び起きる。
眼の前に活の顔があった。
眼が合った瞬間、活が首を傾けてニャアと鳴いた。
この鳴き方は、餌をくれと言っている鳴き方だ。
活の顔に生気が戻っている。
餌の容器を見ると、まったく減っていない。
善次郎はピンときた。活は、鮭ほぐしを要求しているのだ。
ゆうべ食べなかったものは、腐るといけないと思い捨ててしまっていた。
固形の餌を食べるまでには回復していないのか、それとも、ただ甘えているだけなのかはわからないが、そんなことは善次郎にはどうでもよかった。
善次郎は急いで起き上がり、冷蔵庫から鮭ほぐしを取り出して容器に入れてやった。
よほど腹が減っていたものとみえる。容器に入れるやいなや、善次郎の手を押しのけるようにして、容器に顔を突っ込みがつがつと食べ始めた。
やれやれ。
善次郎は安心した。
もう、眠気なんかどこかへ飛んでしまっていた。
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