第1章 「夢の途中」 | しゃちょを のブログ

第1章 「夢の途中」

第一章「夢の途中」
「よし!やるしかない!」

左腕につけた「アナログ」の腕時計は7時25分。なんとも中途半端な時間であるが、この塾「エイメイ」の授業開始の時間だ。6年前に俺が生徒としてエイメイに通っていたときも当然7時25分であった。

俺は、緊張と不安と喜びと、複雑な気持ちで2階の教室へ向かった。教室の前でもう一度声に出して言った。「よし!やるしかない!」その3秒後、目の前のスチール製の安っぽく軽いドアを勢い良く開けた。

「こんばんは!」

そこには想定通り、中学2年生の総合クラスの生徒たち、7人の男子と4人の女子がいた。想定通り、生徒たちは緊張している。俺以上に。

例外なく全員の視線はこの俺に向けられていた。当然だ。俺は教師なのだ。あの、夢にまで見た教師なのだ。大学3年と、予定より少し早いが、俺はとうとう(塾の、ではあるが)教師になったのだ。

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【俺の塾の先生としての今までのストーリーを小説風に書いてみたくなった。
登場人物:主人公「坂上大也」。まぁ、事実をもとに、プライバシーに配慮しながら、登場人物は特定できないように、結構設定もアレンジしていますので、これはフィクションということにしておく。】
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「もう一度、こんばんはー!今日からみなさんの数学を担当する坂上といいます!よろしく!」
誰からも返事はなかったが、これも想定内。
俺は、この2時間の授業のために、授業直前まで合計15時間は準備をしたであろう。想定内のことしか起こらないくらいになるまでに準備をした。もう二度とあんな失敗はしたくないからだ。

次の瞬間、
あのスチール製の軽いドアが開いて、「遅れてすいませ~ん。。」男の子が照れながら下を向いて入ってきた。

「田岡裕太、だな?こんばんは!」ふっ、これさえも想定内。先輩の先生から情報は得ていた。田岡という生徒は必ず数分遅刻をするからね。と。

遅刻魔の裕太は初めて見る俺が名前を知っていたことに一瞬驚いたが、すぐに席についた。
俺は無言で教室から出た。生徒たちは、驚き、遅刻に対して先生が怒ったのかと、裕太は特に気になっていたようだ。俺としては、そんな意図はないので、急いで教室に入り直す。
勢い良く軽いドアを開け、
「こんばんは!今日からみなさんの数学を担当する坂上といいます!よろしく!」
と初対面を装って大きな声で同じ挨拶を繰り返した。

生徒たちは一瞬驚いたが、くすっと笑ってくれた。
「やりなおしたんだよ~。裕太が遅刻しちゃったからな~。今度からは一回だけにさせてくれよ!裕太!遅刻するなよ~!」
と言いながら
ホワイトボードに漢字で【坂上大也】と書く。

「この下の名前読める人いる?今までに読めた人は2人しかいないんだぜ!」この後半のセリフがポイントなのだ。そうすると生徒はゲーム感覚で当ててくる。ほら。元気な男子のひとりが早押しクイズかのように言った。

「タイヤ?」

「おい!俺は自転車のタイヤじゃねーぞ!」

みんなどっと笑った。中学二年生の笑いのツボなんてこの程度に浅い。と余裕に思ったが、それは初回だから生徒たちのテンションも少し高かったからだと後から知る。

「ダイヤ?」

「うーん。そんなに高価じゃない!」

実際この名前を読めた人は今までにも数少ない。高校時代なんて、担任の先生から入学式の後のホームルームで「サカガミ、、ダイヤ、くん」と言われ、よく間違われるので、少し面倒で訂正せず、「はい」と返事をしてしまったから、俺は高校の3年間、みんなからダイヤだと思われていたくらいだからな。

そんなことはどうでも良い。今は大事な生徒たちとの初対面のツカミの時間だ。塾長は何より大切にしろと念押ししていた。

「あれ~、正解はいないな。答えは、『ヒ・ロ・ヤ』」

ここまで全てのことは想定内であったが、次の裕太の発した一言は想定外であった。

「エロヤ?」

「おい!ちげーよ!誰がエロだ!」

生徒のみんなが大爆笑をする。

俺も、これはラッキーとばかりに、
「どうやったらエロヤなんだよ!ヒ!ロ!ヤ!いいか!絶対にエロヤなんて呼ぶなよ!」

裕太は期待通り

「エロヤ~~!!」

みんなも大爆笑。

想定外ではあったが、とりあえずツカミは成功か。ニックネームなんてあとからいくらでも変えられるだろうし、とその時は軽く思っていたのだが、それから現場で先生をしていた11年間は、ほとんどの生徒から「エロヤ」と愛情を込めて呼ばれ続けた。ちなみに多くの保護者様からも「エロヤ先生」と嬉しいことに愛称で呼んでもらった。

「みんなとは初対面なんだから、何か先生に質問はないか?」

「先生!あ、間違えた、『エロヤ』、きょうだいいる?」

「先生で間違ってねーよ!!おー、きょうだいいるぞ!超凶暴な兄貴と、10歳も上の姉がいる。俺は末っ子だ。」

「私もお兄ちゃんいる。ウザい。いらないよね~」と元気な女子が言ってくれた。

「お!俺も中学時代は兄貴いらないって思っていたよ!今では仲良いけど、あの頃は毎日ケンカ。あのね、みんなが想像するケンカじゃないぞ、もう、殺し合いだぜ」

「え~!うそ~!」

「本当だよ!一緒に食卓でご飯食べていても、ヒジが当たったという理由で殺し合いのケンカ。自分の領域を決めて、線を引いて、お互いが入ったら殺し合いのケンカ。もう、国同士の戦争と一緒だよ。空中でも入ったらケンカだもんな。殺し合いの。」

「すげ~。エロヤも結構ケンカ強そうだけど、お兄ちゃんも強いの?」

「そりゃそうだよ。兄貴は地元じゃ有名な暴走族のリーダーやっていたんだよ。暴走族同志の抗争事件で少年院にまで入ってんだよ」

「え、マジ?こえー」

「いや、面白い話があって、その抗争事件の裁判があってさ、母親が見に行ったんだけど、兄貴の前にたくさんの仲間がすでに警察に捕まっていて、先に調書など取られてて、『坂上は武器は絶対に使わない主義だった』と全員が言っていて、罪も軽くなるかな~って思われていたんだけど、裁判のとき、裁判官が『坂上くん、右腕をまくって見せてみてください』と、兄貴はなんだ?と思いながら腕をまくると『異常なほどに太い右腕を凶器と同等とみなします』と言われたらしいんだよ。前代未聞だよな」

俺は腕をまくってみせ、兄貴は俺よりこんなに太いんだぜ!もう丸太!と言いながら大げさにしてみた。その後も兄貴とのエピソードをいくつか話し、大爆笑であった。

この10分で生徒たちの心は完全に掴んだ。このときは初めてではあったが、現場で11年先生をやった今だから分析できるが、この10分間のツカミの時間がそのあとの生徒たちとの関係に大きく影響するほど物凄い価値のある時間であるのだ。

「先生、なんで、金髪なの?そんなんでいいの?」もう一つ質問が出た。

「3年B組!キンパツ先生!って言いたくてな。」

「なにそれ。先生なのに、金髪で、いいの?」

生徒から言われて改めて思ったが、塾長はこんな俺の髪を黒に戻せなどと言わなかった。その非常識さが、この塾の特徴なのだ。

現に、この瞬間も隣の教室では生徒たちの大爆笑が聞こえる。

「お!こんな時間か!」わざとらしく腕時計を見た俺は言った。

「授業入らないとな!最後の質問だれか?」

「先生はなんで先生になったの?」とまた裕太からの質問。

この質問には、一言で答えることは無理だった。どこから話そうか。

小学校の頃、運動会のとき勝手に遊んでいたら、ガタイの良い先生から首をシメられ、恐怖を覚えて、こんなのが教育か?と思ったことか。

いや、中学1年のとき、兄貴の友達からもらったボンタンをはいて登校したときに生活指導の先生に呼び出され「お前は、みんなへの影響が大きい。リーダーになれる。お前は自覚をして、その力を正しい方向へ使うべきだ」と言われたことか。

でも、中学3年で、この塾「エイメイ」に入って、尊敬できる大人に初めて出会って、俺は先生を本気で志したんだ。その話を生徒たちにしてあげよう。

でも、そこからは簡単ではなかった。という話も生徒たちにはセットで話をしたい。
が、今日はさすがに勉強に入らなくてはならない。

「この話は今度にしよう!楽しみにしてろ!」

そういってから、自然な流れで数学の授業に入っていった。



--------------その3年前のこと

大学に合格したときに卒業した塾「エイメイ」へ中学ぶりに顔をだした。

塾長に「教育学部か?じゃ、大学生講師として、うちで先生をやってみろ」と言われ、軽い気持ちで採用試験の模擬授業に挑んだことはターニングポイントであった。

模擬授業は、先生たちを生徒に見立てて授業をするのだが、1歳や2歳くらい年上の大学生講師たちから、ものすごい指摘(当時の指導は職人に近く、キツイ言い方ばかりであった)を受けた。

一人の数学科の先輩から
「はっきり言って、準備不足。そんなんで生徒たちの大切な時間を奪うつもりだったの?先生には向いてないんじゃない?」

とまで言われた。俺は完全に自信を打ち砕かれ、呆然としてしまった。

反省をしている素振りを含めた作り笑顔をして全員の先生に頭を下げて「ありがとうございました」と言った。全員が教室から出終わる前に、俺の目には涙が溢れていた。

最後に教室には俺一人が残された。ホワイトボードを綺麗に消しながら、何も考えることができないくらいショックを受けていた。

数分が経ち、塾長が教室に入ってきた。「坂上。わかっていると思うが、不採用だ。今のままではお前を先生として大切な生徒たちの前に立たすことはできない。」

「・・・はい」

俺は、すべてが終わったような気がしていた。

部活動でも中学でも高校でも部長を務め、友達関係でも常にリーダーシップをとってきた俺は、先生に向いている。と信じて疑わなかったんだ。

しかし、今日それがすべて打ち砕かれた。

もちろん、俺の油断、準備不足がすべての原因。そう思いながら涙が止まらなかった。

塾長は
「坂上、もう一度やってみろ。すぐにとは言わない。今回、お前は良い経験をした。俺は、お前の中に光るものが見える。全員が不採用だと言っていた。当然だ。だが、俺は、お前のことを諦めない。必ず、このエイメイの力になってくれ。」
そう言った。

その夜は眠れなかった。俺は教師には向いていないのか。いや、ここから俺は這い上がるんだ。順風満帆な人生なんてドラマにならない。ここからが始まりだ。やっとのことで気持ちを整えることができた。

あのときの塾長の言葉がなければ、俺は教師という夢から逃げていたかもしれない。本当に当時の塾長には感謝している。

不思議な話ではあるが、一度、ボロボロな状態で塾の採用試験に落ちた、この俺が、数年後にはこの塾の塾長になり、会社化し、今は社長をやっているのだから、あのときの模擬授業で俺に「先生に向いてない」と言った先輩たちは驚いているだろうな。全員に感謝だな。

つづく・・・